今日「はし(橋)」と聞くとどのようなものを思い浮かべるのであろうか。子供であればおそらく劇画で見るような海や大河を渡る長大橋であろう。それともビルの谷間を走る複雑な高速道路か、陽に輝く巨大な吊り橋かも知れない。だがわれわれ和人の「はし」は一本の丸木橋から始まった。一群の人が野越え山越えやって来て川にぶつかると近くの立ち木を切り倒して枝を払い、それを対岸に渡してその上を渡って行ったに違いない。彼らはそれを「はし」と呼んだ。では「はし」とは何か。
こころみに国語辞典を見ると、上記の「はし(橋)」に関係すると思われる、或いは「はし」を含む語に次のようなものがある。
「はし(嘴、口嘴、火箸)」「はし(箸)」「はしご(梯)」「はしら(柱)」
これらはどれも共通して棒状のものを指していることが分かる。太いものも細いものもある。鳥の嘴や二本箸は言うまでもないが、「はしご」は、一本の柱に足を掛けるための切り込みを入れたもので、それを伝って高いところに登るのに用いられた。本来はやはり「はし」で、「きざはし(階)/きだはし」がそれに当たると見られている。「きざ」は「きだ」の後の時代の形で、「きざむ(刻む)」はもとは「きだ(段)」を切り込む意の「きだむ」であった。模写語「きだきだ/ぎざぎざ」が下敷きになっているであろう。「はしご」の「ご」は不明である。「はしら(柱)」は、「はし」を垂直に立てたものを指している。「はし」は単に細長い棒状のものを言う語で位置関係は問わないが、それが無意味な接尾語「ら」をとって地に立つ「柱」の意になった経緯は不詳である。とまれ川にかかる「はし(橋)」が上記の「はし」語群に属することは間違いないであろう。(hs)縁語群である。
ちなみに名勝「あまのはしだて(天橋立)」などの「はしだて」は書紀の用例によって”はしごを立てること、また立っているはしご”の意の由である。天橋立は近くの山からの眺めで遥か天へのぼる梯子と見なされたのであろう。
では二拍語「はし」が”棒状のもの、棒”を指す由縁は何か。「はし」を眺めていても一歩も進まない。そこで「はし」を「は+し」と分解し、一拍語「は」と「し」に戻して検討することになる。
まず「は」について「はし(橋*梯*箸*嘴*柱)」に意味的に通ずるものはないか。一拍語「は」には適切なものはなさそうであるので、「は」を語頭にもつ複合語(熟語)について見ると、棒状の細長いものに似たものに次のようなものがあるであろう。
「はぎ(脛)(つるはぎ鶴脛)」「はみ/へび(蛇)」「はも(鱧)」「はり(針)」
これらは支援材料としては申し分ない。一拍語「は」がさまざまな意味をもつ中で、細長いものをも意味したことは間違いないであろう。後項の「ぎ、み/び、も、り」は今のところ不明である。だがこれではいささか迫力に欠けるのでもう少し材料がほしい。そこで同様に次に「し」について見る。
「あし(足)」「あし(葦)」「かし(柯*牁牆)」「くし(串*櫛)」「くじ(籤)」「さし(砂嘴)」「さし(差*尺)」
ここに「あし足、あし葦」のア接語が存在するということは、これら二語は本来は一拍語「し」であったということを意味する。細長い棒状のものを指す「し」という一拍語があった。後にそれを細かく言い分けるためにさまざま接頭語をつけて、長語化し、意味を細分化していった。ここでは「あし足*葦」が代表的である。”足”の場合、当初の「し」が時代の経過とともに「し→あし→あ」と長語化していった。最後の「あ」は単独では使われず、造語成分である。「かし(柯*牁牆)」は川や海の浅瀬で舟を舫うために打ち込む木杭のこと、「くし串」は言うまでもないであろう。髪を梳く「くし櫛」は、小さな串を並べて一方の端を漆や糊で固めたものであり、「くし串」と同語と考えられる。
こうして見ると、「はし(橋*梯*箸*嘴*柱)」は、「は+し」と分けて考えることによって、前項の「は」自体に長い棒状のものの意があると同時に、後項の「し」が”棒”、”丸太”を言う一拍語そのものであり、合わせて「はし」は長い棒状のものを意味することが明確になったと言えるであろう。ただし「し」は動かないが、「は」には何か別の特定の意味があるかも知れない。
以下は蛇足であるが、「高橋」談義である。周知のように”高くかけた橋”の意という「たかはし(高橋)」なる成句が僅かな古例とともに、地名、姓名として広く全国に行われている。だが通常に両岸に水平にかける橋のほかに、”高くかけた橋”や”低くかけた橋”があるのであろうか。洪水よけの目的で橋の両端に階段を設けて高くしたような橋があったかも知れない。だが仮にいくつかはあったとしても、「たかはし(高橋)」の語が広がるほどには全国に広がっていたとは思われない。「たかはし」は川にかけた”橋”では意味をなさない。”高くかけた橋”の意の「たかはし」は筆者には理解不能である。
ここは、上で見たように「はし」を”柱”ととって、「たかはし」を「高い柱」とすれば大変すっきりする。おそらくよく知られた諏訪の御柱祭や北陸地方の遺跡に痕跡が見られるという太古の和人の”立柱”儀式の風習を引く古い言葉ではないかと考えられる。もし古い用例が”高くかけた橋”ととられるとすれば、それは”高い柱”が忘れられた後の用語と見たい。正しい結論を得るには国民規模の議論が必要であろう。完