「かぜ(風)」の正体 (003)

 和語には風の名前がいろいろある。風は日々の暮らしに直接影響し、各地でさまざまに吹くので、その分数多くの風の名前があるはずである。しかし方言には残っているのかも知れないが、辞書に引かれているのは30語程度であろうか。それを統一的に理解できないかというのがここでの課題である。

 

 そもそも「かぜ(風)」とは何か。日国の語源説欄には14説が上がっているが、筆者が注意をひかれたものは、

1、『カは気で大気の動き、ゼは風、すなわちジと同胞語で、カジ(気風)の転か〔大言海・音幻論=幸田露伴〕』と

2、『息をカザというのに同じ。カセの反ケ。気・息・風をカゼともケともいう〔俚言集覧〕』

 

のふたつである。「かぜ」の「か」を「香・気・息」などと結びつけたいのであるが、おそらく最終的にはそうなるのであろうが、そうすると「せ/ぜ」の処置に困る。

 

 そこですべての風語を画面に並べて眺めると、「何々の風」となるはずの語尾について、そこにぼんやりと相通語関係、縁語関係が見えてくる。「ち」「し」が風を意味することはまず疑いない。そこで典型的には「ti-si-yi」と「te-se-ye」で、まとめると「t-s-y」となる。おそらくこれが古い順であるであろう。さらによく見ると、「ち、て」のみならず、「た、ち、つ、て、と」のタ行全部に渡っているのではないかと気づく。そこで升目を作って全語を機械的に当てはめてみると次のような図が得られる。


  「た」        |「さ」         |「や」
  きた(北)      |いなさ/yiなさ      |
             |かざ(風)       |

 ----------―------------------------
  「ち」        |「し/じ」       |「yi」
  あふち(煽風)    |あなし/あなじ     |あyi/あゆ(あyiの風)
  こち(東風;あさこち)|あらし(嵐)       |ならyi(春ならyi、筑波ならyi)
  はやち/はやて(疾風)  |おこし(岩起こし)  |
                |おろし(颪)       |
             |こがらし(木枯)   | 
             |だし(だしかぜ)   |
             |つむじ(旋風)    |
             |にし(西)      |
             |ひがし(東)     |
             |まじ/まぜ        |
             |やまじ(山風)    |
             |わたし(雁のわたし) |
  ----------―------------------------
  「つ」        |「す」        |「ゆ」
  たつ(龍)      |           |あゆ/あyi(あゆの風)
  ----------―------------------------
  「て」        |「せ/ぜ」        |「ye」
  おひて(追風)    |あなせ/あなぜ      |はye(黒はye、白はye) 
  はやて/はやち(疾風)  |おぼせ        |
             |かぜ(風)      |
             |まぜ/まじ(真風)    |
             |やませ        |
  ----------―------------------------
  「と」        |「そ」        |「よ」
  しなと(科戸の風)  |           |


 この図が果たして妥当かどうか、いくつかをとり上げて考えて見たい。

 

 まずは最初に来る不審の「きた北」であるが、その前に「にし西」と「ひがし東」を見ておく。

 

「にし西」
 「にし西」には、西の方角を言うほかに、「西風」の意があることはよく知られている。古事記に「大和へに爾斯(ニシ)吹き上げて雲離れ退そき居りとも我忘れめや」(下・歌謡)とあるほか、更級日記にも「さし渡したるひたえのひさごの、北風ふけば南になびき、西ふけば東になびき、東ふけば西になびくを見て」の用例がある。本来的に方角か風かはともかく、西風の意があると見る。だが『「に」の風』の「に」は不詳である。

 日国の語源説欄に『日のイニシ(往)方の義〔和句解・日本釈名・志不可起・国語蟹心鈔・類聚名物考・和訓集説・名言通・和訓栞・言葉の根しらべ=鈴江潔子〕』と「太陽のyiぬ(往*去)方向」と見るものがあるが、これは無理である。変わったところでは本居宣長が『ナギシ(和風)の義か〔古事記伝〕』と思いがけない説を立てている。何か考えるところがあったのであろうが、これもとれない。

 

「ひがし東」
 日国の「ひがし」の項の冒頭に『「ひむかし・ひんがし(東)」の変化した語』との注記がある。しかしその語源説欄にはこの趣旨の説は見られず、第一位には『ヒガシラ(日頭・日首)の義〔日本釈名・志不可起・日本声母伝・国語蟹心鈔・雑説嚢話・類聚名物考・言元梯・紫門和語類集・本朝辞源=宇田甘冥〕』説が上がっている。これはさておいて、「ひむかし・ひんがし」を方角の”東”だけでなく”東風”もあるのかどうか。

 

 「ひんがし」と”東風”との関連について、日国「ひんがし」の語誌欄に次の記述がある。

『「古事記伝」の語源説によると、古形はヒ甲類で第三音節は清音。シは、「にし」「あらし」などのシかと考えられる。このシには風の意があり、そうすると、元来は東風を表わす語であったということになる。「更級日記」の「西ふけば東になびき、東ふけば西になびくを見て」の「東」がその例かとされるが、漢字表記のため語形は不明。』

 

 これだけでは「ひむかし・ひんがし」の「ひむか・ひんが」の何たるかも分からず、全体で”東風”を意味するとも言い難い。おそらく「日向かの風」とでも言うのであろうが、太陽は動くのでおかしなことになってしまう。「ひむか・ひんが」を地名と見れば、そこに向かって吹く風、そこから吹いてくる風としてあり得る。それはともあれ「にし」と並べて、ここは風の意ありとしておく。

 

「きた北」

 次は「きた(北)」である。上の図によって「た」に風の意があっても不思議ではない。『「き」の風』である。たしかに「きた北」には、北の方角を言うほかに、はっきりと「北風」の意の用例がある。土佐日記に「朝きたの出で来ぬさきに」の表現があり、これは「朝の北風が吹きだしてくる前に」の意とされているようである。さらに注目すべきは、日国の語源説欄によれば日葡辞書に『〔「Qitaga (キタガ) フク」』の記述がある由である。

 

 以上によって方角を言う「にし、ひがし、きた」にどれもその方角から吹いてくる風の意があると見られる。ちなみに「みなみ南」は、不詳語であるが、語形が大きく異なるところから別系統の語と見る。ただし日国には”みなみかぜ(南風)の略”として万葉歌「南(みなみ)吹き雪消はふりて射水川流る水沫の寄るへ無み〈大伴家持〉」が上がっている。このように四つの方角すべてに風の意があったとすると、逆にこれは当時の作りごと、約束ごとではないかとも思われるのであるが、この議論は別の機会に譲りたい。


「あらし嵐」
 「あらし」は直感的には「荒風」であろう。荒れ狂う風、大風である。三拍動詞「あらす」の名詞形でもあり得るが、時代的に見て「荒風」である。日国の語誌欄には『「万葉」をはじめ歌の世界では、主に「山から吹き下ろす寒い風」をいい、「やまおろし」とほぼ同義に理解されていたらしい』とあるが、それはそれとして、これでは狭すぎる。

 

「いなさ」
 「yiなさ」と見れば「稲風」となる。日国によれば物類称呼に「江戸にては東南の風を、いなさといふ」とある由である。語源説欄に『イナサ(稲風)か。またイタサ(痛風)の転か〔日本語源=賀茂百樹〕』とある。「さ(風)」の例ががひとつだけでは心もとないがやむを得ない。

 

「おぼせ」
 日国によれば、物類称呼に「伊勢の国鳥羽或は伊豆国の船詞に〈略〉四月よき日和にて南風吹。おぼせといふ」とある由である。「おぼ+せ」、即ち『「おぼ」の風』であろうが、「おぼ/おも」が判明しないことにはどうにもならない。

 

「おろし颪」
 「おろし」は「おろ(下*降)+し(風)」であろう。しかし風の名前というより、「雪おろし」「神おろし」「たなおろし」などと同じ単なる普通名詞ともとれる。三拍動詞「おろす」の名詞形である。

 

「こち(東風)」
 言わずと知れた「こち吹かばにほひ起こせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」の「こち」である。「こ(東)+ち(風)」のはずで、「こ」が方角の”東”を意味してくれるか、他の合理的な説明がないと困るのであるが、今のところ手がかりはない。成句に「うめこち梅東風、さくらこち桜東風、ひばりこち雲雀東風」などがある。

 

「しなと」
 通常「しなとのかぜ」として使われ、これ全体で「かぜ」の風の意という。「しなとべのみこと(級長戸辺命)」に由来する言われのあることばである。日国「科戸」の項の冒頭の注意書きに『「しなど」とも。「し」は風の意、「な」は連体格を示す助詞で「の」の意、「と」は場所の意』とあるが、「風の場所」というのも分からない。「しなと」を地名としてもその場所が特定されていない。ここは「しな+と(風)」、即ち『「しな」の風』と見たい。それには「しな」を突きとめなければならないが。

 

「だし」
 通常「だしかぜ(出し風)」と使われているが、これは「だし」の本意が忘れられてからの用語であろう。本来は「だ?+し(風)」、『「た/だ」の風』と考えられる。日国は「だしかぜ」の冒頭に「船を出すのに便利な風の意」と注記しているが、俄には信じがたい。物類称呼に「越後にて東風をだしといふ」とある由である。

 

「たつ(龍)」
 怪獣の「たつ」が”風”と言えるのか。「たつ」は、体は大蛇に似て水に潜み、空を飛んで雲を起こし雨を呼ぶ霊力をもつという。だが大もとは「たつ巻き」は空中にあってうず巻く風であり、「wuづ巻き」は水中にあってうず巻く水である。不詳語の「たつ」は、「た?+つ(風)」、即ち『「た」の風』と考えられる。上の図にもよく当てはまる。風神祭で知られる「たつた(龍田)」は「たつ(龍)+た(風)」の可能性がある。「たつ」が怪獣の「龍」となったのは後世の転と見る。

 

「ならyi」
 日国によれば「冬に山並みに沿って吹く強い風。その地方により風向が異なる」とし、「ならひ」としているが、これでは風にならない。これは「山並に沿って」の意を汲んで、「ならふ(倣ふ・並ふ)-ならひ」としたのかもしれないが、ここはやはり「ならyi」をとるべきである。「なら?+yi(風)」、即ち『「なら」の風』のはずであるが「なら」が不詳である。土地の名前を冠して「筑波ならyi、荒川ならyi」などがあるという。

 

「はやて/はやち」
 これは「はや(早*速)+て/ち(風)」で分かりやすい。疾風である。「はるはやて(春疾風)」がある。

 

「はye(南風)」
 西日本一帯で広く使われている語という。『「は」の風』である。


 結論的に、いくつかの無理や誤りは含みながらも、全体として上の図は成立するであろう。このリストをさらに充実させ、それぞれの風がそう呼ばれる土地の名前、また風の強さやその風による利益、不利益、吹き来たり吹き去る方向などさまざまな特徴を調べることによって、「か+ぜ」や「こ+ち」の「か」や「こ」のような風に被さる語の意味が判明していくと考えられる。

 

 当初の「かぜ(風)」は、「か+ぜ」、即ち『「か」の風』というところまでたどり着いたが、結局正体不明ということで終わった。完