語の意味は、語に含まれる一個、或いは二個の子音によって決まる、或いは表わされる。一拍語には一個、二拍語には二個の子音がある。三拍語で、子音三個の場合もあるであろう。そうして同じ子音をもつ語で互いに関連する意味をもつ複数の語がある。それらを互いに「縁語」であると言う。ただし、同じ子音をもつ語がすべて縁語関係にあるわけではない。ひとつひとつの場合についてよく吟味する必要がある。
本サイトでは、「名詞図」「動詞図」において縁語関係にあると思われる語は都度指摘した。特に動詞については、全ての動詞を縁語グループによって分けて記述した。縁語をもたないと思われる孤立的な語はそのままひとつだけで掲示している。縁語は簡単明瞭な概念であるが極めて新しく今後徹底的に検証されるであろう。
先に”和語管見”において(tm)子音コンビをもつ「たみ」「つま」「とも」を例として説明した。ここでは補足的にさらにいくつか例をあげて縁語概念の確かさを確認しておきたい。
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1)ただす(質す)、たづぬ(訊ぬ)、たどる(辿る)【(td)子音コンビ】
ここで言う「ただす」は、相手の真意を「ただす」、疑わしい場合に真相を「ただす」のように「問い質す」意である。「正す」も同語であるが意味的には「質す」の後の発展形である。この三語は、場面を大昔の狩猟時代に戻して考えてみるとその繋がりは明白で、鹿や猪の糞や足跡を見つけてその跡を追って獲物に迫る過程を言っているであろう。当時はおそらく二拍形の「たづ」であったか。
この(td)語が、果たして本来的に二拍語なのか、「た+づ/つ」と分解される一拍語であったのかは今の段階ではよく分からない。これは今後進むであろう一拍語の徹底的な探求によって明らかにされるものと期待したい。
2)ながし(長し)、ながす(流す)、なぐる(殴る)、なげる(投げる)【(ng)子音コンビ】
ここでは仮に(ng)縁語群として上記の四語をとり出したが、この四語をまとめて議論していいのか、それとも例えば「ながし、ながす」と「なぐる、なげる」のふたつに分けるべきではないのか、或いはもっと広げて(n)語と見て「のばす、のびる」も含めなければならないのではないかとか、対象の括り方について議論が始まるところである。
上記の四語では、「距離をかせぐ」といったところで括ることができないか。「なぐる」は拳骨が飛んで行く、「なげる」はボールが飛んで行くわけである。
対象の決め方はたいへん難しい。狭く絞り過ぎると面白くもなんともなくなってしまい、逆に広げ過ぎるとぼやけてしまって無意味になる。いずれ大方の日本人の認めるところによって標準形が決まってくるのであろう。
3)「なむ-なめる/ねぶる(嘗*舐)」「たぶ-たべる(食べる)」
「なめる」と「たべる」が(n-t)と(m-t)の相通関係にあると見ると、”舐める”と”食べる”は縁語関係か相通語の関係か、にわかには判定できない。相通語と見れば同語ということになる。だが「なめる」と「たべる」では、喉を通るか通らないかという大きな壁があり、簡単に同語というのもはばかられる。では、どちらにせよ、諸辞書が指摘する「たぶ-食べる」と「たむ-たまふ(賜ふ)」との関係をどのように考えればよいか。日国には「タブ(給)の受身形タバルの転か〔毎日の言葉=柳田国男〕」説や「タブ(賜)の転〔大言海〕」説が紹介されている。これも”くれてやる”が本意の「たむ-たまふ」と自ら「なめる、たべる」とでは直接的な関係はありそうにない。
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以上
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