「つき/つく(月)」と「とき(時)」は、どちらも不明語であるが、両者を(tk)縁語として括ることができるであろうことは、何となく、理解できる。
天体の月も暦の月も同じ「つき」であることは言うまでもない。大昔、時を決める基準としては太陽と月があったわけであるが、和人はそれに月を採用し、それが示す時間の流れを「とき」と呼んだということである。月には「つく」の形もある。
ここに「とこ(常)」が入ることも考えられる。流れとしての「時」を表現している。
これらの(tk)縁語群を補強するものとして、動詞「た-たく(長く)-たける」を引き込むことができないかというのがここでの課題である。
た(長)-たく(長く)-たかむ(高かむ)-たかまる
-たかめる
-たかぶ(高かぶ)
-たけぶ(長けぶ)
-たける(長ける)
-たつ(発つ)-たたす(発たす)-たたせる
-たたる(発たる)
二拍動詞「たく(長く)」は、物や事が”上に高くなる”意と”横に長くなる”意の二つを兼ねている。「たける」には”時間が経過する”という根本的な意味があり、年齢が長じる、その結果として盛の状態や時期を過ぎる、老齢になるという一連の時の経過を表わしている。「たつ(発つ)」の存在も「たく」の意味を支援するであろう。
これをもって「つき月」と「とき時」は、「とこ常」と「たく長」を合わせて、ひとつの縁語群を形成していると考えられる。完