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か(赤)-かく(赫く)-かかゆ(赫かゆ)-かかやく(赫かやく)
-かかよふ(赫かよふ)
-かぐ(赫ぐ)-かがす(赫がす)
-かがゆ(赫がゆ)-かがやく(輝がやく)
-かがよふ(輝がよふ)
-かがる(赫がる)「かがり火」
-かぎる(赫ぎる)-かぎろふ「かぎろひ、たまかぎる」
-かぐる(赫ぐる)
-かげる(赫げる)-かげらす-かげらせる「ひかげるみや日輝宮」(蔭る)
-かげろふ
ア接:
あ( )-あく(赤く)-あかす(赤かす)-あかさる-あかされる(明かす)
-あかぶ(赤かぶ)-あかばむ
-あかむ(赤かむ)-あかめる
-あかる(赤かる)-あからふ
-あからぶ
-あからむ-あからめる
-あかるむ
-あきる(明きる)-あきらむ-あきらめる(諦らむ)
-あくる(明くる)「あくる日」
-あける(明ける)「あけ朱」
イ接:
い( )-いく(熱く)-いかる(怒かる)-いからす-いからせる
-いきむ(熱きむ)-いきまふ-いきまはる
-いきる(熱きる)-いきれる
-いくぶ(憤くぶ)
-いくむ(憤くむ)「いくみうらむ」
-いこる(熾こる)
-しかる(叱かる)-しからる-しかられる(「いかる」は〔&-s〕相通語)
オ接:
お( )-おく(熾く)-おきる(熾きる)「おきび熾火」
-おこす(熾こす)「ひおこし火熾」
-おこる(怒こる)-おこらす-おこらせる
-おこらる-おこられる
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か:あか赤、
き:あき秋、きらきら、きらめく
く:あく明、
け:あけ朱、あける明
こ:
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われわれに身近な二拍語「あか(赤)」は、ア接語で、本来は一拍語「か(赤)」である。「か」は色と光をともに表現している。そのことは唱歌『夕日』(葛原しげる作詞)の「まっかっかっか 空の雲 みんなのお顔も
まっかっか」に端的に現われているであろう。頭が「かっか」とするのも赤くなることであれば、「いかる/おこる(怒る)」も赤くなることである。またこの「か」は渡り語「か/き/く/け」のひとつであり、他にア接語「あき(秋)、あく(上図)、あけ(赤*朱*明)」などを作って今日に残っている。渡り語「こ」も存在しなかったとは考えにくく、どこかに痕跡を残していると思われる。
「あき秋」は、上記「あく」の名詞形であり、「き(赤)」が本意である。全山紅葉のときを言うに尽きる。山が真っ赤になるときが「あき」である。和人はこれを愛でた。日国の語源説欄に「草木が赤くなり、稲がアカラム(熟)ことから〔和句解・日本釈名・古事記伝・言元梯・菊池俗言考・大言海・日本語源=賀茂百樹〕」とあり、これが正解であろう。
イ接語「いく(熱く)」も今日の「いかる」や「いきむ」があるように熱が上がって顔が赤くなる意である。時至って女が「いく」のもこれである。どこへ行くのでもない。「おく(熾く)」は、言うまでもなく赤い火が起きる意であり、炭が赤くなることである。「おきび(熾火)」は火鉢でかっかと赤くなった炭火である。二拍動詞「あく」の「く」は、確かに動詞語尾であるが、実はこれが語の意味を担う本体である。
ここに黒い「かげ影、かげる」が入ってくることが不可解と思われるかも知れないが、これは「こかげ(木陰)」や「かがよふ、かぎろひ/かげろふ陽炎」のような光のあやを言う語が時代の経過の中でいつか意味を反転させたものと考えるほかない。今は詳しく跡づけることは難しい。日国「かげとも」の冒頭に『「影(かげ)つ面(おも)」の変化した語。「かげ」は光の意』との特記がある。
なお「あく(開く)-あける」は、上記「あく(赤く)」とは別語で、「わく(分く)-わける」の相通語であり、その箇所で扱う。完