「みじかし」と「みぢかし」 (112)

 前に「「まだまだ」-不十分な(md)縁語群」と題して「まだし、まづし、みぢかし」などの(md)子音コンビ語をとり上げ、これらは”十分な状態に達していない”未熟、未達の意の(md)縁語群であるとし、「みじかし」は誤りで「みぢかし」が正しいと書いた。

 

 これはいささか舌足らずで気になっていたので、ここで二三思いつきを補足したい。

 

 先ずこの(md)縁語と見られるものを整理すると次のようになる。

 

ま:まだ、まだき、まだし(未だ)(イ接:いまだ/いまだし/いまだに)
み:みぢかし(短し)
む:むづかし(難し)
め:
も:もどかし

 (日国「むずかしい」の語誌欄には「室町期まではムツカシと清音である。ムヅカシが出てきたのは近世末といわれ、以後、両語が並存している」とあるが、ここは「むづかし」をとる。)

 

 これらが意味の上で共通するものをもつ縁語と言えるかどうかであるが、今日的な意味からは多少ずれるが、全体として”未達”の意味をもつ縁語群と見たい。

 

 そこで謎の「みじかし(短し)」である。「みじかし」には何よりも違和感が拭えず、筆者には「みぢかし」でなければならないとの思いが先だってある。「みじかし」は、われわれ日本人の口に馴染んでいるとは思われない上に、これには(mz)縁語が一語も見当たらないのである。これが違和感を覚える理由と考えられる。では万葉集にも一例ある「美自可伎(みじかき)命(m3744)」とは何か。書紀にも「いのちみじかき」とある由である。それに倣ったのかどうか、以後なべて「みじかし」という表記で今日に及んでいる。

 

 大勢は、「みぢかし」は「身近し」で、「短し」は「みじかし」が本来であるとして納得しているようである。だが「身近し(みぢかし)」は問題ないとして、「短し」がそれとは別に「みじかし」でなければならないという理由はない。「みぢかし」を「ちかし(近し)」のミ接語と見ることはもちろん可能であるが、そうとすれば(md)語という前提が崩れてしまう。

 

 以上を踏まえて、考えられるところは次のようである。

 

1)上記のどこかに間違いがある。(md)縁語のとり方かも知れない。
2)「みぢかし」は、やはり、ミ接語「み+ちかし(近し)」であり、「みぢかし」が正しい。これを「身近し」とするのは後世のこじつけである。だが「短し」のような基本的な語が複合語というのも不思議である。何かありそうな感じである。
3)「短し(Short)」は本来的に「みじかし」である。議論の余地はない。
4)本来は「みぢかし」であるが、和人が、いつの頃か、何らかの事情で、「みじかし」の表記を選択した。

 

 結局さらなる舌足らずの議論になった。何分資料が乏しく、新構想が出ない限り明快な解決に至ることは難しい。