さまざまな意味をもつ一拍語「と」の中に「場所」を意味するものがある。日国「と(所*処)」の項によれば『他の語に付いて、ところ、場所の意を表わす。連濁で「ど」ともなる。「せと(瀬戸)」「くまと(隈所)」「こもりど(隠処)」「たちど(立所)」「ねど(寝所)」「ふしど(臥所)」など。』ということである。
ところで、和語には”渡り語”という現象があり、特に一拍語には、同じ行の中で、渡り語があるのが普通である。「まぶた」の「ま」、「めがね」の「め」はどちらも同じ「目」としてわれわれに訴える。この「ま」と「め」、さらに「見る」の「み」が一群のマ行渡り語である。「む」「も」についてももっと探せばこの渡り語の中に入って来るものがあるかも知れない。例えば「もとめる」の「も」は「目」である可能性もなしとしない。ではここでとりあげた「場所」を意味する「と」には渡り語はないのだろうか。周囲の状況から、ないはずはないと思われるのである。
そこで例えば「た」を考えて見ると、渡り語候補として次のような語が考えられる。
「した下(し下+た)、ぬた/のた沼田*垈(ぬ/の沼+た)、はた/はな端(は端+た)、はた畑(は葉+た)、また股(ま間+た)」
これらの語末の「た」は「場所」の意ととっても無理はない。少なくとも今のところこれらの「た」を理解する方途がほかにない。「しも下」については「かはかみ川上、かはしも川下」があって、何となく「も」を理解した気になっているが、「した下」の方にはそうした手がかりもない。そこで「し下+た処」である。「はた畑(は葉+た処)」はいささか苦しく、ほかにしっかりした説があるかも知れない。一方「また股(ま間+た処)」は、一見苦しそうであるが、日国「また」の語源説欄に「マト(間所)の義〔言元梯〕。間立の義か〔和訓栞〕」が見える。これ以上はない援軍である。
ここで興味深いのは上記「はた/はな端」の存在である。端っこを意味する「はた」とともに、「た」の(t-n)相通語「な」をとった「はな(端処)」があることで、思いがけなくも遠方を言う万葉語「ひな鄙」が同じく「ひ鄙+た/な処」ではないかとの見通しが得られたのである。
以上によって「と所*処」の渡り語「た」の存在を認めてよいと考えられる。「と」「た」は「ところ所」といった抽象的な意味のほかに、「つち、とち、すな、どろ」といった具体的な土石を言う語でもある。だが和人がそれに依って立つ大地は、タ行語だけでなく、大きくサ行語、タ行語、ナ行語によって表現されている。これについては別にまとめて報告するつもりである。
完