拙著「私家版和語辞典」などで、私は「たみ(民)、つま(夫/妻)、とも(伴/友)」の三語は(tm)縁語として括られ、本来一語と考えられると指摘してきた。その心は「血縁なき仲間」である。一人の指導者(きみ/おほきみ)のもとに共に助け合って生活する地域集団(集落)の中で暮らす人々が「たみ」であり、その中の特定の一対の男女の相手が互いに「つま」であり、ひとつの仕事をする仲間が男女を問わず「とも」である。
ついでであるが、従って「子ども」は、自分にとって最も濃密な血縁者であるので「私の子ども」と言うことは出来ない。自分の子供はあくまでも「こ(子)」であり、「わこ/あこ(我子)、我が子」でなければならない。「子ども」というのはあくまで自分が属する集落の中の「子なるとも(小さい仲間)」の意である。従ってその複数形の「子どもたち」が意味をもってくる。
さてここでもうひとつの同じ(tm/tb)縁語に属する「とめ/とべ」をとり上げたい。これは「荒河とべ、石凝どめ、苅幡とべ、級長とべ、名草とべ、丹敷とべ」のように人名のうしろにつけて使われる。日国「とべ」の項には『上代、人名の下に付けて用いる。敬称か。男女ともに用いる。とめ。』とある。典型的には古事記に登場する「いしこりどめ」、日本書紀に登場する「しなとべ」である。
この「とめ」とその(m-b)相通語である「とべ」について関連する辞書や参考書を参照しても説明が不十分であり、混乱を極めている。だがもちろん筆者にもそれ以上のことは分からない。以下は空想であるが、原始的な和語が成立して、徐々に分化、長語化していくある段階で、つまり特定の(tm)語から「たみ、つま、とめ、とも」などが分化出現した段階で、仲間どうしで「〇〇さん!」と呼びかけるような形で「○○とめ!」という言い方があった。だが、それはおそらく数千年という大昔の話で、7/8世紀の記紀万葉の時代には既にさまざまに変化して、現代のわれわれと同じように何のことかわけが分からなくなっていた・・・
「とべ」は地名にも少なくなく、縁語関係を踏まえた究明が待たれる。
なお、血縁なき仲間を言う(tm)縁語はこれで全てかとなると、まだ探査は終わっていないと言うほかない。「たま/たば」から「とも/とぼ」に至るすべての二拍コンビを画面に整列させ、諸辞書から該当する語をとり出して当てはめて考えるという作業が待っている。
完