「きよ、けや、こよ」 (54)

 終戦後間もなく「長崎の鐘」という歌が流行った。「こよなく晴れた青空を悲しと思うせつなさよ」で始まる藤山一郎の端正な歌声がいつもラジオから流れていて、今も耳に残っている。ここでとり上げたいのは冒頭の「こよなく晴れた青空」という文句である。これは言うまでもなく「からっと、きれいに晴れた」という意味で、日本人であれば一人残らずそう理解して聞いていた。しかしながら「こよなく」はほとんど古語で、日常使われる語ではなく、用例にもとづいて説明することなどは難しい。

 

 後になってローマ字化した和語をPCに寄って調べてみると、「こよなく」は、「きよし(清し)、きよむ/きよまはる」「けやか、けやに、けやけし」と並んで(ky)縁語群を作っていることが判明した。現代語では「清い」に代表される状況であろう。「こよなし」とは、「きたなし」と同じく、「こよ」がいっぱい、「こよさもこよし」の意となる。どこまでも清く晴れた空である。「けやけし」も同断である。それとは知らず「こよなく晴れた・・」と歌っていたが、(ky)縁語とは知識としては知らずとも、頭の中のどこかで(ky)音をそれと受けとっていたと考えられる。

 

 万葉歌「・・寒水の心も”けや”に思ほゆる音の少なき道にあはぬかも・・m3875」の「けや」もこの「きよ、けや、こよ」語であるであろう。