辞書よれば「まづし貧」の本来の意味は「不十分である、足りない」ということのようである。例えば生計を営む上でまだまだ必要十分な資金や物資を得ていないこと言う。また、完成にはほど遠い、未完成である、ということも言っている。「まだ」十分でない、「まだし」、イ接語「いまだし」である。
上記をもとに、(md)縁語と思われるものを列挙してみれば次のようになるであろう。
まだ/まだまだ、まだき、まだし、いまだ/いまだし/いまだに(未だ)
まぢ/まづ(貧)、まぢし/まづし/まどし(貧し)、まづ(先づ)、まで(迄)
みぢかし(短し)〔必要な長さに達していない〕
いずれも”まだ十分でない”という雰囲気である。現代語「まづし」はただ”貧窮”の意であるが、これはかなり新しい使い方と思われる。「まぢ貧」は、古事記の海彦山彦の段に「まぢち(貧鉤)」という成句で出てくるが、おそらくそれだけで今日に伝わっている語であろう。呪いの言葉の中で、役に立たない禍をもたらす釣針といった意味で「おぼ鉤、すす鉤、まぢ鉤、wuる鉤」とひとまとまりで出てくるが、どれも語釈は難しい。
「みぢかし短」が浮かぶが、これは仮名使い上サ行の「みじかし」が正しいとされている。ところが「みぢかし」であれば「帯に短したすきに長し」で、帯にするにはまだ十分でないという点でぴったり合うのである。ここでは「みぢかし」をとる。
いささか無理筋のようであるが、「むだ(無駄)」がここに入るように思われる。「むだち(無駄鉤)」が「まぢち(貧鉤)」通じるからである。完