”距離をとる、時間がたつ”ことを言うハ行渡り語 (99)

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は( )-はく(掃く)-はかす(掃かす)-はかせる-はかせらる-はかせられる「サ接:さばく(捌く)」
           -はかる(掃かる)-はかれる
           -はける(捌ける)
    -はぐ(剥ぐ)-はがす(剥がす)-はがさる-はがされる
           -はがる(剥がる)-はがれる
           -はぐる(逸ぐる)-はぐらく-はぐらかす-はぐらかさる-はぐらかされる
                    -はぐらす-はぐらさる-はぐらされる
                    -はぐれる
           -はげる(禿げる)
    -はつ(削つ)-はたる(徴たる)〔徴収する〕
           -はつる(削つる)-はつらす-はつらせる
                    -はつらる-はつられる
    -はづ(外づ)-はだく(開だく)-はだかす-はだかせる
                    -はだかる
                    -はだける
           -はづす(外づす)-はづさる-はづされる
           -はづる(外づる)-はづれる
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    -はづ(恥づ)-はぢむ(恥ぢむ)「はぢ(恥)」
           -はぢる(恥ぢる)-はぢらふ
           -はづる(恥づる)
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    -はぬ(離ぬ)-はなす(離なす)-はなさす-はなさせる
                    -はなさる-はなされる
           -はなる(離なる)-はなれる
           -はにる(   )「わにる」「はにかむ」
           -はねる(刎ねる)-はめらる-はねられる
    -はる(払る)-はらふ(払らふ)-はらはる-はらはれる「祓らふ、お祓ひ」
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ひ( )-ひく(引く)-ひかす(引かす)-ひかさる-ひかされる
                    -ひかせる-ひかせらる-ひかせられる
           -ひかる(引かる)-ひかれる
           -ひける(引ける)
    -ひす(秘す)-ひそむ(ひそむ)-ひそます-ひそませる
                    -ひそめる-ひそめらる-ひそめられる
    -ひぬ(陳ぬ)
    -ひむ(秘む)-ひめる(秘める)-ひめらる-ひめられる
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ふ( )-ふく(更く)-ふかす(更かす)
           -ふける(更ける)「老ける」
    -ふる(古る)-ふるぶ(古るぶ)-ふるびる
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へ( )-へぐ(剥ぐ)
    -へづ(隔づ)-へだつ(隔だつ)-へだたる
                    -へだてる
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ほ( )-ほく(  )-ほかす(放かす)-ほかさる-ほかされる〔「捨てる」の意〕
    -ほぐ(  )-ほぐす(解ぐす)-ほぐさる-ほぐされる
    -ほつ(  )-ほつる(解つる)-ほつれる
    -ほづ(  )-ほだす(解だす)-ほださる-ほだされる
           -ほどく(解どく)-ほどける〔「とく(解く)」のホ接もあり得る〕
    -ほる(放る)-ほらる(   )-ほられる 〔「捨てる」の意〕

 

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 「距離をとる、時間がたつ」を言うハ行縁語群には、上記の動詞のほかに、次のような動詞以外の語ががあるであろう。漢字表現では、多くの場合「離*端*鄙*久*経*隔*辺」などが当てられる。意味をもっているのは語頭のハ行語であり、語末の一拍語はほとんど不明語である。今のところは「接尾語か」くらいでで済ますほかない。

 

は:「はし/はした(端)、はた/はな(端)」
ひ:「ひさ(久)、ひな鄙」
ふ:「ふち(縁)、ふもと(麓)」
へ:「へた(蔕)、 へり(縁)」
ほ:「ほとり(辺)」

 

 ものとものを引き離す、離れる行為、行動が和語ではハ行拍で表現される。日本人はハ行拍「は、ひ、ふ、へ、ほ」を解放的な拍(音)と感じているであろう。その感じがそのまま意味の上に現われていると考えられる。ここでは音と意味の一致が見られる。これが偶然の現象でないことは、ほかに例えば鋭角的な音のカ行拍によって「かる(刈)、きる(切)、くる(刳)、こる(樵)」と広く切る作業が表現されていることによっても言うことができるであろう。

 

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「はぢ(恥)」の来歴

 

 一連の(hd)語である「はだ肌、はだか裸、はだし裸足;はぢ恥、はぢしむ、はぢる、はぢらふ;はづかし、はづかしむ」は、不明語とされているが、上の動詞図で明らかなように、「はづ-はだく-はだかる」が転じたものである。

 

 何千年前のことか、或いは万年の昔かも知れないが、”はづす、はだける”意のもとの二拍語「はづ」の時代に、これの名詞形「はだ」が、おそらく皮膚を言う本来の語である「かは(皮)」を押しのけて、人の「はだ(肌)」の地位を獲得していた。二次語である。そのことは、「はだか(裸)」の「か」は不明であるが「はだか」の語が残っていることで明らかである。特に「はだし(裸足*跣)」であるが、これは明確に「はだ(肌)+し(足)」であり、”足”がまだ一拍語「し」である時代に、当時「は」から「はだ」へと二拍語に長語化していた語と結びついたものであろうと想像される。


 ”はだける”意の二拍動詞「はづ」のもう一方の名詞形「はぢ」が当時すでに今日の羞恥、恥辱の意で使われていたと思われることも驚きである。「は-はづ-はだく-はだける」は、時代は移り変わっても、前開きの衣服の前を開くことを意味したと考えられるが、その行為は二拍語の時代にすでに「はぢ」であった。


「ほだす(絆す)」の怪

 

 この語「ほだす-ほだされる」が意味するところは、上記の動詞図から見る限り、明らかに「(気持ちが)解放される、ほぐされる、癒される」である。「(人の情に)ほだされる」である。現在の普通の日本人の日本語感覚ではこの意味であるであろう。実際にこの意味で使われているに違いない。

 

 ところがこの語は、国語辞典によれば前記とは丸で反対で、「絆す」の漢字とともに「(馬を)つなぎとめる、(身の自由や行動を)束縛する/される」とある。しかもその意味での9世紀以来の用例も少なくない。

 

 釈然としないどころではない、どうにも納得がいかない。このうしろには何か事件がありそうに思われるが今は想像の域を出ない。因みに字引には「ほだし」という手かせ、足かせに類する拘束具があることになっているが、これは「ほだす」が成立してからの造語であろう。完