和人の土地には小さな石が成長して(或いは集まって)大きな岩となるという俗信があったというが、そのことは”君が代”の中にしっかり歌い込まれている。その「いは岩」であるが、これがなかなか難しい。
この歌の通り「いは岩」は石の巨大なるものであり、岩石である。ところで「いは」には(&h)縁語と見られるものが見当たらない。「いし石」は、別に述べるように、イ接語「い+し」であって、「し」が石の意味をもち、「さ沙」「し石」「す洲」「せ瀬」「そ磯」のようなサ行縁語群(或いは渡り語)がある。しかるにそれが成長した筈の「いは岩」はまったく縁語をもたず孤立しているのである。どこか不自然な感じが拭えない。
よく知られた「いは(磐/岩/巌)」の用例に「ふね(舟/船)」に関わる「いはふね岩舟*磐船」(あまのいはふね天磐船、いはくすふね磐樟船、とりのいはくすふね鳥磐樟船など)がある。これはどの辞書にも”岩のようにがんじょうな船の意”とされている。しかし”岩の船、頑丈な船”ではどうにも得心が行かない。しかも空を飛ぶ舟である。ここは「いは磐」ではなく、「いは家」ではないか、人が乗ってくつろぐことができる「家舟」ではないかとの思いをもつ人が少なくないであろう。事実、日国「いは岩」の語源説欄に『イヘ(家)の古語イハと同語〔東雅〕』の記述があり、「いへ家」の語源説欄には『イハ(岩)の転。フエ(不壊)の意〔和語私臆鈔〕』とある。いずれも「いは」は単なる岩石ではないと主張している。
「東雅」の著者新井白石は、太古、人々は岩穴に住んでいたが、それをイハ、イハホなどと呼んでいたものが今日家を言うイヘ、イホ、イホリなどとなったとし、古語に家をイハ、イハロ、イハホロ、イヘ、イホと言うのも皆同じだと言う。
「いは」を含んだ用例、成句を拾い出して並べて見ても、「いはくye岩崩、いはたたみ岩畳、いはたて岩楯、いはとこ岩床、いはね岩根」のようにはっきりと岩か岩のように固いことを意味しているものをのぞけば、多くは「いは」を「いへ(家)」と読み替えても違和感がない。むしろよく理解できる。
”家”には「いは、いへ、いほ、いほり」の(&h)縁語群があり、このうち「いは」が岩穴住居に転用されたと考えられる。だがそうするといくつかの問題が出てくる。先ず、その頃の言葉には”岩”を言う語がなかったことになる。いやあったかも知れないが「いは」にとって代わられたのか。或いはそのもとの語が偶然「いは」だったのか。また岩穴住居と並んで平地に組み立て住居があって、むしろそちらの方が優勢だったことになるであろう。
そのような解決不能問題はさておき、”岩の舟”が空を飛んではあまりに具合が悪いのではないかと言う疑問は昔から大勢の人が抱いていたようである。完