古語(上代語)の五十音図は以下の通りである。この五十音図の正当性は、このサイトにおけるすべての議論をこの五十音図にもとづいて破綻することなく完遂することによって証明されたと考えられる。事実、現代語を含めて今日に知られているすべての語はこの五十音図の上に反映させることが可能である。
和語を考える上で、これをローマ字化することは必須である。子音と母音の組み合わせからなる語の構成を見極めなければならないからである。そこで仮名による五十音図にローマ字を添えて次に示す。
あ (&a) い (&i) う (&u) え (&e) お (&o)
か (ka) き (ki) く (ku) け (ke) こ (ko)
さ (sa) し (si) す (su) せ (se) そ (so)
た (ta) ち (ti) つ (tu) て (te) と (to)
な (na) に (ni) ぬ (nu) ね (ne) の (no)
は (ha) ひ (hi) ふ (hu) へ (he) ほ (ho)
ま (ma) み (mi) む (mu) め (me) も (mo)
や (ya) yi (yi) ゆ (yu) ye (ye) よ (yo)
ら (ra) り (ri) る (ru) れ (re) ろ (ro)
わ (wa) ゐ (wi) wu (wu) ゑ (we) を (wo)
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が (ga) ぎ (gi) ぐ (gu) げ (ge) ご (go)
ざ (za) じ (zi) ず (zu) ぜ (ze) ぞ (zo)
だ (da) ぢ (di) づ (du) で (de) ど (do)
ば (ba) び (bi) ぶ (bu) べ (be) ぼ (bo)
ぱ (pa) ぴ (pi) ぷ (pu) ぺ (pe) ぽ (po)
古い和語には上記のような清音拍50箇、濁音拍20箇、合計70箇の拍があり、これがすべてである。特に問題はなくすんなり受け入れられると思われるが、少し見慣れないものがあり、以下簡単に注記する。
1) ア行拍の「あ、い、う、え、お」は、単に「a、i、u、e、o」とするのではなく、その前に「&(アンド)」記号をつけて、「&a、&i、&u、&e、&o」と二文字とする。「&」記号は、音のない音(子音)を表わす。すべての拍を二文字に統一することによってパソコン画面や印刷面がきれいに整い、俄然見通しが得やすくなることに気づく。母音表記の例をいくつか挙げる。例えば地名の兵庫県”あいおい(相生)”市であるが、現行のローマ字で書けば「aioi」であるが、本書の表記法に従えば「&a&i&o&i」となる。ちなみに”相生”は古語では「&ahi&ohi(あひおひ)」となるであろう。同様に花の”あおい(葵)”は「&a&o&i」、古語では「&ahuhi(あふひ)」である。そのほか「おおおか(大岡)」は「&o&o&oka」、古語では「&ohowoka」、「うしお(潮)」は現代語「&usi&o」、古語「wusiho」などとなる。
2) ヤ行の「い(yi)」と「え(ye)」は、現代の日本語では他と区別されにくいため、五十音図では通常空欄になっている。ところが古語では明らかに他と区別して使われていた。そのため本書では独立した表記の必要が生じ、ローマ字のまま「yi」「ye」を採用した。
3) 同じくワ行についても、「わ、ゐ、wu、ゑ、を」のすべてが他と区別して発音されていた。そこで「ゐ/ヰ」「ゑ/ヱ」については本仮名(旧仮名)遣いで使われていた文字を復活させた。真ん中の「wu」は、唇を丸く突き出して言う「う」であるが、古くは「宇」や「于」などで仮名表記されているものである。これもヤ行の「yi」「ye」と同じくローマ字のまま「wu」と表記する。
これで古語の清音50拍、濁音20拍のすべてが仮名とローマ字二文字で表記された。ちなみに、この方法をもとに現代日本語をもローマ字二文字で表記するとすれば、これに上代以降の日本語に発生してきた拗音、撥音、促音、長音を書き表わす手段を講じればよい。そのためには、大文字、小文字の区別を利用して、拗音に大文字を当てる。
きゃ (Ka) きゅ (Ku) きぇ (Ke) きょ (Ko)
しゃ (Sa) しゅ (Su) しぇ (Se) しょ (So)
ちゃ (Ta) ちゅ (Tu) ちぇ (Te) ちょ (To)
にゃ (Na) にゅ (Nu) にぇ(Ne) にょ (No)
ひゃ (Ha) ひゅ (Hu) ひぇ (He) ひょ (Ho)
みゃ (Ma) みゅ (Mu) みぇ(Me) みょ (Mo)
りゃ (Ra) りゅ (Ru) りぇ(Re) りょ (Ro)
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ぎゃ (Ga) ぎゅ (Gu) ぎぇ(Ge) ぎょ (Go)
じゃ (Za) じゅ (Zu) じぇ (Ze) じょ (Zo)
ぢゃ (Da) ぢゅ (Du) ぢぇ (De) ぢょ (Do)
びゃ (Ba) びゅ (Bu) びぇ(Be) びょ (Bo)
ぴゃ (Pa) ぴゅ (Pu) ぴぇ(Pe) ぴょ (Po)
撥音 (nn) 促音 (qq) 長音 (ll)
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以上によって、古語、現代語を問わず、すべての日本語をローマ字二文字によって表記することが可能となった。試みに上記のローマ字化法による表記例をいくつか次に示す。
&amehuri &otuki-sann kumo no kage &oyome ni yuku toKa dare to yuku
hitori de karakasa sasite yuku karakasa na&itoKa dare to yuku
Sara Sara Sann Sann suzu tuketa &o&uma ni yurarete nurete yuku
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So So SollZoll-zi SollZoll-zi no niwa wa
tu tu tukiyoda minnna dete ko&i ko&i ko&i
&o&ira no tomodaTa ponn poko ponn no ponn
makeruna makeruna &oSoll-sann ni makeruna
ko&i ko&i ko&i ko&i ko&i ko&i minnna dete ko&i ko&i ko&i
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&amehuri &otuki-sann kumo no kage &oyome ni yuku toKa dare to yuku
hitori de karakasa sasite yuku karakasa na&itoKa dare to yuku
Sara Sara Sann Sann suzu tuketa &o&uma ni yurarete nurete yuku
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&a&o&i me wo sita &oninnGo wa &amerika &umare no seruro&ido
nihonn no minato &e tuita toki &iqqpa&i namida wo &ukabete ta
watasi wa kotoba ga wakarana&i mayigo ni nattara nanto So&oll
yasasi&i nihonn no Zoll-Tann yo
nakayoku &asonnde yaqqtokure nakayoku &asonnde yaqqtokure
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to&oRannse to&oRannse koko wa doko no hoso miti Za
tennzinn-sama no hoso miti Za Toqqto to&osite kudaSannse
goyo&o no na&i mono to&oSa senu
kono ko no nanatu no &o&iwa&i ni &ohuda wo &osame ni ma&iri masu
&iki wa yo&i yo&i ka&eri wa kowa&i kowa&i nagara mo
to&oRannse to&oRannse
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<拍という概念>
和語では、子音、母音が単独で語中に現れることはない(母音については後述)。子音と母音は一対一で結びついて必ず「子音+母音」の形で現れる。この「子音+母音」の組み合わせは「拍(はく)」と呼ばれる。「拍手」の「拍」で、”ぱち”とか”ぱん”と表現される短いひとまとまりの音である。したがって語は、拍ひとつか、拍と拍の組み合わせという形をとる。語には、一拍語、二拍語、三拍語、四拍語・・・がある。
和語は、別に実例で見るように、古い語ほど短く、一拍語か二拍語、せいぜい三拍語までと見られる。二拍語は、「1拍語+1拍語」と分解される場合と、2拍をまとめてひとつの意味を表わす場合が考えられる。三拍語は、理屈として「1拍語+1拍語+1拍語」「1拍語+2拍語」「2拍語+1拍語」「3拍語」の四つの語構成が考えられる。和語の最大の特徴は、和語は「拍」構造であるということである。この点はいくら強調しても強調し過ぎることはない。
和語の「拍」は英語で言う「音節」とは別のものであることに注意したい。英語の場合、例えば「stop」は1音節でひと息に発音されるが、これが日本語になると「ストップ」と4拍語になる。また「welcome」は、2音節語であるが、日本語でちょっと気取って「ウェルカム」と言えば4拍語、無骨に「ウエルカム」と言えば5拍語となる。ことほど左様に英語の「音節」と和語の「拍」は似て非なるものであり、われわれ日本人にとって英語の難しさはこの辺りにあるのであろう。和語の拍は五十音図上のひとつひとつの仮名(音)のことであり、俳句をつくるときに「なのはなや」と指を折りながら五や七になるように数える個々の音のことである。俳句は17拍、短歌は31拍からなる定型詩である。
<拍の数>
繰り返しになるが、古語の拍の数は、清音拍が50個、濁音拍が20個の合計70個である。母音拍(&+母音)は、「あ、い、う、え、お」の五つのみで、残りの65拍は子音拍(子音+母音)である。
拍の数が70個ということは、和語では意味を言い分ける音が70個しかないということで、これで森羅万象を言うにはあまりに少ない。常識的に考えても少なすぎる。このことがまた、以下に見るように、和語の性格を決定しているのである。
<語の意味の担い手-「子音」>
語の役目は、言うまでもなく、聞き手に意味を伝えることである。意味の伝達がすべてである。その意味は音(声)に乗ってやってくる。一人ひとりの喉の奥からでる音はひとつであるが、それが口蓋やくちびるの形、舌の位置などによってさまざまな変容、或いは修飾を受ける。その変化を受けた音は「子音」と「母音」に分かれる。和語では「子音+母音」(拍)の形で聞き手の耳を打つ。
では、語、即ち拍を構成する子音と母音は、どのようにして意味を担っているのだろうか。少なくとも和語にあっては、意味を担っている音は子音である。子音が語の基本的な意味を規定している。母音は子音を支えて「拍」をつくるとともに、子音が示す語の基本的な意味を修飾し、文法上の機能を付与している。このことは本書を通じて了解されるであろう。本書は、一貫して、語中における子音の働きについて述べている。子音が意味を担っていることは、和語に限らず言語一般に通じるはずである。
子音は、主に舌と唇の動きで発生させるという調音方法により、瞬間的なデジタル音ということができる。また子音は話者によって違いがない。音色は、母音にあって子音にはない。この子音のもつデジタル性が、子音が語の意味を担うことができる決定的な理由である。一方、母音は、口蓋(舌の位置)と唇の形で調音されるが、これはあくまで連続的な変化の中での幅のある曖昧なアナログ量である。このような曖昧音である母音が重要な意味を担うことはできないのである。こうして、自然な流れとして、子音が語の基本的な意味を担い、母音がそれを具体的に規定するという役割分担となっている。和語ではそのことが典型的に見られる。
これまで古い日本語について書かれたものの多くは、子音をほとんど視野の外において、母音偏重であるように思われる。語の構成は言うまでもなく、日本語の系統問題という議論の多い話題を含むさまざまな場面において、論者の議論は常に母音に焦点が当てられている。よく知られたアルタイ語との関連で和語の母音調和を探る試みなどもこの延長線上にある。母音がいくつあったかは常に多くの議論を呼ぶ。
それはそれで興味深いのであるが、いささかバランスを失しているように思われてならない。本書では、母音はしばらくおいて、子音から和語を見ることに努めている。
<長語化の意味>
ただ70箇の拍では70箇の事象しか言い分けることができない。仮にひとつの拍に5箇の意味を乗せたとしても(70x5=)350箇の事象を言い分けられるに過ぎない。事実和語では、別に見るように、一拍語は多くの意味を担っている。しかし多くなればなるほど混乱を招き、しかもいくら多くしても多寡が知れている。
そこで語数を増やすことを迫られた和人がとった戦略が二拍、三拍と拍を積み重ねて語長を長くすることであった。こうすれば、単純に二拍語を作るとすると一挙に(70x70=)4900語を手に入れることになる。三拍語となると実に30万語を越える。もちろん、濁音拍やラ行拍は語頭に立たないなどのいくつかの制約があるのでこれほど単純ではないが、これによって語数不足は解消された。語の長語化は名詞、動詞を問わず起こっているが、原始の短小語が徐々に長語化していく様子は動詞においてはっきり見ることができる。そのことは「名詞図」や「動詞図」として別に示した。
以上
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