人類は、二本足で立って歩き、言葉を話すことが二枚看板である。このうち歩行する意の和語動詞「あゆむ」と「あるく」はどのようにして成立したのだろうか。また「あゆむ」と「あるく」の相違であるが、現代語ではほとんど違いは感じられず、国語辞書でも「あゆむ」に「あるく」、「あるく」に「あゆむ」を引き当てている。しかし異なる二語が生き延びてきたからには、その成立の事情に応じた違いが意識されてきたからに違いない。その辺りも念頭におきながら考えて見よう。
1)「あゆむ」
われわれは、今や、和語は短小語から次第に長語化したという事実を知っている。とくに動詞の場合は典型的で、一拍語から、二拍語、三拍語、四拍語・・と長くなってきた。では「あゆむ」の場合、最初に「あ」があり、それが「あゆ」となり、次いで「あゆむ」となったのか。この場合、それではまったく理解がいかない。そこで次に語を分解して検討することになる。このとき語末の「む」を動詞語尾とすると、「あゆ+む」、「あ+ゆ+む」の二つの場合に分かれる。即ち「あゆ」を一語とみるか、二語と見るかとなる。ところで「あゆむ」のような母音語は、語頭の母音は意味のない接頭語である場合がほとんどであることが経験上分かっている。この場合も、「あゆ」はナンセンスであり、「あ(接頭語)+ゆ(実質語)」と考えるほかない。それに動詞語尾「む」がついた形である。
そこで一拍語「ゆ」の検討に入ることになる。手もちの一拍語リストから見て、これは「ゆる(揺る)」の「ゆ(揺)」しかないことが判明する。ここまで来るとやはり既成の動詞図を参照することになる。ちなみに「ゆ(揺)」であるが、ヤ行語「や、yi、ゆ、ye、よ」はどれも「揺る」の意をもっていることに注意したい。「ゆさゆさ、ゆらゆら、よろよろ」である。
大きな動詞図から必要部分をとり出すと次のようである。
ゆ(揺)-ゆく(揺く)-ゆかす(揺かす)「ゆき雪」
-ゆぐ(揺ぐ)
-ゆす(揺す)-ゆさふ(揺さふ)-ゆさはる《ゆさゆさ》
-ゆさぶ(揺さぶ)-ゆさぶる-ゆさぶらる
-ゆすぐ(揺すぐ)
-ゆすぶ(揺すぶ)-ゆすぶる
-ゆする(揺する)-ゆすらる-ゆすられる
-ゆつ(揺つ)-ゆたふ(揺たふ)「タ接:たゆたふ」
-ゆふ(揺ふ)
-ゆぶ(揺ぶ)
◎-ゆむ(揺む)
-ゆる(揺る)-ゆらく(揺らく)-ゆらかす-ゆらかせる《ゆらゆら》
-ゆらぐ(揺らぐ)
-ゆらす(揺らす)-ゆらさす-ゆらさせる
-ゆらさる-ゆらされる
-ゆらせる
-ゆらゆ(揺らゆ)-ゆらyeる
-ゆらる(揺らる)-ゆられる
-ゆるく(揺るく)
-ゆるぐ(揺るぐ)-ゆるがす-ゆるがせる「yiるがせ/ゆるがせ」
-ゆるす(揺るす)-ゆるさる-ゆるされる〔許す〕
-ゆるふ(揺るふ)-ゆるほす「ゆるほし縦シ」
-ゆるほふ
-ゆるぶ(揺るぶ)
-ゆるむ(揺るむ)-ゆるます-ゆるませる
-ゆるまる
-ゆるめる-ゆるめらる
-ゆれる(揺れる)
よ(揺)-よく(揺く)
〇-よぐ(揺ぐ)
-よふ(揺ふ) 「いさよふ、ただよふ漂、もごよふ」
-よぶ(揺ぶ)
-よむ(揺む)=よよむ(揺よむ)〔よぼよぼになる〕
-よる(揺る)-よろく(揺ろく)-よろける《よろよろ》「なゐよる田居揺」
-よろふ(揺ろふ)-よろほふ
-よろぶ(揺ろぶ)-よろぼふ(蹌踉)
ア接:あyiぶ(歩ぶ)
あゆく(歩く)-あゆかす
あゆぐ(歩ぐ)-あゆがす
あゆぶ(歩ぶ)
◎あゆむ(歩む)-あゆます-あゆませる
-あゆまふ
あよく(歩く)
あよぶ(歩ぶ)
あよむ(歩む)
オ接:およく(泳ぐ)
〇およぐ(泳ぐ)-およがす-およがせる
-およげる
およぶ(及ぶ)-およばす
-およぼす-およぼさる-およぼされる、
カ接:かゆふ(通ふ)
かよふ(通ふ)-かよはす-かよはせる「きかよふ来」
ク接:くゆる(薫る)-くゆらす-くゆらせる(「くゆらかす」の形も)
サ接:さゆる(揺る)-さゆるぐ
タ接:たゆふ(揺ふ)「たゆたに、たゆたふ、たゆらに/たよらに」
たゆむ(弛む)「たゆし/たゆたし、たゆたふ、たゆたに、たゆらに/たよらに」
たよふ(揺ふ)=ただよふ漂-ただよはす
マ接:まゆふ(迷ふ)
まよふ(迷ふ)-まよはす-まよはせる
まよふ(紕ふ)「まよひく紕来、まよひまじる、たがひまよふ」
サ接:さまよふ(さ+ま+よふ)
モ接:もゆらに
上記リストで◎印をつけたように、「あゆむ」は二拍動詞「ゆむ」に接頭語「あ」がついた形であるとの由来が判明した。
ちなみに語形も意味もよく似た「およぐ(泳ぐ)」も、〇印をつけたが、成立過程は「あゆむ」とまったく同じである。「よ(揺)」から出発し、「よぐ(揺ぐ)」を経て、接頭語「お」をとって「およぐ」が成立した。意味するところは、いずれも核となる「ゆ(揺)」「よ(揺)」にあり、力をこめて直進するのではなく、「ゆらゆら」「よろよろ」といった雰囲気で、地上や水中を前進することであろう。
2)「あるく(歩く)」
次に「あるく」であるが、これは理解しがたい語形であり、上記とは別のアプローチが必要と思われる。なぜなら「あゆむ」の場合のように、もしこの「あ」を接頭語と見ると、それが「るく」というあり得ない語に被さっていることになる。つまりこの「あ」は接頭語ではない。
日国の「あるく」の語源説欄には「あ」を「足」とする説がいくつか見られるが、「あるく」の「あ」は一般に「あ(足)」と考えられている。これには筆者も同意見である。この「あ」が、最も一般的な動詞語尾「る」をとって、二拍動詞「ある(足る)」を作った。やがて「ある(足る)」は、三拍動詞「ありく」「あるく」をハネ出した。意味としては、力を込めて直線的に前進することであろう。ところが二拍動詞「ある」には、ほかに「有る」「生る」「新る」「荒る」などがあって生存競争が激しく「ある(足る)」が生き残ることはできなかった。「歩行する」の意味では「ある(足る)」は消滅したが、その代わりに次世代形の「ありく、あるく」を今日に残したと考えられる。
これを図化すると下のようになるであろう。
あ(足)-ある(足る)-ありく(歩りく)
-あるく(歩るく)-あるかす-あるかせる
-あるける
-さるく(歩るく)(&-s相通形)
ここで興味深いのは、三拍動詞「あるく」の成立時期の問題である。「あし(足*脚)」の本来の和語は「し」であり、それが接頭語「あ」をとって「あし」となり、さらに時代が下ると接頭語の「あ」が足の意味を乗っ取った。従って三拍動詞「あるく」は、本来の「し」が「し→あし→あ」と変化し、さらにその「あ(足*脚)」が「あ→ある→あるく」と長語化した時点の語であると考えられるのである。それぞれの実年代については今のところ特定できないが、原初の「し」の時代からは相当の年数を経た後の姿であるであろう。万年あるいは数千年以前の「し(足*脚)」の時代には、あるいは「し」をもとにした”歩く”を言う語があったのかも知れない。
ところで、日国の「あるく」の語誌欄には次の記述がある。
(引用開始)
類義語「あゆむ」は一歩一歩の足取りに焦点をあてた語であるが、「あるく」「ありく」は足取りを超えて歩行移動全体に焦点が及ぶ。したがって、徒歩でなく、車に乗って移動するような場合にも用いられる。また、「あゆむ」が目標を定めた確実な進行であるのに対し、「あるく」「ありく」は散漫で拡散的な移動を表わすという違いも認められる
(引用終了)
「あゆむ」の語誌欄にも同様の説明があり、筆者(足立)の見解とはまるで反対である。用例を分析すると、このようなことになるのであろうか。後考にまちたい。完