(01)和語管見


 和語についてこれまでどれほどのことが分かっているのだろうか。難しい話である。しかもどう表現していいか分からない。そこで対象を語の意味、語義の解明という点に絞ってみるとどのようなことが言えるのか。ひとつの目安は国語辞典、特に古語辞典であろう。だがいくらそれらをひっくり返してみても記述の正しさを保証するものがないことに気づく。ただ記述どうしが互いに矛盾しないことをもって支え合っているように見える。整合性をとることに最大の努力が払われている。そうとすれば孤立的な語は解釈する手立てがないことになる。

 

 このとき、大袈裟に言えば、合理的かつ検証可能な語義の解明を可能とする方法はないものか。筆者もいろいろ探索を試みる中で、和語をローマ字化して検討することが比較的有効ではないかと気がついた。ローマ字化といっても現在通用の乱雑なローマ字化法は使えないので、合理的な訓令式にほんの少し手を加えて、和語一文字を「子音+母音」のローマ字二文字で表す独自の手法を考案した。これを用いた解析を中心に、和語のありようをいろいろ考えてきた。

 

 以下は、和語とはどのような言葉か、或いは和語を和語たらしめているものは何か、という問いに対する筆者なりのささやかな回答である。各項目はいずれも大きな課題で、書き出すときりがなくここではでなるべく簡潔に述べた。それぞれの課題に対する補足や事例などは本サイトや「私家版 和語辞典」の各所に分散してあり、また本サイトに付随のブログでも随時とり上げるつもりである。

 

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(01)和語は「拍」構造言語であることの確認。

 

 和語を考える上でもっとも大切なことは、和語は「拍」構造言語であるという事実である。このことはいくら強調しても強調し過ぎることはない。

 

 「拍」とは、五十音図のひとつひとつの仮名のことであり、「子音+母音」の形をした音声単位であり、同時に意味単位でもある。このとき、ローマ字化に際してカ行以下の子音拍は「ka、ki、ku、ke、ko」などと問題ないが、ア行の母音拍「あ、い、う、え、お」の扱いに困る。「a、i、u、e、o」としか書けない。そこで母音の前に無音の子音がついていると考える。その無音の子音を表わすために母音の前に「&(アンド)」記号をつける。「&a、&i、&u、&e、&o」である。こうすることによって五十拍の全てが「子音+母音」の形で表わされた。パソコンで和語を扱うに当たって「&」記号の導入を含むローマ字化手法が有効となる。

 

 日本では五拍や七拍のリズムをもつ長歌や短歌、また俳句が千数百年もの長きにわたり歌い継がれてきていることをもって「拍」の意味するところの重要さが理解されるであろう。また漢語や西洋語をとり入れるに際してもそれを完全に拍構造化、即ち和語化している。つまり短歌や俳句に歌い込むことができるようにしている。和語では「チューリップ」は五拍語(チュ/ー/リ/ッ/プ)であるが、もとの英語では二音節語である。この点をしっかり押さえることによって次項以下のさまざまな現象を発掘し、理解することが可能となる。 

 和語が拍構造であることは昔から気づかれていたが、「ローマ字化」そのもの、或いはそれに準ずる考えが出なかったため、母音拍の扱いに困ったこともあり、徹底して追及されることはなかったのである。


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(02)五十音図の不思議。

 

 五十拍のすべての拍をきれいに並べ立てたものが五十音図である。五段(五列)十行の五十音図は成るべくして成ったものであろう。おそらく遅れることほどなくして濁音拍の五段四行の二十拍が加わった。全七十拍である。そうしてすべての和語はこの五十音図の中にぴたりと納まっている。だが、考えてみれば、自然言語にしてこのように見事な統制が利いていることに驚くほかない。はじめに五十音図ありきとは考えられないが、しかし長い時代にわたって広大な地方々々で次々と生まれてきたはずの語がすべて五十音図という枠内に納まっているというのも考えにくい。やはり時代につれて淘汰されてきたということであろうか。ともあれ五十音図は和語の最大の謎のひとつである。

 

 五十音図の中身も複雑である。そこには特異行として、ア行とラ行がある。ア行音のみは母音として他の九行の子音行とは性格が異なる。ア行音は、語頭には立つが、語中や語末には来ないのである。またラ行音は、他の語につく付加語(音)としてのみ機能し、それ自体意味をもつことはなく、語頭に立つこともない。ラ行音については別に本サイトで”ラ入語”としてとり上げている。さらに段(列)から見ると、エ段拍が少なく、特にエ段拍で始まる語が異常に少ない。これらの現象の理由を和人と和語の世界内のみに求めるのは難しいように思われる。やはり外部世界との関係を視野に入れざるを得ない。

 

 五十音図の成り立ちをおもんみるに、五十音図だけを見ていても得るところ少なく、そうとなれば五十音図以前、和語以前をどのように考えるかとなるが、これは本サイトとはまた別の話題である。別項「和語の来た道」においてごく簡単に触れた。

 

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(03)仮名の甲乙書き分け問題(上代特殊仮名遣い)

 

 和語における五十音図の見事さを述べた後で上代の仮名の甲乙書き分け問題、いわゆる上代特殊仮名遣いについて論じなければならないのは非常につらい。このふたつを両立させるには、鷺を烏と言いくるめるほどの力量が必要となるからである。

 

  まず「上代特殊仮名遣い」という名称であるが、「特殊」と言ってしまっては議論を封じてしまう趣があるので、ここでは標記にように呼ぶこととする。”書き分け”は同時に”言い分け”を伴っているのかも知れないが、簡単にした。

 

 上代語にあっては13個の仮名「き、ひ、み、け、へ、め、こ、そ、と、の、も、よ、ろ」に限ってこれらを甲乙二様に書き分けていたことは紛れもない事実である。この書き分け上の問題の核心は、『なぜこれら13拍のみか』という一点にかかっている。なぜならこの13個に限ることを説明する合理的な論理はあり得ないからである。唯一考えられる説明は、上代をさかのぼる何百年か前には母音が七つか八つか九つかあったが、それが拍ごとに徐々に減って来て、平安時代になると完全に五つに収斂したというものである。それにしても、奈良時代になって最後にこの13拍に絞られた理由が依然として疑問として残る。どこまでも「13拍」の謎である。

 

 筆者としては今はこの面妖な問題にとらわれるわけにいかない。この甲乙書き分け問題は、母音問題なのである。母音がいくつあったか、その音色はどんなものであったか、というものである。しかるに筆者の主たる関心は、後述のように、語の意味をになっている子音にあり、仮名の甲乙書き分け問題は、不問のまま棚上げにしておくつもりである。しかもこれまでの作業の中でこの問題で何事かひっかかったことは一度もない。この問題を二百年前に見出した本居宣長は、単に概略を報告するにとどめたが、或いはこの問題が形式に過ぎないことの本質を見抜いていたのではないかと思われる。

 

 上代仮名の甲乙書き分け問題は、しかしながら和語を考えるに当たっては避けて通れないものである。ついては、ここではその輪郭のみを書きとめておきたい。ほとんどは「時代別国語大辞典上代編」からの抜粋である。 

 

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(04)子音が意味を決める。「縁語」グループがある。

 

 語の役目は意味の伝達である。意味の伝達がすべてである。語は子音と母音の組み合わせで出来ているが、子音が語の意味を担っている。子音だけでは相手の耳に届かないので、子音は母音をとって拍(或いは音、或いは声)となって聞き手の耳を打つ。母音は、子音を支えて語をつくり、語に文法上の役割をもたせる。このことは、もちろん、和語のみならず全ての言語について言えることであろう。

 

 一拍語(「子音+母音」ひとつ)の場合は、語の意味は拍の語頭子音によって決まる。その意味は語頭拍の頭子音にあるのである。たとえば、だれかが「走れ!」と言って聞き手が走り出したとき、聞き手が何に反応して走り出したのかと言えば、それは「はしれ」の語頭拍の「は」の頭子音「h」だということである。今日の「はしれ(走れ)」或いは「はせよ(馳せよ)」は複雑な形をしていて分かりにくいが、これの一代前の形は「はす」であり、その前の形は一拍語「は(h+a)」であり、その「h」だということである。この「は」は、或いは「か」であったかも知れない。「かける(駆ける)」の「か」である。「は」と「か」は互いに通々で、相通関係にあるという。原初は「は」と言い「か」と言って、これだけで”走る”や”駆ける”意のさまざまな形を表現したはずである。

 

 二拍語ではどうか。二拍語は『「子音+母音」+「子音+母音」』の形をしており、二つの子音がある。この二つの子音が組となってある特定の意味を表わす場合がある。例えば「たみ(民)」「つま(夫*妻)」「とも(友*供)」は共通して「t-m」という子音の組をもつが、この「t-m」が上記の三語に共通する意味、即ち”血縁なき仲間”という意味を表わす。これら三語をまとめて「縁語」と呼ぶ。
 このような「t-m」をここでは”子音コンビ”と呼んで、縁語探しの鍵としている。本サイトの「和語図」「動詞図」ではほとんどの例語に子音コンビと目されるローマ字がついている。たいへん目障りであるが、縁語探しには決定的に重要であるので、活用していただきたい。

 

 いささか余談にわたるが、「t-m」縁語から発展して、「こども(子供)」とは「子なる血縁なき仲間」の意であり、親が最密の血縁者たる自分の子を「こども」と言ってはならないことになる。親からはあくまで「こ」であり「こたち」である。「こども」とはある集団(集落)に属するちびっこ全体を言う語だったであろう。従って「こどもたち」は「こども」の二重複数ではない。ここに来て「t-m」の意味が判明したことにより国語辞典は大きく書き換えられなければならなくなった。

 

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(05)和語の「相通」現象

 

 今日、苗木を買って来てそれを庭に「うえる(植える)」と言いうが、これは勿論新しい形で、もとはワ行語で「wuゑる(植ゑる)」と言った。ローマ字化すれば「wu we ru」である。ところで、今日、新しく工場に機械を入れるとそれを動かないように所定の位置に「すえる(据える)」ことになるが、これは本来は「すゑる」で、ローマ字では「su we ru」である。自由に動かせる椅子や机のようなものは「すゑる」ではなく、単に「おく(置く)」である。ここで「wuゑる」と「すゑる」は語形もよく似ていれば、意味内容もそっくりであることに気づく。そう言えば、「wuわる(植わる)-wuわっている」と「すわる(坐わる)-すわっている」も同じ関係にありそうである。整理すれば「wuwu-wuわる/wuゑる」と「すwu-すわる/すゑる」の関係となる。その前に一拍語時代があったとすれば、「wu-wuwu-wuわる/wuゑる」、「す-すwu-すわる/すゑる」となる。

 

 このように語の意味がよく似て、子音が交替している語どうしを互いに相通語、相通関係にあると言う。その数はたいへん多く、本サイトの相通語のページにはさまざまな例を示した。これはどうやら和人の口癖で、「wuゑる」「すゑる」の例で言えば、初めに「wuゑる」があって、時代の経過につれていつか「すゑる」が出てきたが、もとの「wuゑる」も並行して使われてきたという図と思われる。意味の上では分担が生まれ、「wuゑる」は草木に限られたが「すゑる」は上記のように草木以外のものに使われるようになった。

 相通語は、しかしながら、未だ整理分類が行われておらず、すべて今後の課題である。

 

 余談であるが、縄文土器のひとつに、丸い縦長の容器で底の方へ行くに従って細くなり先端が尖がっている形のものが多くある。尖底土器である。この尖った底を灰の中に突き立て、周囲から薪を焚いて煮炊きをしたとされている。この土器を灰に突き立てる、或いは埋める作業が「wuゑる(すゑる)」であったと考えられる。この作業と和人が山から栗の木を引き抜いてきて竪穴住居の近くに「wuゑる」こと(農業)を始めた時期と、両者の前後関係はどのように考えることができるのか。和人は今から1万6千年前に土器を手に入れたという。そのことと、和語の長語化過程、即ち「wu/す-wuwu/すwu-wuゑる/すゑる」との時代的な関係はどのように考えることができるのか。いずれも非常に興味深い課題である。

 

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(06)和語(語彙)には構造がある。

 

 個々の語については本項に見るような話題、或いは特色ががあるが、では和語の語の全体を通じてどのようなことが言えるのか。互いに無関係のばらばらの語が雑然と積み上がっただけのものなのか。それともそこには何らかの法則、或いは構造のようなものが存在するのであろうか。当面の結論から言えば、すべての和語がひとつの法則に括られてあるということはないが、言わば和語の海の中の島のように、一つ或いは二つの子音によって括られる共通の意味をもった上記の「縁語」グループが点在するということが言えるであろう。縁語群は、別項に示すように、動詞についてはかなり多くかつ明瞭に見出せるものの、名詞については未だ少数しか指摘できていない。
 さらに多くの縁語グループの発見を期待したい。

 

 別項の「動詞図」に見られるところであるが、和語の動詞の中にふたつの大きなかたまりがある。端的には「狭い」を意味するサ行渡り語(後述)群と「広い」を意味するハ行渡り語群である。これを突きつめると、和語では口をあまり開かないで発音するサ行渡り語「さ、し、す、せ、そ」の語頭子音「s」が「狭い」という概念を表わし、口を大きく開いて発音するハ行渡り語「は、ひ、ふ、へ、ほ」の語頭子音「h」が「広い」という概念を表わすと言わざるを得ないのである。そうして、このことは、和人の後裔たるわれわれ日本人にはどこか納得できる、つまりピンと来るところがあると思われるのである。つまり口から出る声(音)とそれが指す対象との間に直接的な関係があるということになるのである。そのほか、堅いものとそれが立てる音は、「かたかた、かちかち、こつこと、ことこと、からから、かんかん」などとカ行音で表されることは日常感じているところである。

 

 これも宿題として、後考にまつこととしたい。

 

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(07)和語は短小語から「長語化」した。

 

 和語は、本来の形は最短の一拍語、或いは二拍語といった短小語であった。そのことは、全ての和語を実際に一拍語、二拍語、三拍語、・・・と拍数ごとに区分け作業を行い観察することによってよく理解できる。典型的には動詞に見られるが、動詞は、原初の一拍語の品詞のない(定まらない)時代から、次々と動詞語尾をとることによって長語化していった。今日では六拍語、七拍語という長い語も普通に使われる。また接頭語をとることによっても長くなる。一方静的な名詞も、接頭語をとるほか、ラ入語現象(別記)によっても長語化する。

  

 長語化の過程を想像すれば下図のようになるであろうか。下から上へ時代が進むが、絶対年代はもちろん、長語化の過程と漢語の流入時期との関係も知られておらず、あくまでもイメージである。

 

                      〔 現 代 語 〕

                       ⇧

 

  〔  一拍語  〕+〔  二拍語  〕+〔  三拍語  〕+〔  四拍語  〕+〔  五拍語 〕+〔  漢語(古/呉/漢/唐宋音) 〕 時代

  

     〔  一拍語   〕+〔   二拍語   〕+〔  三拍語  〕+〔   四拍語   〕+〔   漢語(古/呉/漢音) 〕 時代

 

       〔  一拍語   〕+〔    二拍語    〕+〔   三拍語   〕+〔  漢語(古/呉音)〕 時代

 

          〔  一拍語   〕+〔  二拍語  〕+〔  漢語(古音)〕 時代

 

            〔  一拍語   〕+〔  二拍語  〕 時代 

 

               〔   一拍語   〕 時代

 

 長語化の理由は明白で、一拍語、二拍語のみでは語数が決定的に不足するため、長語化することによって語数を増やし、もとの大雑把な意味を細分化してより精密な表現を可能にしようとするものである。

 

 和語を和語の全体とその中から動詞をとり出して動詞全体のふたつに分け、それぞれを拍数によって分類したものをそれぞれ「和語図」「動詞図」と名づけて本サイトに掲載している。長語化の過程が一目瞭然となるであろう。

 

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(08)「漢語」「外来語」の流入。

 

 一方、視点を変えて、和語に対してシナ語(中国語)と西洋語が流入し、和語の中に「漢語」「外来語」として確固たる地位を占めていく様子を視覚化すれば次のようになるであろう。

 

       古音語 呉音語 漢音語 唐宋音語(漢語)

         \   \     \      \       15c          19c
  --和語--和語--和語--和語--日本語--日本語--日本語--日本語--現代日本語--
            BC5c   BC3c   AD8c   /     /    /
                            葡萄牙語  西班牙語  英仏独語(外来語)

 

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(09)長語化を押さえて意味が分かるようになるか。

 

 不完全ながら和語図、動詞図を手に入れたことによって、形式的には多くの一拍語にたどり着いたが、これが語の意味の解明に役に立つのかどうか。理屈上は、互いに無関係な長語化列がいくら判明したところで、意味の解明に資するところはない。つまるところは、やはり長語化列どうしの関係を見出すほかなさそうである。それには、似たような意味の縁語を探す、音の相通関係を探すなど、要は何らかの点で似たものを集めて比較検討するというこれまでと変わりない作業を続けることになると考えられる。ただ、その作業を通して得られる結論は、従来のものに比してより精密になると思われる。

 

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(10)動詞語尾の種類と働き。

 

 和語の動詞は、意味をもつ語頭が次々と動詞語尾をとっていくことで長語化する。動詞語尾(言い切り形)には「く、ぐ、す、ず、つ、づ、ぬ、ふ、ぶ、む、ゆ、る、wu」の13個があり、これですべてである。現代語では「う」で終わる動詞が多いが、これは「ふ」と「wu」を「う」と表記することにしたためである。母音拍の「う」語尾は、和語には本来的に存在しない。

 

 ところで、個々の動詞がどのような理由で上記の13個のどの語尾をとるのかがさっぱり分からないのである。動詞語尾に意味のようなものがあるのかどうかもわからない。理由もなく手当たり次第にとっているとは考えられない。だがそれを探る方法も今のところ見当たらない。これまた今後の課題である。

 

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(11)「頭積動詞」が見られる。

 

 これも動詞の長語化のひとつの形であるが、三拍動詞の中に第一拍と第二拍が同じ拍である特徴的な語形の語が少なからずある。二拍動詞を「AB」とすると、第一拍の「A」を重積させて「AAB」とするものである。連濁を起こしているものが多い。これらを偶然の結果と見るには語数があまりに多く、明らかに規則的に造語されたものと考えられる。これを頭積動詞と呼ぶ。今のところ全部で五十語ほどあると見られるが、探索が進めばさらに増えると思われる。例えば「かむ(屈)-かがむ」「たく(手)-たたく」「ちむ(小)-ちぢむ」「とく(着)-とどく」「ひく(弾)-ひびく」などである。もとの動詞の意を強調していると考えられる。ただ「AAB」型の動詞がすべて頭積動詞ではなく、「ささぐ」「すすむ」などは見かけは同じでも頭積動詞ではない。

 

 頭積動詞についてはすべて今後の課題である。

 

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(12)短小語には渡り語が多い。

 

 渡り語とは、「たちき(立木)」「こかげ(木陰)」の「き」「こ」のように、同じものを指しながら場合によって使い分けられるいくつかの語形を言う。樹木を言う「き」には、「こ」のほか「く」「け」の形もあり、どうやら渡り語「き、く、け、こ」で樹木が示すさまざまな面を言い分けていたようである。おそらく「か(木)」の形もあったであろう。渡り語は、五十音図の同一行内にのみ散らばり、最大五個である。母音交替現象のひとつである。

 現代語の多くの一拍名詞は、おそらく渡り語の中のひとつが残ったものと考えられる。名詞に限らず動詞にもたくさんあり、これは前述の「縁語」と交錯して見分けがつかないものが多い。

 

 二拍語にも「あま、あめ(雨)」「かな、かね(金)」「さか、さけ(酒)」「yiな、yiね(稲)」など特徴的な形の渡り語が多い。だがこれらは多分に相通現象や縁語関係などと交錯しており、統一的な理解が待たれる。

 

 「和語図」「動詞図」ではできる限り渡り語をまとめてとりあげた。渡り語の整理は今後の大きな課題である。

 

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(13)接頭語が多く、その役割は大きい。

 

 和語には接頭語が多く、しかも意味の分化や長語化に重要な働きをしている。そのことは「和語図」「動詞図」によって明らかであろう。ところがこれら多彩な接頭語についてはこれまでほとんど関心がもたれることはなかった。すべて今後の検討にかかっている。今後、接頭語つきと思われる語をすべてとり出し、整理分類することが第一歩である。

 

 接頭語の役割の大きさを反映していると思われる現象に、接頭語が「本家」の意味をのっとっている場合が見られる。ひと言そうと指摘されればだれもがピンと来る例に「い(寝)」がある。これはどの国語辞典にも「ねること、ねむり」として疑いもなく「ぬ/ね(寝)」と並ぶ本来語として見出し語になっているが、この「い」は、実は、イ接動詞「いぬ(イ寝)」の接頭語「い」が主役の「ぬ/ね(寝)」の意味をのっとって独立したものなのである。このほか例えば「いき息」「いぶき(息吹)」の「い」も同様で、「い(接頭語)+き(気)」の「い」である。また”足”を言う一拍語「あ」は、本来語の「し(足)」(「はだし」の「し」)についた接頭語「あ」が足の意味をのっとってできた語である。さらに「み、みづ(水)」の「み」であるが、これも接頭語「み」が水の本来の和語である「つ(水)」の意味をのっとって一人歩きを始めた語である。このような接頭語による「乗っ取り語」はまだいくつも隠れているであろう。

 

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(14)形容詞とは何か  -  日本語文法の怪。

 

 和語を画面に展開し選り分け作業をしたりすると気づかされることであるが、そこには例えば”形容詞”に当たる語がないのである。「あかし(赤)」「たかし(高)」があるじゃないかと言われるかも知れないが、これは二拍名詞「あか」「たか」に”形容詞”語尾「し」がついたものに過ぎない。「あかあか、あかく、あかさ、あかし、あかす、あかみ、あから、あかる」など「あか」がさまざまな接尾語をとった語形のうちのひとつに過ぎないのである。二次語である。派生語である。英語などには確かに「red」「high」という語(形容詞)が存在するが、和語にはない。「形容詞」は、おそらく、明治時代の初期に西洋語文法を学んだ先学が「adjective」なる用語をそのように訳し、それに当たるものを和語に探し「〇〇し」形の語を「形容詞」と呼んだことによるであろう。それを今日まで引きずっている。

 

 そのように思って見ると、”動詞”も”形容詞”とまったく同じ状況にあることに気づく。「あかす、あかる」と言っても二拍名詞「あか」が”動詞”語尾をとったものに過ぎず、本来の語(動詞)としてあるのではない。そのように見れば、動詞や形容詞のいわゆる「活用」も、西洋語で言う語形変化を主とするものとは異なり、未然形と言い連用形と言っても、完了形だ受動態だなどと言っても、和語の場合それは数ある接尾語(語尾)の中から、都度、然るべきものを選びとっているということである。

 

 和語では、はじめに一拍、或いは二拍の名詞があって、そこには自ずから動詞性、形容詞性の語も含まれるわけであるが、それがさまざまな接尾語をとって、それぞれが西洋語で言う品詞や活用形の働きをしていると考えるのが実情に沿っていると思われる。「あか」にさまざまな接尾語がぶら下がっている図である。従って品詞がいくつあるかと言った議論は、今の段階では意味がない。和語がもつ壮大な接尾語(語尾)体系の解明が待たれる

 

 ちなみに「あか(赤)」であるが、これはア接語「あ(接頭語)+か(赤)」と考えられる。「まっか(真っ赤)」の「か」であり、これは「あか」の縮まったものではない。原初、赤いこと、明るいことの一切を言う一拍語「か」の時代があったと考えられる。この「か」が接頭語「あ」をとって長語化する前に、即ち「あかす、あかる」の前に、「かす、かる」の時代があったかも知れない。このように例えば「か」をめぐってその語史を徹底的に追及しなければならず、そうすることによって語彙のみならず文法の面でも資するところ大きいと思われる。

 

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(15)音語

 

 和語には音の構成が定形的で、和人の耳に快く響くと思われる音主体の一群の語がある。典型的には「かちかち、さらさら、とろとろ」のような二拍反復型の模写語群である。そこからは「かちっ、とろん、さらり」など、語尾をとって「つんり語」と称することができるひとまとまりの派生語がハネ出すが、これまた極めて定形的である。主なものを一覧表にして別に示す。

 

 上記の二拍反復型の模写語は「〇△〇△」のような形をしているが、これとよく似たものに「じたばた、ちぐはぐ」のように「〇△●△」と表記される特異な語形の四拍語が一定数存在する。これは、「じた-ばた」「ちぐ-はぐ」と前後の二拍語の語尾が揃っていることが特徴的で、それによってリズムをとっており、筆者は「しりあい(尻合い)語」と呼んでいる。東南アジアの二三の言語にも似たような現象が見られる由で、それらは”反響語(echo-word)と呼ばれる。

 

 さらに音主体の語に、もう一つ、「あっけらかん、すっぽんぽん、ちんとんしゃん」のように音の面白さでもっている”音語”とでも称するほかない長短さまざまな語が多数ある。和人であれば聞きさえすればだれでもその意味を了解する。辞書にはとり入れられないが、これのない和語はない。これまた高度に定形化、体系化されている。音と意味するところとの関係の解明が待たれる。ここには罵倒語や卑語も入ってくると思われる。

 

 これらの語の存在には、和人が音に敏感で、定形化された音の組み合わせの面白さを楽しんでいる趣がある。がまの油売りの口上をはじめ、祭りの囃しことば、かけ声や標語、講談や落語などのさまざまな話芸も短歌や俳句を伝える風と深くつながっているであろう。

 語学としては、音と音の組み合わせの頻度調べの資料にもなると思われる。

 

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(16)畳語

 

 二拍反復型の模写語とまったく同じ語形の語に畳(たたみ)語がある。その違いは、模写語が状況や音を模した二拍の音の反復であるのに対し、畳語はあくまで意味をもった二拍語であるということである。「はらはら」「ひらひら」は木の葉や布のような薄く軽いものが風に舞って落ちていく、或いははためいている様子であるが、「はればれ(晴々)」「ひろびろ(広々)」となるとこれらは「h」音をもととする意味をもつ語である。すべて連濁を起こしている。しかしながら、明確に区別できないものも少なからずある。

 

 ひとつ注意したいのは、「やまやま(山々)」と「やま」を重ねて”複数”を言うことがあるが、「かはかは(川々)」とは言わないことである。「くにぐに(国々)」「むらむら(村々)」はあって「さとさと(郷々)」はない。「ひとびと」と「ねこねこ」についても同様である。つまり畳語形で複数を表わす語が自ずから限られているという不思議である。単なる習慣とも言えないように思われるのだが、詳しいことは分からない。

 

 どちらも生成過程は知るべくもないが、このような語が今日に至るまで盛大に使われているのは和人の性向と考えられる音の組み合わせの面白さへの偏愛によるものであろう。

 

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(17)類縁語

 

 草の名前や木の名前、 魚の名前のように同じ種類のものの名前を仮に「類縁語」と呼んでおく。例えば全部で250語ほどある草の名前であるが、実にさまざまな形をしているが、これを一覧して語の解釈の上で何か得るところがないかというのがここでの課題である。草のみならず、ここには木や魚や虫など、人の生活に直接かかわる多くの場面の類縁語が集められている。和語の生成過程など霞の彼方の現象である域を出ない今、このような企てはナンセンスのようであるが、ひょっとして何か引っかかるものがありそうでもあり、その程度の試みである。

 そうした試みの中で、ひとつ、木の名前と魚の名前との間に「たら(楤*鱈)」や「はぜ(櫨*鯊)」のように同名のものがいくつか見られること、ふたつには、鳥の名前の中には「から、かり、けら、けり」の(kr)語があり、「かけす、からす」の「す」、「すずめ、つばめ」の「め」のように語尾を同じくする鳥名がいくつも見られるなど、気になる点もある。

 

 特に”鳥”については、語学からは少し離れるが、山口県土井が浜遺跡の「鵜を抱く女」遺骨、鳥形埴輪や屋根に掲げる鳥形木彫、また和人の住居には「かもゐ(鴨居)」や「とりゐ(鳥居)」がつきものであるほか、とりうらない(鳥占)、今のところ解釈不能の「飛ぶ鳥のあすか」「いかる/いかるが」、古事記が言う「やたがらす」、くくひ(鵠)や白鳥に絡む神話等々、和人と鳥の間には並々ならぬつながりがあり、考古学と相まって和語の来た道を探る鍵のひとつたりうると思われる。

 

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(18)和語の体系性の高さ。

 

 和語の全ての拍がぴたりと五十音図におさまることを始めとして、拍を積み重ねて語を作っていく拍言語たる和語は自ずから体系性が高いと考えられる。そのことは動詞図に典型的に見られる。動詞はもとより、名詞においても見事としか言い表せないほどの体系性がある。それは的確な立体模型によって視覚的に把握できるようになるのではないかと思われる。

 

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(19)和語の書記(表記)体系 ー 仮名文字 ー の的確さ。

 

 和語のような拍言語は、これを一拍一文字の「仮名」で書き表すのは当たり前のようであるが、これは目を見張るような偉業なのである。和人は、シナ(中国)から習った漢字を自家薬籠中のものとし、それを崩して仮名をつくり上げた。仮名は話し言葉をそのまま書きとる際にも便利この上ない。他国の言葉には話し言葉と綴り字とのずれなど、言葉と文字の間にはさまざまな不都合や不協和音が見られるが、それを伝統や習慣の力によって使っている例が少なくないのである。(なお片仮名については議論があり、ここでは触れない。)

 

 和語における仮名は、もちろん本仮名(いわゆる旧仮名)であるが、仮名遣いによって語と語との関係、即ち意味をも表している。ほんの一例であるが「なみだ(涙)」「みづ(水)」「みどり(緑)」の関係など、縁語関係を捉えて見事と言うほかない。

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(20)和語総覧

 

 ここまで和語についてまとまりのないことをあれこれ述べてきたが、和語を探る上でぜひとも持ちたい道具にすべての和語を一覧表に展開した和語総覧がある。全和語を一枚の紙の上に展開し、文字検索機能を頼りに目指す語を辿りながら、目視によって語と語を比較検討することである。これまで分厚い辞書の中に閉じ込められていた和語を明るい世界に解き放ち、われわれ一人一人がその中に分け入って自ら語の由来を探り意味するところを根拠をもって決めることができるようにすることである。和語の原型と変容のみならず、和人の生活をも浮かび上がらせることが出来るであろう。今や技術の進歩によってそうしたことが可能となり、将来的にはAIの援用も考えられる。 

 

 考えるべきことの第一は、語の配列である。ここでは拍数ごとに五十音図順に並べた。しかし作者の考えにより、それぞれ独自の配列があるであろう。機械にはどうでもよいが、人間の目にとっては比較検討作業を行う上から重大事である。語にはそれを踏まえたすべての熟語、成句を添付するとともに、特に古典語にはその用例を出典と共に併記する。その他、縁語関係、相通語、渡り語関係はすべてメモの形で付記する。

 また本サイトでは語末の拍を重視し、語頭の拍と同様に配列した。すべての語が最低二度登場することになる。さらに地名をはじめ数多い固有名詞をとり込むことは言うまでもない。

 

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(21)方言の扱い方の難しさ。

 

 和語には、文字資料としては残らなかったものの、土地土地で今日まで言い継がれて来た言うところの方言が豊富にある。これらは、今日、ほぼすべて採集され印刷物になっているものと了解する。この方言を除外して和語の探索もあったものではないが、これがなかなか難しい。数が多くあり過ぎてどこまで取り込んでいいか分からない、意味のはっきりしないものが多い等々、手に余るのである。稀薄性、曖昧さと言い換えてもよい。

 

 現状では方言への対処法も定まらない。そこでまずやるべきことは方言のデータベース化である。これをパソコンに吸い上げ、ローマ字化を含め辞書語(中央語)と同じように処理できるようにすることが筆者にとっても今後の課題である。

 

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以上

 

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本サイトの著者:

足立晋(あだちすすむ)
昭和14(1939)年兵庫県尼崎市生まれ、京都大学文学部言語学科卒業、もと

日綿実業株式会社勤務、東京都小金井市在住。

著書「コンピュータ西暦2000年問題の衝撃」(実業之日本社 1996年)

  「私家版 和語辞典」(株式会社デジタルパブリッシングサービス 2016年)

  「私家版 和語辞典(増補版)」(同上 2018年)