動詞図とは何か。動詞図とは和語の縮図である。和語の特質を一枚の図によって示している。大昔の小さな動詞の誕生から今日の長語形に至るまでの語形変化を一本の横線に連ね、その間さまざまに意味を広げ分化させて行くさまを縦方向のふくらみとして表現したものである。また語中の子音を共有することによって相似た意味をもつ縁語動詞をひと括りにした。和語は、動詞も名詞も本来の短小語形から接頭語や接尾語をとりながら今日の長語形へと変化しているが、そのことは動詞においてよりはっきり見ることができる。
国語辞典を開くとそこにはすべての語が”あいうえお”順に並べられている。その中で特に動詞に注目すれば、似たような語が語形や意味に関係なくてんでんばらばらに散らばって閉じ込められていることに気づく。何か大事なことが忘れられていると思わざるを得ないのである。そこで国語辞典の中からすべての動詞をとり出し、それらを和語本来の姿に復元し、和語の原理にもとづいて並べ換えたもの、それが動詞図である。
ではここで言う”和語の原理”とは何か。詳細にわたっては長くなるので別にまとめて書くつもりであるが、ここでは以下の動詞図を理解する上で必要なものを参考事項とともにごく簡単に述べる。
01)〔和語は拍がすべて〕和語は”拍(はく)言語”である。拍とは五十音図のひとつひとつの音(文字)のことで、和語は個々の拍が、ただ一つで、また二つ、三つ、四つ・・・と積み重なってできている。それぞれ一拍語、二拍語、三拍語、四拍語・・・と呼ぶ。和語は拍からなっており、拍をおいて和語はない。和語談義は拍に始まって拍に終わると言っても過言ではない。
02)〔拍は「子音+母音」からなる〕和語の拍はすべて「子音+母音」という形をしている。役割としては、子音が拍(語)の意味を担い、母音が瞬間的に消えてしまう子音を支えて耳に聞こえるひとまとまりの音(拍)とし、子音がもつ意味を規定したり、ニュアンスを与えたり、文法的な役割を担っている。語の役目は意味の伝達であり、語(拍)では意味を担う子音が主役であり、決定的に重要である。
03)〔語は拍の積み重なり〕先述のように、和語のすべての語は、個々の拍の積み重なりである。可視化すれば、一拍語(□)、二拍語(□□)、三拍語(□□□)、四拍語(□□□□)、五拍語(□□□□□)、・・・のようになっている。それぞれの拍はその位置によって意味と役割を担っている。日本人は語を耳にすると、それを個々の拍に分解し、再統合して理解していると考えられる。
04)〔短語から長語へ。長語化現象〕和語はまず一拍語として成立し、名詞、動詞を問わず、それが意味の多様化を伴いながら二拍語、三拍語、四拍語、・・・へと長語化した。和人は、当初の短語を長語化し同時に複線化することによって和語を語彙豊かな文明語へと成長させた。ただ草木や魚や鳥などの名前、模写語などには、もちろん始めから二拍語、三拍語として成立したものも少なくないであろう。
05)〔和語は「五段渡り語」が基本〕一拍語、例えば「さ」は、「いさご、まさご」などの「さ」で「砂」を指す。同じサ行の「し」は今日では「いし(石)」の形で「石」を意味し、さらに「す(洲)」「せ(瀬)」「そ(磯)」とサ行拍全部に渡って同じようなもの(土砂)を指し示している(漢字には余り捉われないでいただきたい)。このような例は非常に多く、一拍語は、原則として、その一語を含む”あいうえお”の五段にわたって相似た意味をもつ関連語(縁語)が存在し、それら五語をまとめて一語と見なされる。本来は五語全部あったであろうが、今日には一語のみ、或いは二語、三語しか残っていない場合が多い。これを渡り語現象と呼ぶ。
06)〔子音コンビ現象〕和語では連続する二拍(二子音)でひとつの意味を示し、その意味を共有する語群をつくることが少なくない。例えば「たみ(民)」はひとつの集落の住民全体であるが、その中には「つま(夫*妻)」や「とも(友*伴)」といった人間関係がある。これら三者に共通する意味はと言えば互いに”血縁関係がない仲間”という点に絞られ、その意味を支えているのは「たみ(tami)、つま(tuma)、とも(tomo)」三語に共通する(tm)という”子音コンビ”なのである。この現象は和語にたいへん多く見られる。子音コンビ縁語である。ちなみにこの子音コンビの理解によって、夫婦が互いに相手を「つま」と呼ぶ古代の言葉も、「こども」の真意はひとつの集落という運命共同体の中の「子なるとも」(小さな仲間)の意であることも了解される。
07)〔子音の相通現象〕語形(語音)は時代につれて変化したが、それには一定の規則に従っているものが多い。例えば「たに(谷)」が「たり(をたり<小谷>)」に、「yiなに(稲荷)」が「yiなり」に、「つぬが(角鹿)」が「つるが(敦賀)」にのように「n」から「r」への変化が起こっている。また「n」から「m」への例では「にな(蜷)→みな」「にほ(鳰)→みほ」「にら(韮)→みら」などその例は非常に多い。これを音の相通現象と呼んでいる。和語におけるすべての相通現象を一覧表にまとめることは和語の祖形を探る上でぜひとも必要である。なお音の変化の方向は別に検討の要がある。
08)〔特異行;ア行とラ行〕五十音図のうちア行拍(あ、い、う、え、お)は、少数の例外を除いて、語頭には立たず、語中と語末にのみ現われる。現在見られる多くのア行音で始まる語は後の時代の接頭語か、主としてワ行拍から変化したものである。今日でも女の子が「わたし」を「あたし」と言うが如しである。またラ行拍(ら、り、る、れ、ろ)は語頭に立たず、特定の意味をもつことなく、接中語、接尾語になるのみである。例えば、「さる(猿)」「つる(鶴)」「とり(鳥)」などは語頭の「さ」「つ」「と」が本来のものの名前であり、後項のラ行拍は語頭の一拍語の安定化をはかるための支持拍である。ア行とラ行は、それ以外の行とは大きく異なる特異行であるが、その理由は不明である。
09)〔頭積動詞〕三拍動詞の中にはもとの二拍動詞「AB」が語頭拍「A」を重積させて「AAB」という特徴的な形をとるものが数十語ある。多くは連濁を起こしている。例えば「とむ(止む)-とどむ(留む)」「ふく(吹く)-ふぶく(吹雪く)」などで、意味は単に強調であるが、「ふぶき(吹雪)」のように雪まじりの強風と意味を膨らませているものもある。これを頭積動詞と呼ぶ。【頭積動詞には語頭に「=」記号をつけた。】
10)〔接頭語〕長語化の出発点は、一拍語が接頭語をとるか接尾語をとるかである。ただ複合語を作った場合と区別がつかないものが多い。和語には接頭語が非常に多く、複雑である。接頭語の解明はきわめて重要な課題のひとつである。【接頭語をとる動詞には語頭に「~」記号をつけた。】
11)〔動詞語尾〕動詞語尾は「く/ぐ、す/ず、つ/づ、ぬ、ふ/ぶ、む、ゆ、る、wu」の13個ある。ここで問題は、これらの動詞語尾とは何か、どのように使い分けられているのか、ということである。問題意識としては、動詞語尾にもいろいろあり、一例であるが、扉が「あく(開く)」はワ行語「わく(分く)」が時代を経て変化した(w-&)相通語「あく」であり、「あ」にこそ分離、分割の意味があり、「く」は「分く」時代以来の単なる動詞語尾である。一方、夜が明けるの「あく(明く)」は語頭の「あ」は単なる接頭語で、語尾の「く」にこそ「赤い、明るい」の意味があることである。動詞語尾の意味と使い分けについての解明が待たれる。
12)〔名詞動詞〕動詞には、本来的な動詞のほかに、二拍名詞、三拍名詞が動詞語尾をとって動詞化したものがある。名詞のほか模写語やその他の小辞も動詞化することがある。これらについては横列の左端に【名詞】と表記し、その二拍なり三拍の語から出発して長語化した過程を示している。
13)〔動詞の活用〕ここに示した動詞は、国文法で言うところの終止形である。「来た」「来れば」「来ない」といったいわゆる活用については触れていない。活用形を含めて記述すると図が大きくなり過ぎ、かつ単調でもあるのでここでは控えたが、動詞活用の起源や実態を考える上で重要と思われる。
14)〔ローマ字化〕上記の「子音コンビ」の項でも見るように和語をローマ字化することによって隠れているものが見えてくる場合がある。ローマ字化は重要である。しかし実際に検索作業を行うのでなければ、ローマ字を付すことはいたずらに煩雑さを増すのみであるのでここでは省いた。ただローマ字化の方法(あり方)は、現在社会一般で通用のものによることはできないので、下記の簡明かつ合理的な方法を参考にしていただきたい。
15)〔音の時代的変化〕五十音図上の個々の音(拍)が昔から今日までまったく同じように発音されてきたとは考えにくい。特定の音(拍)については昔の音や音の変化がさまざまに議論されている。ここでは、五十音の実際の音(音価)がどのようであったか、それがどのように変わったか、或いは変わらなかったかには触れず、五十音図上の位置をのみ念頭においている。例えば”は”については、その音の古今の性状は問題とせず、単に”は”の位置にある音について議論している。従って考え方によって、例えば、ハ行音を適宜パ行音なりファ行音なりに読み換えていただいて差し支えない。なお古代の作られた書記システムである万葉仮名の一部をなすいわゆる”上代特殊仮名遣い”については別に詳しく論じるが、それがここでの議論に影響することはない。
16)〔五十音図〕ここに示す動詞図は、下の五十音図にもとづいている。和語のすべての音(拍)はこの五十音図におさまり、この五十音図を越えて和語の音(拍)はない。五十音図は和語の歴史を考える上で決定的に重要である。しかしながらこの五十音という整然たる枠組みが和人の頭の中にいつ頃定着したのか、それ以前はどのような音声の体系であったのか、今は知るよしもない。五十音図については別に論じるつもりであるが、残念ながら五十音図以前の和語の有りようを探る手掛かりは今のところ僅かに残されているのみである。
≪五十音図≫
和語の拍は、下の五十音図に示されるように、清音拍が五十拍、濁音拍が二十拍ある。往時、これらの五十拍(七十拍)すべてが万遍なく使われていた。ローマ字を付したのは、拍を考える上でローマ字化が欠かせないためであるが、詳細については別書に譲らざるを得ない。
| ア段 イ段 ウ段 エ段 オ段
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ア行|あ(&a) い(&i)う(&u) え(&e) お(&o)
カ行|か(ka) き(ki) く(ku) け(ke) こ(ko)
サ行|さ(sa) し(si) す(su) せ(se) そ(so)
タ行|た(ta) ち(ti) つ(tu) て(te) と(to)
ナ行|な(na) に(ni) ぬ(nu) ね(ne) の(no)
ハ行|は(ha) ひ(hi) ふ(hu) へ(he) ほ(ho)
マ行|ま(ma)み(mi)む(mu)め(me)も(mo)
ヤ行|や(ya) yi(yi) ゆ(yu) ye(ye) よ(yo)
ラ行|ら(ra) り(ri) る(ru) れ(re) ろ(ro)
ワ行|わ(wa)ゐ(wi)wu(wu)ゑ(we) を(wo)
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ガ行|が(ga) ぎ(gi)ぐ(gu) げ(ge) ご(go)
ザ行|ざ(za) じ(zi)ず(zu) ぜ(ze) ぞ(zo)
ダ行|だ(da) ぢ(di)づ(du)で(de) ど(do)
バ行|ば(ba) び(bi)ぶ(bu) べ(be) ぼ(bo)
上記の五十音図のうちア行拍のローマ字には「あ(&a)」のように頭に「&(アンド)」記号をつけているが、これは無音の音を示し、すべての拍のローマ字表記を二文字に揃えるための方便である。
ヤ行の「yi」と「ye」、及びワ行の「wu」は、いずれも往時普通に多く使われたものであるが、適当な仮名表記が見つからないのでやむを得ずローマ字のままにおいた。特にワ行の「wu」は、これまで論じられたことがないが極めて重要である。例えば現在のア行語の「うみ(海)」はもとはワ行一拍語の「wu(海)」である。三拍動詞「(木を)植える」「(子が)飢える」は共にワ行語「wuゑる(wuweru)」であり、その前代形は二拍語「wuwu(植wu)」「wuwu(飢wu)」である。多くのヤ行音がサ行音に、ワ行音がア行音に転じるなど、ヤ行音、ワ行音には注意したい。
上記のような原理原則を踏まえて、古今のすべての動詞を本来の姿にもどし、組み直し、並べ換えたものが以下の動詞図である。語学を越えて、単に”あいうえお”順に並んでいては面白くもおかしくもなかった無機的な単語が、このように並べ換えるだけで生き返り、俄然われわれ日本人の興味をかき立てるものがあるであろう。万年単位の昔のわれわれが祖先の生活をうかがい、彼らとのつながりを再確認する手がかりとなるものと思われる。
語学的には、従来型の五十音図ベースの国語辞典にかわるものとして、動詞図をとり込んだ新しい型の国語辞典の構築の可能性が見えて来たと言えるであろう。足立晋
完