親族名称図 (020)

 人間集団の言葉である限りにおいて、親族の名称、或いは呼称はもっとも基本的なもののひとつであろう。それが和語ではどのようなことになっているのか気になるところである。”親族”と言い切ってしまっては無理があるのかも知れないが、要は血族を中心とする人のつながりである。これまでに知られているものを集めて、自分(おのれ)を中心にして作図すると下のようになるであろうか。

 


 ひぢ/ひぢぢ(祖父)--ひば/ひばば(曾母)  ひぢ/ひぢぢ(曾父)--ひば/ひばば(曾母)
     |                               |
    ぢ/ぢぢ(爺)--ば/ばば(婆)        ぢ/ぢぢ(爺)--ば/ばば(婆)
           |                      |
           |                      |
 おぢ(伯父)\          /おば(伯母) おぢ(伯父)\          /おば(伯母)
       ち/ちち/しし/と/とと(父)           は/はは/か/かか/あも(母)
 をぢ(叔父)/         \をば(叔母) をぢ(叔父)/            \をば(叔母)
  |        |                      |       |
 いとこ       |                      |      いとこ
           ------------------------

                 |

                 |              よめ(嫁)・むこ(婿)
                 |              |      |

 に/あに(兄)・ye/せ/せひと---「わ、wu、を」(自分) --  つま(妻)・つま(夫)/をひと(男人*夫)

 ね/あね(姉)・〇〇       |                 |
 ----               |                     |

 おとひと(弟・乙人)        |               |
 いもひと(妹)           ----------------
  |                         |
 をひ(甥)                 こ/こども(子)
 めひ(姪)                   |
                        まご(孫)
                         |
                       ひまご(曾孫)

 


 場所が狭いので全部を書き切れないが、このように並べて見るといろいろなことに気づく。

 

1)父母の原初の語形は「ち」「は」であった。これが畳重して「ちち」「はは」と長語化した。別形の「とと、とうさん」「かか、かあさん」について、「ち」はおそらく「ち/と」で父を言う渡り語をなしていることの現れであろう。母の「か」系語は、「は-か」で(hk)相通語と見ると納得が行く。だがそうとすれば大もとは「は」ではなく「か」であったかも知れない。まとめると「ち/と(父)」と「か/は(母)」である。

 なお父を言う「しし」は「ちち」の(t-s)相通語である。母父の意の「あもしし」の「あも」については”雌性”を意味する”マ行渡り語”の項を参照いただきたい。

 

2)「ち」「は」を濁音化して、両親の兄弟姉妹について「おぢ」「おば」などのように接頭語をつけて用いている。これは接頭語をとったために濁音化したのかも知れないが、親の世代から一代さかのぼり、祖父母の世代を言い表している。さらにその上の曾祖父母の世代にも適用している。清音とその濁音の力関係を示す一例と考えられる。曾祖父母の世代につく「ひ」は、遠隔地を言う「ひな鄙」の「ひ」と思われる。世代を遠く下った「ひまご」の「ひ」も同じである。

 

3)両親の兄弟・姉妹は、”自分”からはそれぞれ「おぢ/をぢ」「おば/をば」である。父母それぞれの兄弟のうち父母より年上のもの(兄)を「おぢ(伯父)」、年下のもの(弟)を「をぢ(叔父/小父)」と言う。「お(老)」と「を(若)」を当てはめていると考えられる。同じように、父母それぞれの姉妹のうち、姉を「おば(伯母)」、妹を「をば(叔母/小母)」と言う。両親の兄弟姉妹の子が「いとこ」である。「いとこ」の由来は不明である。

 

4)表の中の両親の子である自分(=私)を言う語は、ワ行渡り語「わ、wu、を」である。これについてはこのブログに別に文章を書いているのでそれ(一人称代名詞と「わたし」の謎)を参照していただきたい。

 

5)自分の兄弟姉妹のうち、兄は「に」、姉は「ね」であったものが、接頭語「あ」をとって「あに」「あね」となって今日に至っている。ところが兄には「に」のほか、「ye/せ」がある。「ye/せ」は(y-s)相通語である。この「に」と「ye/せ」との区別は不明である。さらに「ye/せ」に相当する語が「ね(姉)」には存在しない。なければならないものであり、おそらく本来存在したものが伝わらなかったのであろう。

 

6)上記のような兄姉語に対して、弟妹を言う語に一拍語がないのは極めて不可解である。後世の説明語である「おとひと/おとうと(弟)」「いもひと/いもうと(妹)」しかない。これももとはあったものが何らかの理由で伝わらなかったのであろう。

 

7)自分の兄弟姉妹の子が「をひ(甥)」「めひ(姪)」である。問題は不詳の「ひ」の解明である。

 

8)両親の息子(自分)、特に長男のもとに来た女が、両親から見て「よめ嫁」である。「よそ」から、或いは「よこ」から来た女の意と考えられる。その「よめ」は、自分からは「つま(妻)」である。同様に、両親の娘(自分)、特に長女のもとに来た男が、両親から見て「むこ(婿)」である。「むこ」の由来は不詳である。その「むこ」は、自分からはやはり「つま(夫)」である。別に述べたように「つま」は「とも伴/友」や「たみ民」と縁語で、男女を問わない。従って男からも「つま妻」、女からも「つま夫」である。おそらく後になって女から言う「つま夫」には「をひと/おっと男人」なる説明語が生まれた。

 

9)「こ子」はやはり「こ小」に通じる。むしろ「こ小」は”子供”専用で、和語で”小さい”ことやものを言う語は「を」ないし「ち」であるであろう。子の子、つまり「まご(孫)」は、やはりひとつ「ま(間)」を置いた子、”間子”と見たい。

 

 以上いろいろ述べたが、これらがいつ頃の言葉なのか、実際に同時に使われていたのか、などは分からない。完