いつの頃からか、五年前か十年前か、さほど遠くない昔から「よろしくお願いします」という文言を耳にすることが非常に多くなった。この言葉が日常生活にテレビに溢れている。その昔は「よろしくお願いします」と言われれば「こちらこそ(どうかよろしく)」と答えたはずであるが、そのような問答もなくなった。このあたりはいずれ識者による解説があるであろうから、それを待ちたい。
その問題はおいて、ここでは「よろしくお願いします」をきっかけに、「よろしく」-「よろし」-「よし」-「よ」とさかのぼって、和語における「よい」ことの全体像を描き出して見たい。
和語で「よし」は「よ(善*良)+し(語尾)」と分解され、一拍語「よ」が”善*良”の意味を担っている。ところで一拍語には多くの場合”渡り語”があり、「よ」の場合はヤ行の五段「や、yi、ゆ、ye、よ」に渡って同じ意味をもった語が異形として存在する。状況はいささか混沌としているが、整理してみたい。
1)派生語
≪イ接≫ ≪イイ接≫ ≪シ接尾≫ ≪イ接/シ接尾≫ ≪ラ入≫
や(彌) いや いいや やし いやし やらし(いやらし嫌*悪)
yi(忌) いyi いいyi yiし(おyiし) いyiし yiらし
ゆ(斎) いゆ いいゆ ゆし(ゆゆし) いゆし ゆらし
ye(善) いye いいye yeし いyeし yeらし(偉し)
よ(良) いよ いいよ よし いよし よろし
「や彌」には便宜的に”彌”の字を当てている。「やよひ(彌生)」であるが「や(良)+おひ(生)」で草木が”よく生育している”意であろう。次にイ接語「いや(イ彌)」は、「いやさかはyeに彌盛栄、いやましに彌益」などは本来の「よく」の意味を残しながら、反対の「いや(嫌*悪)」と同語と見られる。これは後の「いいや」「やらし、いやらし」などについてと同じ見方で、「や」という本来的に”良いもの、好きであるべきもの”に対して丸で逆の嫌悪の気持ちをもたせている。この逆転現象を、他に同様の例があるかどうかを含めて、どのように説明すべきか、今は筆者には述べる用意がない。だがこれをおいて、現代語の「いや、いやいや」「いいや(ダメ)」「いやしい(卑)」「やらしい、いやらしい」を説明することは出来ないのではないかと考えている。
また古文には「おほやしま(大八洲)」「やくも(八雲)」「やそか(八十楫)」「やたがらす(八咫烏)」「やへがき(八重垣)」「やほよろづ(八百万)」「やまたのおろち(八岐大蛇)」のような「や(八)」のつく語が多く出てくるが、これは「よ(良)」の渡り語の「や(良)」と見るほかない。「よかれ」の意の「や」である。
「yi」と次の「ゆ」は、本来は”善良”の意である筈であるが、神の力を讃える意に転用している。「yiし(良し)」に接頭語「お」がついた「おyiし(美味し)」がある。「おいしい」である。「ゆ」はイ接動詞「いゆ(癒ゆ)」をつくる。病気や怪我がよくなる、である。
「ye」の「いいye」は「いいよ(良いよ)」の筈であるが、これまた否定の間投詞「いいye」となっているようで、不可解である。「yeし」は「yeい-yeえ(ええ)」の形で関西弁で”良し”の意に普通に使われている。「yeらし」は”偉し”と考えられる。
「よ」は「よし」「よろし」の形で今日も最も日常的に使われている。
最後に「やらし、yeらし、よろし」がそうであるが、語中にラ行拍が入り込んでいる”ラ入語”が少なからず存在する。「からし辛、くろし黒、しろし白、」など形容詞に多く、ほかに「かむろき、すめろき、ひもろき」などがある。このラ入語については別にまとめて論じる。
2)動詞図
や(彌)-
yi(斎)-yiつ(斎つ)「yiがき斎垣、yiくし斎串、yiくひ斎杙、yiつき斎槻」
-yiふ(斎ふ)-yiはく(結はく)
-yiはす(言はす)-yiはさる-yiはされる(言ふ)
-yiはせる-yiはせらる-yiはせられる
-yiはふ(祝はふ)-yiははる-yiははれる(結はふ)
-yiはゆ(言はゆ)「いはゆる所謂」
-yiはる(言はる)-yiはれる「yiはれ謂」
-yiむ(斎む)-yiます(斎ます)-yiましむ-yiましめる(「yiむ」ようにさせる)
-yiまふ(斎まふ)「yiまはし、yiまyiまし(忌々シ)」
-yiまむ(斎まむ)
-yiもふ(斎もふ)
-yiる(言る)-yiらふ(答らふ)-yiらへる
ゆ(結)-ゆす(結す)-ゆすふ(結すふ)「まゆすひ真結m4427」
-ゆふ(結ふ)-ゆはく(結はく)〔言ふ〕「ゆひ結、かみゆひ髪結」
-ゆはす(結はす)-ゆはせる
-ゆはふ(結はふ)-ゆははる-ゆははれる
-ゆはへる-ゆはへらる-ゆはへられる
-ゆはる(結はる)-ゆはれる
-ゆむ(斎む)-ゆまふ(斎まふ)-ゆまはる
-ゆまむ(斎まむ)
ye(結)-yeふ(結ふ)「かたyeふ方結」「yeひ結」
ye(善)-yeる(選る)-yeらふ(選らふ)「yeらし偉し(選らシ)」
-yeらぶ(選らぶ)-yeらばす-yeらばせる(”善い”ものを見分ける)
-yeらばる-yeらばれる
よ(善)-よく(善く)-よける(善ける)(”善い”ものをとり分ける)
-よる(選る)-よらす(選らす)-よらせる
-よろふ(選ろふ)「とりよろふ」
イ接:いゆ(癒ゆ)-いやす(癒やす)-いやさる-いやされる
-いyeる(癒yeる)
ム接:むやふ(舫ふ)〔「む+ゆふ結」の転〕
モ接:もやふ(舫ふ)〔「も+ゆふ結」の転〕
今日、普通に”しゃべる”意の「いふ(言ふ)」は、”斎ふ”が当てられるように、”神に誓って言う、神に向かって言う”意があるように思われる。髪を「ゆふ(結ふ)」ことも神事であり、さまざまな約束ごとの「ゆひ」も神との約束であったであろう。
「yeる(選る)」「よる(選る)は、雑多なもの中から何をとり出してもいいのではない。この語自体が「yeえもの」「よいもの」をとり出すことを命じているのである。
「ひより(日和)」は、本来「日選り」であり、”天気の良い”日を選ぶ意である。「日選り」の結果選ばれた天気の良い日をいつか「ひより(日和)」と呼ぶようになったと思われる。「日選り」には同意の異形「ひyeり(日選り)」がある。
以上長々と「よろしく」について述べてきたが、これでも「よし」を含むヤ行渡り語の全体像のおそらく半分程度にしか触れていないと思われる。残り半分はまだ和語の中に隠れている。ついては上記を踏まえて、残る半分の発掘にご尽力いただきたく、どうか「よろしくお願いします」。完
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