人が鼻や口から吸い込んだり吐いたりする「き気」は、漢語でも「気(き)」であるが、これはれっきとした和語である。和語では「き気」は、「き」だけではなく、次に見るように「か/き/く/け/こ」の五段にわたっている。
|か|か/かをり香、かぜ風
|き|き酒/くろき黒酒/しろき白酒/みき神酒、きり霧、いき息
|く|いく生
|け|けはひ気配、さけ酒、ゆげ湯気、(いけ池)
|こ|こり香
このうち「かぜ風」は、筆者は「か気+ぜ」と見るが、「ぜ」の意味も不明で、根拠らしいものはなく残念ながら雰囲気だけである。「きり霧」は二拍動詞「き気+る」の名詞形なることは大方認められている。
(1)「生きる」
空気をはじめさまざまな気体、特に香気を言うカ行渡り語のうち、「く」が”息をする”という意味の本来の一拍語と考えられる。今日ではそれが接頭語「い」をとった形の「いく(息く)」(息をする)が意味範囲を広げて、そのまま”生きる”を言う動詞となっている。和人にとっては、生きるとは息をすることである。二拍名詞「いき(息)」は、「いく」の名詞形と見るか、「き(気)」のイ接語と見るか、細かいこととは言え悩ましい。
イ接語「いく」の動詞図は次のようである。
く(気)⇒いく(生く)-いかす(生かす)-いかさる-いかされる
-いかる(怒かる)-いからす-いからせる
-いきむ(息きむ)
-いきる(生きる)
-いける(生ける)「花を活ける」「いけ池」
-いこふ(憩こふ)(息を継ぐ)
おく( )-おこる(怒こる)-おこらす-おこらせる
今ひとつすっきりせず、寄せ集めのような感もあるが、「息」をもとにした一定のまとまりはあると見る。
言うところの「いけ池」は、昔から『イケ(生)の義。魚を生けておくことから〔桑家漢語抄・日本釈名・箋注和名抄・雉岡随筆・和訓栞・大言海〕』(日国、池の語源説欄)とされている。さらに「いけす生簀」は、池の中に竹の簀を丸く立ててその中に魚を入れて逃がさないようにしたもので、「池簀」とかけてそう呼ばれているということである。特に異論はない。
(2)「さけ(酒)」
上記の「気」図から見る限り、和人は、液体の「さけ酒」を気体として捉えていた。精気である。液体そのものより酒から立ち上る香気に注目した名づけと思われる。「さけ」の「さ」は、これは昔から「さつき五月、さなぶり早苗饗、さなへ早苗、さみどり、さをとめ早乙女」などの”稲”を意味する「さ」とする見方がある。
問題はこの「さ」である。日国の「さなぶり」の語誌欄によれば『民俗学では「さ」とは「田の神」を意味し』とあるが、国語学ではそこまで踏み込むことは難しく、筆者もやはり「さ」は”稲”と見る。では、はたして「さ」が「yiね(稲)」を意味することがあるのかどうか。「yiね/しね、よね」の語末の「ね」は調子を整えるための接尾語でそれ以上の意味はない。「やね屋根」の「ね」と同じである。本体は「yi/し、よ」で、「よ」は「yi」の異形とすると残るは相通語どうしの「yi/し」だけとなる。問題の「さ」は、この「し」の渡り語のひとつ、或いは縁語と見ることができる。
「さけ」は結局”稲気”ということになるであろう。稲の精気である。まことに幼稚ながら、筆者の国語理解からはこう推測することができる。なお米以外の穀物を原料とする酒についてはここでは考えていない。
完