「つ(水)」とそのタ行渡り語 (66)

 筆者は、先に、二拍語「みづ(水)」は「み御+つ水」と分解され、和語の水の本来の形は一拍語「つ」であることを示した。この「つ」が「つ → みづ → み」と変化し、いつか「つ」は忘れられて「みづ」と「み」が残るに至った。記紀万葉の時代にはすでに「つ」は知られていなかったと思われる。

 

 ところで、「つ」は本来単独にあるのではなく、タ行渡り語「た、ち、つ、て、と」のひとつとしてあると考えられる。「つ」を含むタ行渡り語は、”水”とともに身体の中をめぐるさまざまな体液を意味していると考えられる。

 

た:「なみだ(涙)」
「なみた/なみだ」は、目から流れ落ちてくる水であることに鑑み、「なみ並*波+た/だ」と見ることができる。このとき「た/だ」は「つ水」の縁語で、「つ」を含む渡り語のひとつと見られる。「なみ」は「やなみ家並、やまなみ山並」の「なみ」で、浜辺に次々と打ち寄せる波のように「ぽろぽろと落ちてくる水」の意となる。
--
ち:「ち(血)」、「ち(乳)」
--
つ:「つ(水)」、「つ(唾)」、「つ(血)」、「つ(精液)」
 「つ」が「つ水」のほかに「つ/つは/つば/つばき(唾)」を言うことは問題ないとして、「ち」が”血”や”乳”を表わすところから類推して、「つ」は”精液”も表わしたと考えてよいであろう。精液を表わす古語は今のところ知られていない。江戸川柳では”腎水”と呼ばれていた由で、やはり「みづ」である。金よりも水がほしいと隠居言い。
--
て:
--
と:「と(水)」
 「せみど(清水)」は、「しみづ/すみづ(清水)」の異形で、「ど」は「つ水」の渡り語と見ることが出来る。前項の「せみ/しみ」は不詳である。深い土の中から「しみ」出してきた水とする説がある。また「ゐど井戸」であるが、これは水を汲むところではなく、「ゐど堰水」(堰き止められた水)そのものととるのが妥当と考えられる。

 

 「ゐど井戸」について補足すれば、日国「いど井戸」の語誌欄に次の記述がある。
 「井戸は近世中期頃まで掘り込み式のものは少なく、当初自然の湧水中心であった。江戸では享保頃から「掘り抜き」(深井戸)を掘る技術が発達し、やがて「あおり」という道具で簡単に深井戸を掘れるようになり、後には上総掘りと呼ばれる工法が全盛となった。」

 

 ここに見るように、「井戸」と言えば我々は直ちに釣瓶(つるべ)や手押しポンプのついた掘り抜き井戸を連想するが、18世紀半ばに水利事業が始まり深井戸が掘られるようになるまでの気の遠くなるような長い時代は水を堰き止めて池や水溜りを作る「ゐど(堰水)」の時代であった。「井戸」では意味をなさず「堰水」でなければならないであろう。

 

 「井戸」にはどの辞書も手を焼いていると見えて、苦しい説明をつけている。どの辞書もまず「ど」は「処、所」の意と規定し、次に「ゐ井」は、湧水や流水を堰き止めて水を汲みとる所とする。これでは「所」ばかりで肝心の「水」が出てこない。もし「ど」を「処、所」の意とすると「ゐ」は水の意でなければならないところである。

 

 この伝で行くと、ほかに「しと(尿)」や「よど(淀)」の「と/ど」も”水”の意となるであろう。ただし「し」や「よ」は不明である。

 

 このように水や体液を意味する「つ」も、「て」を欠くとはいえ、きれいな渡り語をつくっている。和語にあっては語は孤ならず、子音を同じくする縁語群とともにあることが大きな特徴である。またそれを見出すことが語釈の鍵となる。完