四方を海に囲まれた島々に住んでいる日本人には海はまことに身近である。われわれの祖先は大海を筏や舟に乗って大陸からやってきた。ではその海とは何か。いやそもそも海をなしている水とは何か。もちろん地理学や物理学ではなく、語学の上でである。
結論から先に言えば「うみ」の原始の形は一拍語の「う」であり、「みづ」は同じく「つ」であった。それが長語化の作用によって「う→うみ」「つ→みづ」と長くなって二拍語の安定形となり今日に及んでいると考えられる。和語では、多くの場合、語は生れたときは一拍語である。特に人間生活に直接関係する基本的な語ほど一拍語である。そこで海も水も一拍語であったと考えることには無理はない。
ただ”海”はア行語の「うみ」ではなく、ワ行語の「wuみ」である。「わ、ゐ、wu、ゑ、を」の真中の「wu」である。学校で習う五十音図では「ゐ、wu、ゑ」は空欄になっているが、大昔は五十音すべて確実に使われていた。和語には本来母音が語頭にくる語は存在しないので、いくつかの類例を踏まえて、「wuみ」から出発することとする。
「wuみ(海)」
まず「wuみ(海)」であるが、これを探っていくとすぐ気のつくことであるが、「wuしほ(海潮)、wuなかみ(海上)、wuなさか(海界)、wuなはら(海原)」などの成語に当たることで、これらの語頭の「wu」は”海”であろうということである。それ以外にない。日国の語源説欄でも「ウは海〔和句解〕」など”海”は「wu」であったとするものがいくつかある。ところがこれを「wuみ」に戻すと「wuみ=wu(海)+み(水?)=海水(?)」となって、たちまち破綻を来す。
これは「wuみ」がただの”海”ではなく、”海水”の意だったということになれば解決である。ところが「wuみ」をもつ成句を時代別国語大辞典上代編で見ると「wuみが(海処)、wuみさち(海幸)、wuみさを(海棹)、wuみぢ/wuみつぢ/wuみつみち(海道)、wuみのかみ(海神)」などと、”海水”を思わせるものはない。上代ですでに「wuみ」は完全に”海”である。
「みづ(水)」
ここで「wuみ」をもう一段さかのぼるために「みづ(水)」をとり上げる。試みに古語辞典から「みづ」と同じ「み+〇」型の語を拾い出して見ると次のようになるであろう。「み」には通常”御”の字が当てられるがここでは省略している。「み」は敬意を示す接頭語と考えられ、それに続く一拍語が意味を担う語である。
「みか甕、みき酒、みき(木*幹)、みけ笥、みけ木、みこ子、みこ籠、みす巣、みそ十、みた田、みち(路*道)、みつ津、【みづ(水)】、みて手、みと門、みな名、みね(峯*嶺)、みの野、みは歯、みほ穂、みみ身、みめ目、みめ妻、みも裳、みも喪、みや(家*宮)、みゆ湯、みよ世、みわ酒、みゐ井、みを尾、みを峯」
「みづ(水)」は、明らかに「み(御)+つ(水)」と考えられる。だがこれまで「つ(水)」が注目されなかったのは、「みづ(水)」が「みき(幹)」「みち(道)」「みね(嶺)」「みや(宮)」などと同じようにおそらく非常に古くに成立し、非常によく熟していて、漢字の「水、幹、道、嶺、宮」が”み(御)”の音を取り込んでそれに続く語と完全に一体化しているためと考えられる。しかも「つ」については、”水”を言う「つ」に当てるべき漢字を見つけることがなかった。この一事をもってしても「みづ(水)」はもとは「つ」であったと言うことができるであろう。
原始の一拍語「つ(水)」は、時間の経過とともにいつか接頭語「み」をとって「みづ」となり、その後語末の「づ」を省いて単に「み」とも言うようになった。「つ→みづ→み」である。絶対年代は今となっては知る由もない。「wuみ(海)」は新しい水の「み」時代の造語で、当時はおそらく海水の意であったが、いつか海の意に移行したのであろう。下に出てくる「wuづ」「wuなづ」などは、逆に最初期の「つ」時代の語であるであろうと考えられる。
「wu(海)」と「つ(水)」
1)「wuづ(渦)」
鳴門の”渦潮”で言うところの「うづ(渦)」であるが、これは「wuずしほ(渦潮)」「うづまき(渦巻)」の省略形と見られる。そうとすれば、「wu(海)+つ(水)」潮/巻きと考えられる。「wu(海)」説を支援するであろう。ただ「wuづ」には湾曲地形を言う「わだ」があり、同じ(wd)縁語として検討の余地がある。
2)「wuなづ(海の水)」
天武13年11月紀に「大潮高く騰(あが)りて海水(wuなづ)飄蕩(ただよ)ふ」があり、”海水”の読みに「wuなづ」が当てられている。「wu(海)+な+つ(水)」であることは明らかである。
3)「wuを/ゐを(魚)」
別に述べるように、和語にあっては”魚”は本来「を」であったと考えられる。「おほを/おふを(大魚)、しろを(素魚)、ひを(氷魚)、wuを(海魚)」などの「を」である。さいごの「wuを」であるが、これはここで問題の「wu(海)+を(魚)」であり、言うまでもなく淡水魚ならぬ”海魚”の意と考えられる。今日の「うおいちば(魚市場)、うおがし(魚河岸)」の「うお」である。
「ゐを」はやはり「ゐ(海)+を(魚)」で、「ゐ」は「wu」の渡り語と見られる。次の「わ(海)」と並んで「わ/ゐ/wu(海)」と渡り語を形成していると見ることが出来る。
4)「わた(海)」
「わたつみ(海神)、わたなか(海中)、わたのそこ(海底)、わたのはら(海原)」などの「わた」をどのように考えるか。ここは、「わ」は「wu(海)」の渡り語、「た」は「つ(水)」の渡り語として、「わ(海)+た(水)」ととることが可能であると言うにとどめる。別に述べたが、「なみだ(涙)」の「た/だ」が「つ(水)」の渡り語とみられるところから、「わた(海水)」が考えられる。
なお、時代別国語大辞典上代編は、かつて海が葬場の一つであったことに鑑み、海を意味する「わた」を他界、遠土を言う「をち/をと」と結びつけようとする説を紹介している。
5)「あま(海女)」は「わま」か。
「あま(海士*海女)」をどのように理解すればよいか。もしこれを海に潜って鮑などをとる女性に限るとすれば、「あま」は「わま(海女)」の(w-&)相通語としてすんなり理解できる。「あま(海女)」のことを「あまをとめ」と言って「あまをとこ」とは言わず、「をとこあま」とは言ってもわざわざ「をとめあま、をみなあま」などとと言わないところからも、「あま」は”海女”として無理はないと考えられる。別に「女性性を言うマ行渡り語」の項で詳説するように、「ま/め(女)」は十分あり得るのである。
最後に、大陸から来たわれわれの祖先が、彼らの故地において、やはり”海”を「wu」、”水”を「つ」と称していたのではないかとの疑問が浮かぶ。これらの名前は大陸からもってこられたものではないのか。この点については、筆者は否定的である。ほとんどあり得ない。なぜなら、繰り返し指摘しているように和語には造語法においていくつかの原理原則が見られるが、長年にわたり各地からばらばらと小舟に乗ってやってきた人々が、鳥の名前のような少数の語はともかく、同時に原理原則をもたらして五十音図のもとに全語を置くことはあり得ないと思うからである。完