古事記に述べられるいわゆる出雲神話の中に「yiなば(稲羽)のしろwuさぎ(素菟)」がある。話の大筋は次のようである。
出雲の沖に浮かぶ隠岐の島にいた一匹の兎が本土に渡ろうと思い、海の中にいた「わに(和邇*鰐)」をだまして一族のわにを集めさせ、島から本土まで一列に並ぶように言った。兎がわにの背の上を走って渡り終えたところで「お前たちは私にだまされたのだよ」と言ったところ最後の一匹のわにに捕まりすっかり毛皮を剝ぎとられた。兎が苦しんでいたところへ若き大国主命が通りがかり、治療法を教えたところ傷はもの通りに癒えた。兎は、後の兎神であるが、大国主命に向かって望む相手の「やかみひめ(八上姫)」を必ず手に入れることができると言い、大国主命は目出度く姫と結婚することができた。
日本人なら知らぬ人のない話であるが、ここでの話題はまことに不粋でこの「わに(和邇*鰐)」である。二拍語「わに」の由来は不明であるが、この「わに」とは何か。まさか今の動物園で見る「鰐」ではないであろう。結論から言えば、昔から言われていたと言うように「わに」は「さめ(鮫)」であり、「現代日本語でも、方言で鮫をワニと称する地域(島根県・兵庫県但馬)がある」(日国「わに」語誌欄)という通りである。
問題は「わに」→「さめ」を国語学的にどう考えるかである。これまた結論から言えば、和語に特徴的な相通現象によるもので、(1)(w-s)相通による「わ→さ」、(2)(n-m)相通による「に→め」、合わせて「わに→さめ」と考えられる。最初の「わ→さ」は、「wuぢ(氏)→すぢ(筋)、を→そ(麻)」など少なからぬ例がある。第二の「に→め」は、これまた「にな→みな(蜷)、にの→みの(蓑)、にら→みら(韮)」など多くの例があり疑問はない。ただ「わに」が「さみ」ではなく「さめ」となって、「に(ni)→め(me)」と母音が変わっている点に不審を覚える。こうした例は、今のところ「に(ni)→め(me)」に限らず他の相通例にも見当たらないが、例外として「わに」→「さめ」の変化を疑わせるものではない。下図のように図解すれば見易いであろう。
わに(鰐)
(w-s)相通 ↓↓ (n-m)相通
さめ(鮫)
なお魚の「さめ(鮫)」は、その子音構成(sm)から今日の「まぐろ」を言う「しび(斯毘*志毘*鮪/sb)」、また「さば(鯖/sb)」「さんま(秋刀魚/sm)」との関係が予想される。特に古事記に登場する「しび」は「さめ」とは無関係とは言えないであろう。
国語学はここまでとして、さらなる問題は、この「わに」は本当に「さめ(鮫)」であったのか、今で言う四つ足の「わに(鰐)」ではなかったのかという点である。周知のように、古事記ではこのあと山幸彦(火遠理命)の妻である海神の娘「とよたまひめのみこと(豊玉姫命)」が子を産むさまを「〔姫が〕やひろわに(八尋和邇)となりてはらばひもごよひ(匍匐委虵)き」と述べているが、これは爬虫類の「わに」の動きの描写の可能性があるであろう。「もごよふ」の「もご」は「もぐら」の「もぐ」と同じで、そのもとは「wuごく(動く)」の「wuご」であり、関節動物の動きを言うのに使われる。日本書紀にも同様の記述がある。
さらに、日国によれば、934年頃の成立という和名類聚抄十に「鰐:麻果切韻云鰐〈音萼 和仁〉似鱉有四足喙長三尺甚利歯虎及大鹿渡水鰐撃之皆中断」とあることである。後半部分の「鱉」(べつ)であるが、これは現代の辞書には「すっぽん」とあるが、当時は何を指したかは分からないものの魚ではなさそうである。「似鱉」以下は、”すっぽん”に似て四足有り、口ばしの長さは三尺、甚だ鋭い歯をもち、虎や大鹿が水を渡るときには之を攻撃して皆半分に噛み切ってしまう、といったあたりであろうか。これでは明らかに「鰐」である。鰐でなければ類似の海獣である。つまり10世紀半ばには、支那の知識を敷衍したものでなければ、和人は獣の「鰐」を見ていた。
以上既にあちこちで述べられていることを参考に、いささか乱雑にまとめてみたが、ここまで来ただけで新たな疑問が次々に湧いてくる。打ち止めにせざるを得ない。
完
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