和語にはいわゆる人称代名詞(自称/一人称、対称/二人称、他称/三人称)が多いことが知られている。ここではこの中から”自分”を言う代名詞「自称/一人称」をとり上げる。
「わし-わたし-わたくし」に代表される和語における人称代名詞の多様性は、それが時代や地域、男女、年齢、職業、社会的地位、対話者間の力関係、会話の場面などなどによってさまざまな形をとっているということである。和人の社会を考えるひとつの切り口になるであろう。小さな女の子が自分のことを「わし」と言ったり、反対にいかつい爺さんが「うち」などと言うと聞く人はおったまげてひっくり返ってしまうだろう。社会にとって重要なことばである。
解明作業はまず例語の蒐集から始まる。細かいことには捉われず出来るだけ多くの語を集める。次にそれを前にただ手をこまねいているわけには行かないので、例語を見ながら然るべき基準を設けて整理分類することになる。筆者は、先に「私家版 和語辞典(増補版)」において「自分」を意味する一人称代名詞は、ワ行一拍語の渡り語「わ、wu、を」であることを指摘している。「わたし」の「わ」、「うぬ」(俺とお前の両方の用例をもつ)の「wu」、「おれ」の「お」である。これらは本来ワ行語であったが、おそらくごく早い時期に(w-&)相通現象により「わ→あ、wu→う、を→お」を生じ、以来それらが本来は渡り語「わ、wu、を」であったことは忘れられて、「あ、う、お」語とまぜこぜになって使われてきたと考えられる。(万葉集3883歌で見られるように、万葉集時代でも既にワ行語「をのれ」がア行語「おのれ」になっていた。)そこでア行語は一旦機械的にワ行語に戻すこととする。そこで、縁語関係を念頭に、語頭拍別に分けてみる。
現在に残っている「私」を意味すると思われる「わ」「wu」「を」縁語群を整理すれば、次のようになるであろう。
「わ」
わ/あ(我*吾)(日国「わ」:自称。男女ともに用いる。日国「あ」:自称。男女ともに用いる)
わた・わたし/あたし・わたい/あたい(私)(日国「わたし」:「わたくし」の変化した語;自称。「わたくし」よりくだけた言い方。「わたくし(私)」のなまり。日国「あたし」「わたし」の変化した語、自称。主として女性が用い、ややくだけた語感を持つ。)
わたくし(私)(日国:自称。男女ともに丁寧な言い方として、多く目上の人に対して用いる)
わち/あち/わし/わい/あし(儂)(日国「わち」:自称。私;日国「わし」:「わたし」の変化したもの;日国「あし」:自称。わたし)
わて(日国:自称。わたし。あて。初め女性用語であったが、後、男性も用いるようになった。)
あて(日国:自称。私。女性が用いることが多い。)
わな/あな・あながち(日国:「あな」は自己、「かち」は勝ちか。自分勝手に物事を一方的に押し進めて、他を顧みないさまが原義と思われる。)
わぬ(日国:自称。「われ(我)」の上代東国方言。「うべ子なは和奴(ワヌ)に恋ふなも立と月(つく)のぬがなへ行けば恋ふしかるなも」万葉集3476)
わらは(童)(日国:「わらわ(童)」から;自称。主として女がみずからをへりくだっていう)
われ/あれ(我・我々)(日国:自称。わたくし。あれ。わ。)
「wu」
wu/う(我*吾)
wuち/うち(己)(日国:自称。関西を中心とする方言。主として婦女子が用いる。)
wuぬ/うぬ(己)(日国:対称/自称:オノレ(己)の略転〔和訓栞・大言海〕)
うぬ・うぬぼれ/おのぼれ(己・自惚)(日国:オノ(己)から。オノ(己)が性、オノ(己)が身の不変であるということから〔国語の語根とその分類=大島正健〕)
「を」
を/お(我*吾)(日国「お」:わたし。おれ。自分。われ。わ。)
をし/おい/おいら(日国「おい」:自称。同輩や目下に用いる。おれ。)
をの/おの(己)(日国「おの」:自称、われ)
をのれ/おのれ(己)(日国「おのれ」:「彌彦(いやひこ)於能礼(オノレ)神さび青雲のたなびく日すら小雨そほ降る〈作者未詳〉万葉集3883」)
をら/おら(俺)(日国「おら」:自称。本来は卑しい男性の使用する語であったが、江戸時代においては「おれ」「おいら」とともに江戸町人の女性も用いた。おらあ。)
をれ/おれ(俺)(日国「おれ」:自称。広く貴賤男女を問わず目上にも目下にも用いた。)
このように見てくると、和語の一人称代名詞は、ワ行拍の「ゐ、ゑ」を除き、「わ、wu、を」の渡り語から成っていることが判明する。上記の日国の説明は、どれも不十分であるが、現状やむを得ない。
次に語末拍で分類すれば次のようになるであろう。
タ行語:わたし、わち/わし、わて:wuち、
ナ行語:わぬ;wuぬ;をな、をの、
ラ行語:われ;をれ、をのれ、
ここから何を導き出せるかは今のところ不明である。
さて、ここで考えてみたいのが難語とされる「わたし、わたくし(私)」である。これは、上記を踏まえれば、「わた+し」「わた+くし」はあり得ず、明らかに「わ+たし、わ+たくし」と分解され、語末の「たし、たくし」の解釈如何となるであろう。
まず「たし」であるが、(ts)語に引っかかりそうなものはない。そこで気をまわして「たし」を「たち」の(t-s)相通語の可能性を検討すると「たち(達)」が浮かんでくる。これは増補版で指摘しているように「たち/だち-とち/どち」の(tt)縁語のひとつであり、「かみたち神、ともだち共、みたまたち御玉」などの「たち」である。ちなみに「とち/どち」については「うまひと(貴人)どち、いとこどち、おもふどち、をとこどち」などの用例がある。これを当てはめると「わたし」は「わたち」となり、それはまさしく「わ」の複数形、即ち「私達、私ども、われわれ」の意となる。これは、相手に対して直截的に私一個を打ち出すことを避け、「われわれ」とすることにより韜晦的に表現し、影響するところを和らげた表現であると考えることができる。このような使い方は今日も行われているはずである。つまり「わたし」は、本来の「わたち」の相通形、後日形であると考える。
ここで複合語「わたしたち(私達)」が注目される。上記を踏まえると、この語の構成は「わ+たち+たち」となる。これは、おそらく「わたし」が本来「わたち」であることが忘れられた後に、「わたし」を複数化する目的で「たち」が追加されたものと考えられる。
では「わ+たくし」は何か。ここで「たし」と「たくし」を別語と見ることは難しく、「たくし」は「たし」の長語形と見る。おそらく上長や貴人を前にして、単独の「わ」を引っ込めて「わたち」としたものを、時代が経過して「わたち」の「わ」性をさらに薄める必要が生じ、そのため「たち」を引き延ばしたのではないかと考える。しかし今は「たし」が語中に「く」をとり込んだ形で「たくし」と長語化したことを説明することはできない。だが筆者は、今は説明できなくとも、いつか「たし→たくし」と類似の長語化例が見つかることによって全体として納得できるようになるであろうと期待している。「たくし」の「く」にこだわることはなく、似たような例であればよい。宿題である。完