「ほし(星)」とは何か。日国の「ほし(星)」の語源説欄には十箇の説あがっている。その中で語学的な観点から見れば『ホイシ(火石)の義〔和句解・名言通・和訓栞・日本古語大辞典=松岡静雄〕』説が妥当のように見える。”火”は大昔はハ行渡り語「ひ/ふ/ほ」のどれかで呼ばれていたであろう。「は」もあったに違いない。この場合は「ほ」である。また「いし(石)」はイ接語「い+し石」で、本来は「し」である。従って「ほし(星)」は「火石」そのものとなる。疑問の余地はない。しかし本当にそうか。
和人が夜空にきらめく星々を「ほ(火)」と見ることが自然のなりゆきであったのかどうかには検討の要がある。太陽を「ほ(火)」の塊りと見ることは、それが地上に送ってくる暑熱によって自然である。近代の科学もそのことを証明している。しかし月となるとまるで反対で、冷たさしか感じない。事実、月は火ではない。そこで夜空に輝く星々であるが、これは火なのか、火でないのか。近代科学によれば、ほとんどすべて恒星で火の玉である。「ほし(火石)」説から見ると和人は星を太陽と同じ熱い火の玉と見ていたことになる。和人は生まれながらの科学者であったようである。
だが翻って考えて見ると、二万年、三万年の昔、和人が夜空の星を見て”あれは火の石の玉だから「ほし」と呼ぼう”と誰かが提案し、その夜の会合に居合わせた人々が賛同してそのように”命名”することがあっただろうか。その決議が大八洲(おほやしま)に広がったのだろうか。どう考えてもそのような命名劇はありそうにない。それ以外のさまざまな場面を想像しても、例えば「ほし(星)」の場合、理屈をこねて命名に至ったとすることは難しい。それを二万年、三万年の後のわれわれがああだ、こうだと穿鑿するのは見当違いではないのか。無意味ではないのか。このサイトでもかかる茶番を多く演じているに違いない。
では、例えば「ほし(星)」という語について何か言えることはないか。また日国に返ることになるが、その語源説のひとつに『ホチホチ(斑点々々)の義〔言元梯〕。斑点の意のポチポチから〔国語の語根とその分類=大島正健〕』が見えるが、おそらくこれが正解であろう。模写語か何か知らないが、小さな丸い点を言う「ぽち」である。大昔はこれを「ほし」と言っていたとしても無理はない。
ここまで来れば「ほし」「ぽち」「和語」で三題噺にしなければならないところであるが、まだその用意はない。完
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