「みづ(水)」の正体

 海の水、川の水は言うに及ばず、天から降ってきたり、地から湧く水は、知らない人はいないように、昔から和語ではこれを「み」と言い「みづ」と言ってきた。一拍語「み」は、これ以上分けられないので、和人は「み」の音にもともとの水の意を託してきたようである。日本人は、「み」の音に水の流れの音や水の冷たさ、水による癒しを感じてきた。「しみづ(清水)」と聞いたときの清涼感は何ものにも代えがたい。「み」や「みづ」の音は、水にまつわるさまざまな思いとともに、日本人の身体の中に深くしみ込んでいるであろう。

 

 しかしながら、一拍語「み」はともかくとして、二拍語「みづ」にはどこか釈然としないものが残る。どうしてそういうことになるのかと言えば、そのわけは「みづ」と言うときの「づ」の不可解である。「みづ水」の語の成り立ちを考えるとき、だれもが「み水+づ」と分解するであろう。このとき前項の「み水」は当然として、後項の「づ」の解し難さに悩むのである。「み」だけで水の意を表わすとき、では「みづ」とは何か。後項の「づ」をどう処遇すればいいかが分からない。かくして「みづ」は、今日に至るまで意味不明のままおかれてきた。だが「み、みづ」の言われについて疑問を呈する国語辞書はない。日本人全体がこれを所与のものとして受け入れてきたのである。

 

 最初に種明かしをすれば、実は、「みづ」は、やはり「み+づ」と分けられるのであるが、和語における水の正体は、前項の「み」ではなく、後項の一拍語「づ」にあるのである。和語には多くの例があるように、「づ」は「つ」が連濁を起こした形で、本来は「つ」である。「みつ」である。そして和人は、もともと水を「つ」と呼んでいたと考えられるのである。つまり「みつ」は、「みや御屋*宮」や「みち御路*道」と同じく、和語でよくある「つ水」に敬意を表した表現「みつ(御水)」であり、そのように繰り返し使っているうちに、いつか「つ」は連濁によって「づ」となり、更にはいつしか肝心の後項の「づ」が擦り切れて忘れられ、ついに和人自身も水は「み」と思い込むようになったと考えられる。

 

 肝心の「づ」は形骸化して、水の意をもつようになった「み」を支える付加語の地位に堕してしまった。面白いことに、七、八世紀の記紀万葉人も、二十一世紀のわれわれ日本人と同じように、水は「み」と信じていた。かの柿本人麻呂も山上憶良も大伴家持も「みなと」や「たるみ」、「ゆくみづ」や「みづはしる」などと歌い、古事記をとりまとめた太安万侶も「みづが溜まる」と記したように、水を「つ」ではなく、「み」や「みづ」としてしか知らなかった。だからこそ、幸いにも、現代のわれわれが古事記や万葉集を読むことができるのである。

 

 さて、「みづ水」が「み(接頭語)+つ(水)」であることの根拠を巡っては、以下のようなことが言えるであろう。果たしてこれで万葉歌人や現代の日本人が説得されるかどうか分からないが、さしあたり状況証拠として提出したい。たいへん長くなって、いささか面倒であるものの、多少の手順を尽くさないことには、おそらく優に二千年を越えるであろうこの語の謎を解くことは出来ないので、我慢しておつきあいいただきたい。水が気体の水素と酸素から成っていることを知って驚いた中学生時代を追体験して頂けるのではないかと思うのである。

 

 

1)人間の生体を支える体液である「ち/つ血、ち乳、つ唾」は、生命に必須の「つ水」とともに、いずれもタ行の一拍語で、全体でひとつの語として自然に理解できる。たいへんおさまりがよい。小便は、複雑で難しいが、「のみしらみ馬のしとする枕元」の「しと」をとれば、これは「し(下)+と(水*尿)」と考えられうまく合ってくる。もしここに「み水」が入って来ては和語としての一体性が損なわれてしまう。これまではこれらの語をばらばらに見て、このようにタ行縁語群(渡り語)「ち/つ血、ち乳、つ唾、つ/と水」として並べて見ることをしなかったために、気づかれなかったのである。日国によれば、江戸時代の雑俳に精液を「みづ」と呼んでいるものがある由で、通底するものが感じられる。

 

2)「つゆ汁」「つゆ露」「つゆ梅雨」の「つゆ」三語は、今のところいずれもその成り立ちはまったくつかめないが、「つ水」の存在のもとにはじめて何となく理解できる。これで胸のつかえが半分下りた気分であるが、すっきりするには後項の「ゆ」の解明が欠かせない。三つの「ゆ」がそれぞれ独自の意味をもっているのか、どれも動詞語尾か接尾語か何かか、今のところ何とも言えない。

 

3)形容詞「つめたし冷」は、これも難語で、さまざまに議論されてきた。「つめたし」は、水はつめたいところから、また和語ではわざわざ熱い水を「ゆ湯」と区別して呼んでいるところから、「つ水+めたし」と考えることができる。後項の「めたし」が今のところ分からないが、別に「うしろめたし」という語があり、「つ+めたし」と分解できることは間違いない。ただ、日国によれば「つめたし」が11世紀の文献(落窪物語、枕草子など)に初出の語である点が悩ましい。もし11世紀に造語されたものとすれば、それまで「つ水」が生きていたことになる。

 話は飛ぶが、正倉院御物に「さうづいし(寒水石)」という薬用の鉱物があるという。漢字表記からこれは「さむ寒+つ水+いし石」であろうと見当がつけられるが、では「さうづ(寒水)」とは何か。万葉集に冷たい水の意の「さむみづ(寒水)」の語がある。

 日国によれば、「つめたし」が使われるようになるまでは「さむし寒」が”冷たい”と”寒い”の両方を兼ねていた。”水甕がさむい”の例があがっている。それを区別する必要に迫られて、おそらく、皮膚感覚についてはどこかに眠っていた「つめたし冷」を掘り起し、身体感覚の「さむし寒」と区別するようになったとも考えられる。

 

4)水を引き込んだ日本庭園で見られるものに、底を閉じた竹筒に水を落とし込んで、水の重みで竹筒を転倒させ、下の石に当たってカンという鋭い音を立てる仕掛けがあるが、これを「そふづ(添水)」という由である。これは広く農家でシシ除けに用いられたもので、「かかし案山子」の別名に「そふづ」があるが、この仕掛けそのものを言うとの説がある。またこの仕組みを利用した搗き臼に「そふづからうす(添水唐臼)」と呼ぶ簡単な臼があるよしである。ただし「そふ」は未詳である。

 

5)井戸水を汲み上げる「つるべ釣瓶」は「吊る瓮(へ)」(吊りあげる容器)で固まっているが、単なる「つ(水)+る+へ瓮」とも考えられる。いささか議論に過ぎるが、深井戸を掘って綱の先に桶を括りつけて水を汲み上げたり、はね釣瓶を考案するのは和語の歴史の上でどのあたりのことになるのか分からないが、その前の長い時代を通じてただの容器を使って手で水を汲んでいたであろうということである。

 

6)模写語「つやつや、つらつら、つるつる」の「つ」は水の意であり、いずれも水が光る、したたり落ちる、或いは流れ落ちる様を模写していると考えられる。「つ水+や/ら/る(付加語)」である。模写語も語であり、構造をもつことは言うまでもない。また「つは/づば」は、物を水に投げ入れたときの模写語で、現在の「ざぶん/どぶん」に当たり、「つはと/づばと」として用いられ、霊異記に用例があると、大言海や日国が記している。今日でも日常「ずばっと切り込む」のような言い方をするが、この「ずばっと」はその昔の「つは」と見られる。

 

7)「つ水」を戴く動詞に「つく(浸く)」「つぐ(注ぐ)」「つつ(伝つ)」がある。「つ水」がさまざまな動詞語尾をとった形である。これを決定打と見ることができる。物を水に浸す意の「つく(漬く)」、「つき坏」に水を注ぎ入れる「つく/つぐ(注ぐ)」、木や岩を流れ伝う水を言う「つつ(伝つ)」が「つ水」をいただく動詞群である。

 

つ(水)-つく(漬く)-つかす(漬かす)-つかせる

           -つかる(漬かる)-つからす

           -つける(漬ける)

    -つぐ(注ぐ)-つがす(注がす)-つがせる

    -つつ(伝つ)-つたふ(伝たふ)-つたはる

                    -つたへる

 

 「つく」のミ接語に「みづく水漬」があり、記紀万葉時代の古い言葉で、「海行かば『みづく』かばね、山行かば草むすかばね・・・」(万4094)のよく知られた歌に歌われている。ここで「みづく」の「み」は「水」ではなく、単なる接頭語であることに注意したい。水に潜る意の動詞「かづく」は、「みづく」と同じく「か(接頭語)+つ水+く」と見られるからである。「かづく」は転じて頭に被り物をいただく意にも用いられる。ただし「つぐ注」は、まだ水が器の底に残っている上に継ぎ足す意味で「つぐ継」とも、カラの状態から「つぐ注」とも、両方ともあり得る。

 

8)水や酒を飲むための器に「つき坏」がある。これは(w-t-s)相通現象によって「wuき、つき、すき」と変化したもので同語である。これら三語がどの順で現れたかは難しい。ただ「つき」をとり上げた場合、二拍動詞「つく(水を汲む)」の名詞形と考えることもできる。もし「つき」の「き」を「け笥」の渡り語ととれば、「つき」は「つ(水)+き(坏*笥)」の意となる。

 

9)「つなみ(津波)」の語の存在は意義深い。これはまさに「つ(水)+なみ(並/波)」であった。まず、今日言うところの海岸や河岸に打ち寄せるいわゆる水の「なみ波」は、二拍動詞「なむ並」の名詞形で、単なる物の「ならび(並び)」の意であり、水に関する意味はどこにもない。「つ水+なみ並」となって初めて現在の海や川の「水のなみ(波)」となったのである。つまり、「つなみ」は、本来、地震の後に襲ってくる大波のことを含めて、今日言うところの水の「なみ波」一般のことを言っていた。ところが「なみ波」はこの普通の「つなみ(水波)」からいつか「つ」がとれてただの「なみ波」となったのであろう、「つなみ」の方は、地震や台風による驚異の大波に限定して使われるようになったと考えられる。同じように、例えば「いはなみ岩波*岩並」は、岩に寄せる波ではなく、岩そのものの並み、即ち海辺や川の中にあって波のように並び続く岩そのものの意である。イメージとしては、宮崎県日南海岸の鬼の洗濯板のようなものであろう。

 

10)全国に「つる(鶴、都留、津留)」という地名があり、姓名にも少なくない。同じ「つる」であるが、漢字で「水流」を当てる地名や姓名が特に宮崎県と鹿児島県に多くあるという。「つる」の前後に付加語がついて「つるさき水流崎、つるさこ水流迫、かみつる上水流、しもつる下水流、すぎつる杉水流、やなぎつる柳水流」などと長語化しているものもある。これはまさに和語の源流を指し示す名前と思われる。また各地にある「つるまき」も、大方は低地にあることから、漢字表記はさまざまであるが、「水流巻」とする説がある由である。

 「つる」は「つ水+る」と見られるが、「る」が不詳である。単なる付加語とするとそれまでであるが、表記通りの漢語(呉音)の「流」とも考えられ、そうとすれば紀元前数百年の昔の和漢複合語の可能性もあり得る。さらに「つ水」自体が大陸由来の語であるのかも知れない。この辺からは空想の世界となるが、それはともかく、表記はさまざまであっても、「つる」は「つ水」語と考えられる。

 

11)江戸時代の碩学新井白石による語源辞書「東雅」の「水ミツ」の項の冒頭に「万葉集抄に、水をミとばかりいふも、常の事也、ツといふも、水也といへり」とある。白石は、鎌倉時代の僧仙覚の万葉集抄によって件の記事を読んでその意義を認めたが、自著では単に紹介の形にとどめおいたということであろう。これは、早く平安時代に水を「つ」と見抜く人が居り、江戸時代にそれを追認する人が居たということである。しかし今日までそのままになっていた。

 

12)大言海に「づ〔水〕」の見出しがある。「みづ」の「み」を略したもので熟語にのみ用いられると言い、例として「うなづ海水」「うづ渦」のほか、地名で肥後の国玉名郡「大水(おほづ)」郷の名があがっている。「うづ渦」については、後述する。

 

13)大言海に「ざふず(雑漿)」の見出しがある。飼牛の飲料と水のことを言い、「ざふづ」の仮名で糠などを混ぜた水か、という。

 

14)「みつ」の時代。

 時代は進んで一拍語「つ水」がいつか敬意を表す接頭語となった「み御」をとって「みつ」となった。和人が神を見出して以降のことかも知れない。敬意を表す接頭語「み」をもつ二拍語には「みき神酒、みけ御食、みこ御子、みそ御衣、みた御田、みち道、みね峯、みや御屋*宮、みを御緒*水緒」など沢山あり、「みつ(御水)」もそのひとつであった。このとき、ここに挙げたような「み」のつく二拍語は、すべて後項の語「き酒、け食、こ子、そ衣、た田、ち道、つ水、ね峯、や屋、を緒」が語の意味を担っており、当然のことながら「みづ水」についても後項の「つ」が水の意味を担っている。ただ「みつ/みづ」だけが異常な進化を遂げたと見られる。

 連濁を起こす前の古い形の「みつ」の用例は、なかなか見つからない。全国にいくつかある地名「水海道」のうち、茨城県常総市水海道は「みつかいどう」と読ませているが、この「みつ」は「みづ」と濁る前の語形をとどめているのかも知れない。「かいどう海道」は不明である。

 

15)「みづ」の時代。

 上記の「みつ」は、いつか連濁して「みづ」となった。「みづ」をもつ複合語には「あせみづ汗、きみづ生、こみづ濃、しみづ清、まみづ真;みづye枝、みづかめ瓶、みづき城、みづとり鳥、みづは葉*歯」などが残されている。

 「みづ」が出現してある程度の時代が経過した時点で、「みどり緑」の「みど」の形が現れたと思われる。「みどり」色は本来「みづ」色と見られる。「みどりの髪」は水に濡れたような艶のある髪をいうであろう。

 

16)「み」の時代。

 二拍語「みづ水」から後項の「づ」が落ちて、いつか水は一拍語「み」となった。水があまりに身近な存在で使用頻度が高く、いつしか「みづ」の「づ」が擦り切れて消滅し、忘れ去られたのであろう。

 新しい形の「み水」をもつ複合語には「みぎは水際、みなと水戸*港、みなそこ水底、みなも水面、みなわ水沫;いづみ出水、たるみ垂水、wuみ海水/海」などがある。時代的に水にまつわる最も新しい複合語群と考えられる。

 

17)日国の「みず水」の語誌欄には次の記述がある。

『(1)上代には、水を指す語としてはミヅのほかにミも用いられた。しかし、ミヅが挙例のように単独でも用いられたのに対し、ミは「たるみ(垂水)」や「みなそこ(水底)」などのように、複合語に見られるのみである。(2)神仏に祈る際の水による清めは、水に呪力を認め、とりわけ生命の根元ととらえるような意識から生まれたものと考えられる』。

 このうち(1)は、「みづ」と「み」に対する和人の古い記憶の反映かも知れない。(2)は、「つ」に敬意を表す接頭語「み」がついた説明となる。

 

18)「つ津」と「つ水」

 「つ津」は、多数の用例の文脈から、明らかに舟の泊まり場、はと場、及びその背後の町を含めた港町の意がある。つまり「つ津」は、「つ水」そのものとは別語の”土地・所”の意と考えられる。「た、ち、つ、と」がひっくるめて「地、土」を意味することは別に詳述する。

 日国によれば、「つ」は泉など水の湧き出るところを言うという。用例に万葉集の「鷲の住む筑波の山の裳羽服津(もはきつ)のその津(つ)の上に率(あども)ひて未通女壮士(をとめをとこ)の行き集ひかがふ歌(かがひ)に・・」(万1759)という古代の男女交際について歌った有名な歌の例があげられている。この歌には不詳語がいくつもありすっきりしないが、「もはきつ」は不明ながら筑波山中の特定の場所の名と見て、その「津の上に」男女が集まる、とある。「うへ/へ上」はほとりと見ることができるので、日国の編者は「つ」を水の湧くところと判定したということである。しかしこれもやはり単に場所の意と思われる。

 

 以上を通じて「つ」の音が和語本来の水を表わすことは動かない。やまとの地では、水は、「つ」→「みづ/みど」→「み」と流れたようである。今後さらに「つ水」の観点から国語資料や特に地名や氏名、姓名の解析を重ねることによって一層確たるものになると思われる。

 

 今さら水は「み」ではなく「つ」だと言われてもどうもぴんと来ないし、日本人としての足もとをすくわれたような気持ちで落ち着かないという人がいるかも知れないが、それほど「つ」の時代は遠くなったということであろう。

 

足立晋