「まご」と「ひまご」はともに問題含みの語であるようである。どちらも時代別国語大辞典(古代編)には登録もされていない。用例は非常に少なく、古語と認められていない。
「まご」の由来には多くの説がある。まず「うまご(孫)」の変化したものという見方がある。これは二拍動詞「うむ(生)」が先ずあって、それが「こ(子)」をとった「うまご」が後に接頭語「う」を落として「まご」に短縮したということのようである。数少ない用例からするとこのようになると考えられる。上代語に”孫”の意と見られる二三の「うまご」があり、その後「うまご/むまご」の用例を残しながらも、「まご(孫)」の語が出現するところから『「うまご」→「まご」』の変化を認めるようになったのであろう。
だが「うまご」という語頭に母音をもつ長い三拍語は古い時代には存在しなかった。先に「まご」があってそれをもとに「うまご」が生まれた、或いは「うまご」とは無関係に「まご」が生まれた、と考える方が理にかなっている。資料の上からは先ず「うまご」があって、後に「まご」が出現したという事実は認められるとして、それは「うまご」が「まご」になったということではないと思われる。
「まご(孫)」が「ま+こ(子)」と分けられることは「すめみま(皇孫)」の語が残っているところからも認められる。その「ま」をめぐって「まこ(間子)、まこ/まのこ(真子)、またこ(又子)、うまこ(味児)」説などがある。待っていた子の意味で「まこ/まちこ(待子)」もあるかも知れない。「待つ」は「間つ」との見方もある。「まこ/まなこ(愛子)」もあるかも知れない。それはともあれ、今日になって「ま+こ子」の「ま」をこれひとつと突きとめることは難しいように思われる。
次いで「ひまご(曾孫)」であるが、これは「ひ+まご」で、「ひな(鄙)」の「ひ」と考えるのが常識的である。一世代おいた遠い孫である。ところが、日国によれば「ひまご」は、実に16世紀末の”羅葡日辞書”に初出であり、「西日本起源の語で、江戸時代後期以降も江戸(ないし東日本)では一般に用いられない」という。
基本語中の基本語であるはずの”子の子”を指す語が定まらないのは驚きである。用例が少ないのは単なる偶然であると言えないのは、和語は何しろ万葉集を抱えているからである。そこに”孫”の語がないとは。問題の根は深いと言わざるを得ない。完
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