和語にあって、ワ行拍「わ、ゐ、wu、ゑ、を」は、五十音図の最後にあって何かしらつけたしのような扱いを受けがちである。特に戦後の新仮名づかいではワ行拍には「わ、を」の二つしかなく、しかも「を」は助詞としての使用に限っているため、ワ行拍「わ、ゐ、wu、ゑ、を」の存在感がなくなってしまった。だがこれまで少しづつその姿を現しているように、ワ行拍はなかなか特異にして重要な地位を占めているのである。端的に言えば、ワ行拍は発音に際して口びるや舌の運動量が大きく、勢いそれを節約する方向に進んで、多くの語がア行語やサ行語などの発音負担量の軽い音に交替していった。そのためワ行語の原初の姿がよく見えず、それを探る上で大きな困難が伴うのである。
ここでは、その中からワ行拍を語頭にもつ語の中から、”若さと若さゆえの愚行”を言う模写語を含む語をとり上げる。ワ行語の特性がよく現われている面白い語群であるであろう。”愚行”と言うのは、非難さるべき悪行の意ではなく、あくまで経験の乏しい若者の軽率な所行の意である。
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(wk)
わか:わか若〔わかき若木、わかくさ若草、わかこ/わくこ若子、わかゆ若鮎、わかye若枝〕
わく:わく(湧く)、わくわく(湧く湧く)
わけ:わけ(戯奴)
ゐく:ゐく(生く)、ゐきゐき(生き生き)
wuか:wuかwuか-wuっかり、
wuく:wuく(浮く)、wuきwuき(浮き浮き)
wuこ:wuこ/をけ/をこ(烏滸*尾籠)〔をこづく、をこめく、をこのさた(烏滸沙汰)〕、をけざる(烏滸猿)
をこ:をこつ(怠つ)-をこたる
(ws)
わさ:わさ/わせ(早稲)
をさ:をさ(幼)-をさなし
wuそ:wuそ/をそ(獺*軽率)、おほをそとり(大軽率鳥)、をそをそ、をそろ
(wh)
wuひ(初)-wuひwuひし
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ここでは「わかし」の「わか(若)」を先頭に、若さと若さゆえの愚行を言うワ行語をとり上げた。水が湧出する意の「湧く」と沸騰する意の「沸く」は同語であろうが、ここでは地から水が「湧く」ことをイメージしている。その名詞形「わか」は生まれたばかりの「わかご(若子)」であり、動植物の誕生直後を表現している。
ここで注目すべきは、上に見るように、現代の二拍動詞「いく(生く)」と「うく(浮く)」は、本来はワ行語の「ゐく(生く)」「wuく(浮く)」であり、これら「わく」「ゐく」「wuく」で二拍動詞のワ行渡り語を形成していることである。これら二拍動詞とそれから出た模写語とのコンビが「わく(湧く)-わくわく(湧く湧く)」「ゐく(生く)-ゐきゐき(生き生き)」「wuく(浮く)-wuきwuき(浮き浮き)」である。三語とも生まれたばかりの生命が躍動するさまを表現していると考えられる。
こう言えば「いき(息)」と「いく(生く)-いきる」の関係を問う人がいるかも知れない。だが「いき(息)」は一拍語「き(気)」のイ接語「い+き」であり、「ゐく(生く)-ゐきる」とは別語である。いやここには何か錯誤がありそうでもあり、「ゐく」と「いく」との間に交錯があったようでもある。「”き(気)”を言うカ行渡り語」を次に掲げる。
これらがワ行語であることは、「わく」は言うまでもなく、「ゐく」「wuく」についてもそれに続く縁語がワ行語であることによっても明らかである。
「わけ(戯奴)」は、「奴」の漢字が示す通り人を軽く見て言う呼び方として使われることが多いが、これは後に出る「wuこ/をけ/をこ」と同語で同意と考えられる。”愚かなこと。ばかげたこと。思慮の足りないことを行なうこと”(日国)である。「をけざる(烏滸猿)」も”わけざる、をこざる”などと言い換えてもよいほどの語であろう。
さて「をこのさた(烏滸ノ沙汰)」であるが、これは「wuそ/をそ(獺*軽率)、おほをそとり(大軽率鳥)」などと同じく”若さゆえの愚行”と目されるものである。これは歴史時代に入ってからの曲用、即ち軽業や滑稽な物真似のような面白可笑しい雑芸の類とはまったく別もので、本来は若者らしいそそっかしさ、あさはかさ、慌てぶりを言うものと考えられる。完