--
わ(坐)-わす(坐す)
ゐ(居)-ゐる(居る)「ゐあかす(居明)、ゐしづまる(居静)、ゐぬ(居寝*率寝)」
wu(居)-wuつ(居つ)「立つともwuとも君がまにまにm1912」「しりかたwuつ、つきwu(急居)」
-wuwu(植wu)-wuわる(植わる)
-wuゑる(植ゑる)-wuゑらる-wuゑられる
す(据)-すwu(据wu)-すわる(座わる)-すわらす-すわらせる(w-s相通形)
-すゑる(据ゑる)-すゑらる-すゑられる
を(居)-をる(居る)
--
「かめゐ(亀居)、かもゐ(鴨居)、くもゐ(雲居)、たちゐ(立居)、たゐ/なゐ(田居)、とりゐ(鳥居)、ながゐ(長居)、みやゐ(宮居)」
「つきwu(坏wu)」〔坏をwuゑる(据える)こと、又その人〕「つきwu(衝き居)」
「ゆゑ(湯ゑ)」〔湯をwuゑる(据える)こと、又その人?-「ゆwuゑ」の約ではない〕
「wuゑおほす(植生)、wuゑき(植木)、wuゑくさ(植草)、wuゑこなぎ(植小水葱)、wuゑたけ(植竹)、wuゑつき(植槻)、wuゑます(植坐);ひきwuwu(引植)」「おろしすwu(下据)」
--
全体を通して一カ所に「尻を据える」である。ここでは「植ゑる」と「据ゑる」が一語で表現されている。万葉集の時代にはまだ同語意識が残っていたらしい。「世の中の常のことわりかくさまになり来にけらし須恵(すゑ)し種から (m3761)」。
「〔木や草を〕wu(植)-wuwu(植wu)」「植ゑ木、植ゑ草、植ゑ竹」などの語の存在から、和人は、一拍語「wu(植)」の時代から、遅くとも二拍語の時代には木や草を「植える」こと、即ち農業を確実に行っていた。栗の木や稗、粟のような有用な草木を野山から引き抜いてきて、それを小屋の周囲など身近なところに”植える”作業を行っていたと考えられる。土地が渇いてくれば水をやったであろう。肥料(しもこye〔下肥〕-糞尿)もやったに違いない。農業である。
「植える」作業は、また湯を沸かすために底の尖ったいわゆる尖底土器を火床の中に「据える」(突き刺す)ことと同じと捉えられていた。考古学の教えるところによれば、土器の製作は1万6千年前に始まったと言う。完