「おにぎり」と「おむすび」の国語学 (111)

 町の至るところでコンビニ店を目にする時代となって、そこで手に入る「おにぎり」や「おむすび」は小腹を満たす簡便な食べ物の代表となったようである。機械で作った独特な形をしきっちり包装されて棚に並んでいる。昔は母親が梅干しや塩昆布を中に入れ手早く握って子どもたちにもたせたものである。それを「おにぎり」と呼んでいたか、それとも「おむすび」であったか。「おにぎり」や「おむすび」を手で作る時代はそれこそ三千年続いたわけで、今はまさに革新のさ中にあることになる。そもそも「おにぎり」「おむすび」とは何か、どう違うのか。

 

 大昔、和人は「こめ(米)」を「こしき(甑)」(不明語)で柔らかくなるまで蒸して「いひ(飯)」にしたり、土器で「かゆ(粥)」や「しる(汁)」にして食べていたであろう。「いひ」は、これはもとは一拍語「ひ(飯)」であったがいつの頃か接頭語「い」をとって長語化し「いひ」となった。「ひ」は、本来は「あは(粟)」や「ひye(稗)」を蒸したり炊いたりしたものを言い、後に大陸から米が到来して米をも含めるようになったはずである。「こめ」はおそらく「まめ(豆)」と「め」縁語の関係にあり、単に小粒の穀粒の意である。米を実らせる草は「yiね/しね(稲)/よね」(yn子音コンビ語)であったであろう。当初、和人は「ひ」を手で掴んだり握ったりして食べていたに違いなく、ずっと後になって「はし(箸)」を使うようになったと思われる。
 米には、大きく分けて、われわれが日常”ご飯”として食べる粘り気の少ないぱさぱさした「うるち(粳)」(不明語)とお正月の餅になるもちもちした「もち(糯*餅)」(模写語か)米の二種類がある。日本列島には両方とも相次いでもたらされたと考えられているが、詳しいところは不明である。

 

 こうした雑駁な知識が役に立つか無用に終わるかはともかく、このような状況の中で「おにぎり」や「おむすび」は生まれたであろう。

 

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 先ずは「おにぎり」である。これはもちろん三拍動詞「にぎる」の名詞形である。では「にぎる」とは何か。考えて見れば「にぎる」にもいろいろありそうである。例えば車のハンドルを「にぎる」と「おにぎり」を「にぎる」とはどうも同じ「にぎる」とは思えないところがある。さらに新しく日本人の生活に入り込んできた”握手”である。漢語で”握手”と言う限りは問題ないが、これを「手をにぎる」と言い換えるととたんにおかしくなる。また「おにぎり」を「にぎる」ことと対面相手の「手をにぎる」ことは全く別の行為であろう。

 

(1)”ハンドル”を「にぎる」

 

 今日「にぎる」は、日常的には自転車や自動車のハンドルを「にぎる」ことがもっとも一般的であろう。そのほか杵や鍬や槌のような柄(え)のある道具の柄を「にぎる(握る)」ことも同じである。そうして、ハンドルを「にぎる」のはそれを「にぎる」ことが目的ではなく、車を動かすためである。鍬や鋤の柄を「にぎる」のも田畑を耕すためにである。どうやらこれがひとつの、もっとも一般的な「にぎる(握る)」行為であるようである。これは「おにぎり」とは関係がない。

 

 この「にぎる」は、今のところ、これ以上分けて考えることも縁語を見つけることも難しい。「なぐ(流ぐ)、にぐ(逃ぐ)、ぬぐ(脱ぐ)、のぐ(逃ぐ)」の密な(ng)動詞群があるが、ここには入りそうにない。これは独立の(ng)語として扱うほかなさそうである。

 

に( )-にぐ(握ぐ)-にぎる(握ぎる)-にぎらす-にぎらせる
                    -にぎらる-にぎられる

 

(2)”手”を「にぎる」

 

 もうひとつの「にぎる」は「手をにぎる」である。西洋から輸入された社交上の形式としての握手はここではおいておく。だが相手の「手をにぎる」ことによって相手に親愛の情や同情を示し、相手の健康を慶賀し、幸福を祈念することなどはどこでも大昔からあるであろう。男どうしの場面はあまり見ないが、男が女に愛を迫って手をとったり、女同士が互いに近寄って両手を胸の辺りで握り合い、久闊を叙したり、互いの健勝を喜び合う場面を見ることは映画でもよくあるであろう。自然発生的な握手である。これは”ハンドルを握る”とも”おにぎりをにぎる”とも異なっている。

 

 上記のような「にぎる」を和語の語彙体系、或いは(ng)/(nk)動詞群の中に位置づけることが出来るかどうか。この「にぎる」は「なぐ(和ぐ)」動詞群に属するものと考えられる。くだくだしい議論はおいて、動詞図を作ってみよう。以下は全部ではないが、上に述べた「(手を)にぎる」は下図の〔●〕印をつけた「にぎる」であることを示すために関係部分を示す。

 

な( )-なぐ(和ぐ)-なぐす(和ぐす)-なぐさむ-なぐさめる-なぐさめらる-なぐさめられる「なぎ凪」
                         -なぐさもる
           -なごす(和ごす)「なごし和シ」
           -なごむ(和ごむ)-なごます-なごませる
    -なづ(撫づ)-なだす(宥だす)「うちなづ打宥、かきなづ掻宥、とりなづ取宥」
           -なだむ(宥だむ)-なだまる
                    -なだめる-なだめらる
           -なだる(穏だる)-なだらむ「なだらか」
           -なづる(撫づる)
           -なでる(撫でる)-なでらる-なでられる
    -なづ(泥づ)-なづく(泥づく)
           -なづす(泥づす)-なづさふ-なづさはる「おちなづさふ落泥」
           -なづむ(泥づむ)「おりなづむ降泥、くれなづむ暮泥、こしなづむ腰泥」
    -なゆ(軟ゆ)-なやす(軟やす)《なよなよ》
に( )-にく(和く)-にきぶ(和きぶ)
           -にきむ(和きむ)
           -にこぶ(和こぶ)《にこにこ》
           -にこむ(和こむ)
    -にぐ(熟ぐ)-にぎぶ(熟ぎぶ)
           -にぎむ(熟ぎむ)
           -にぎる(熟ぎる)(祈ぎる)〔●〕
ぬ( )-ぬく(温く)-ぬかる(温かる)-ぬかるむ
           -ぬくむ(温くむ)-ぬくまる「ぬくし温シ」《ぬくぬく》
                    -ぬくめる
                    -ぬくもる
    -ぬる(温る)-ぬるむ(温るむ)-ぬるめる
う( )-うる(  )-うるむ(潤るむ)「うるうる」(n-&)相通語
ね( )-ねぐ(労ぐ)-ねがふ(願がふ)「ねぎ禰宜」「こひねがふ乞願」
           -ねぎる(労ぎる)-ねぎらふ

 

 この「にぐ-にぎる」は、その下の「ねぐ-ねぎる」と同じ意で、相手の幸運や幸福やを「にぎる(ねぎる)」ことが本意で、その際おそらく相手の「手を握って」願いごとを言った。その「にぎる(ねがひごとをyiふ)」から「手を握る」ことのみ今日に残って、手を握りながら「ねぎごとを言ふ」ことの方は忘られたと考えると辻褄が合うであろう。


(3)”おにぎり”を「にぎる」

 

 これは「にぎる」こと自体が目的である。飯を丸めておにぎりにすることが「にぎる」である。この「にぎる」は明らかに上記の棒や柄やハンドルを「にぎる」とは異なる。

 

 和語の動詞体系の中での位置づけであるが、ひとつの可能性として二拍動詞「きる(切る)」のニ接語を想定してみた。動詞図は以下のようである。

 

か(刈)-かる(刈る)-からす(刈らす)-からせる「かる(狩る)」
           -からる(刈らる)-かられる
き(切)-きる(切る)-きらす(切らす)-きらせる-きらせらる-きらせられる
           -きらる(切らる)-きられる
く(刳)-くる(刳る)-くらる(刳らる)-くられる
こ(樵)-こる(樵る)「きこり(木樵)」

カ接:かぎる(限ぎる)
ク接:くぎる(区切る)
シ接:しきる(仕切る)
チ接:ちぎる(千切る)-ちぎらす-ちぎらせる
           -ちぎらる-ちぎられる「もちひ(餅)」を「ちぎる」
           -ちぎれる
ト接:とぎる(途切る)
ニ接:にぎる(瓊切る)「おにぎり、にぎりひ(握飯)」〔●〕
ネ接:ねぎる(値切る)
ミ接:みきる(見切る)
ヨ接:よぎる(横切る)
ヱ接:ゑぐる(ゑ刳る)

 

 これは、石刃、石斧を用いたさまざまな「切る」行為を表現する(kr)縁語群である。筆者は、ここで”おにぎり”を「にぎる」を「きる(切る)」のニ接語「に+きる」と見たものである。これは「切る」のであるからぱさぱさの米飯に使うのは難しい。おそらくねばねばの餅について、それを石刃で”切って”、或いは手で”にぎって”食べたのであろう。それが「おにぎり」である。この「にぎる」は完全に「ちぎる」と重なり合っていると考えられる。「おにぎり」は「おちぎり」である。「に」と「ち」は(n-t)相通関係にあり、「おにぎり」と「おちぎり」の交錯は十分考えられる。接頭語の「に」は、特に意味のない小辞と思われるが、強いて言えば”玉”の意の「に/ぬ(瓊)」ともとることが出来る。

 

 石臼に一杯の搗いたばかりの餅を食べやすいように適切な大きさに手で切り分けることが「にぎる」であり、そうしてできたものが「おにぎり」であったと考えられる、餅そのものでなくとも、もち度の高い飯についても団子状態にしたものが「おにぎり」だったであろう。

 

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「おむすび」

 

 「おむすび」は、議論の余地なく三拍動詞「むすぶ(結ぶ)」の名詞形である。「むすぶ」は下に見るように二拍動詞「すぶ」が接頭語「む」をとったム接語である。動詞図は、大きい図の一部であるが、次のようになるであろう。

 

す(狭)-すぐ(縋ぐ)-すがふ(縋がふ)
           -すがる(縋がる)
    -すぶ(統ぶ)-すばる(統ばる)「すばる昴、すべつどふ、すべをさむ、みすまる、とりすぶ」
           -すべる(統べる)「すべら皇」
           -すぼむ(窄ぼむ)-すぼます-すぼませる
                    -すぼまる
                    -すぼめる
     -すむ(統む)-すまふ(争まふ)「すまひ(相撲)」
           -すまる(統まる)「うづすまる、みすまる御統」
           -すめる(統める)「すめかみ、すめみま、すめら/すめろ統*皇、すめらぎ/すめろき皇男」
ム接: むすぶ(結ぶ)-むすばす-むすばせる「おむすび」〔●〕
           -むすばる-むすばれる
           -むすべる
           -むすぼふ
           -むすぼる

 

 二拍動詞「すぶ(統ぶ)」は「すぶ-すべる」と長語化し”統治する”の意で、上に見るように「すべら/すめら(皇)」に通じている。ところで「すぶ」の本来の意味は「せばめる、せまくする」で、”統治する”とは、語義からは、”統治者と人民との間を狭める、人民どうしの間を密にする”意となるであろう。要は散漫な形の人民の集合を統治者のもとに集結させる意と考えられる。

 

 そこで「おむすび」であるが、これは明らかにぱさぱさの飯粒を手にとって粒と粒の間を狭める、即ち締め固める意である。飯粒にもち度がなくぱさぱさの飯は食べにくいので、団子状に手で締め固めたものであろう。三角形であったかも知れない。それが「おむすび」である。

 

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 結論として、上記の長い議論から明らかになったことは、「おにぎり」は餅状の飯を千切って丸めたもの、一方「おむすび」は、逆に、ばさばさの飯粒を団子状に締め固めて丸めたものであった。どちらも食べやすくするための工夫である。これらの語の成立の時期であるが、「おにぎり」は難しいが、「おむすび」は二拍動詞「すぶ」に接頭語「む」がついた形で、おそらく二拍動詞から三拍動詞へ至る中間時点ということになるであろうか。絶対年代を知ることは今のところ難しい。