「やま(山)」とは何か。

 本欄ではこれまで和語は、本来、一拍語や二拍語という短小語で生れ、それが時代を経過するにつれて長語化してきたことを示してきた。それだけでなく”太古の和人の生活にとって重要なものは大抵一拍語で表現された”などと乱暴なことを言いかけている。長語化の例として、長語化は動詞において典型的であるが、全ての動詞について動詞図を示した。名詞にあっても「つ(水)」が「みづ(水)」と長語化したことについていろいろ論じたほか、「wu(海)」⇒「wuみ(海〔海水〕)」や「を(魚)」⇒「wuを(魚〔海魚〕)」などの例を挙げて来た。

 

 しかしながら、なかなかそうはいかない語も少なくない。その中で最難関のひとつが「やま(山)」である。大陸から筏で大海を漕ぎ渡って来た和人の祖先は、陸に上がると直ちに険しい日本の山々と向き合うことになるが、これが「やま(山)」と二拍語であっては困るのである。長すぎる。他の例から見てこれも例えば「や」とか「ま」とか、一拍語でないことには落ち着かない。では「やま(山)」とは一体何か。

 

1)「やま」を一拍語の組み合わせと見る。

 

 二拍語「やま」は、まず、一拍語二つの組み合わせと見て「や+ま」と分けて考えることになる。ところが「や」については「や」語を総当たりしても当てはまりそうなものは見つからない。強いて言えば「や(矢)」のように空に向かってそそり立っているいるものとなるが、「ま」との組み合わせで行きづまる。「ま」も難しい。

 ところでこの段階で直ちに語形と意味のよく似た地物である「しま(島)、ぬま(沼)、はま(浜)」が思い浮かぶ。そう言えばこれらも「やま」と同様に一拍語でなければならない重要な語ではないのか。「のま(野間)」や「まま(崖)」もあるであろう。藪をつついて蛇を出してしまったようである。

 

1-1)「しま、ぬま、はま、やま」の後項の「ま」を「ま→ば(場)」と相通語化する前段階の形で、一定の広さをもつ土地の意ととればどうか。”足場、広場”などの「ば(場)」は、漢語ではなく、「には(庭)」の変化した形でもある。「しま」は「し」が”石、砂”であるので語としては問題ない。しかし”海の中の小さな陸地”とすると問題である。「ぬま」も「ぬ」には議論があるが”沼、野”と見てこれも特に問題はない。「はま」の「は」は、「はら(原*腹)」の「は」と同様”広大”の意とすると「ま」との組み合わせは受け入れられる。整理すると「石ま(しま)、野ま(ぬま)、原ま(はま)」となるであろう。しかし「やま」については「や」が決まらないので何とも言えない。

 

1-2)「しま、ぬま、はま」などの「ま」を「はら(原/腹)」の「ら」と同じような単なる接尾語と見ることができる。しかし「しま、ぬま、はま」には当てはまってもやはり「やま」には無理である。

 

 「しま、ぬま、はま、やま」について、もとは一拍語「し、ぬ、は」であったとすることは考えられなくはないが、「や」は無理である。「やま」は一拍語にたどり着くことはできなかった。

 

2)「やま」を二拍語と見る。

 

 次は「やま」を本来的な二拍語と見ることになる。ここに来るとすぐに深山幽谷などの連想から「やみ(闇)」「ゆめ(夢)」「よみ(黄泉)」などと一連の暗黒を意味する(ym)子音コンビ語に思い至る。”山”と”暗やみ”を結びつける試みである。これは、巨大な山塊に向き合った時の日本人の心性を考えると、これを西洋人のように征服してやろうと思うより、まずその威容に畏怖の感を抱く、或いはその威容を讃嘆するであろうことにかんがみ、「やま」を「やみ」の縁語と見ることに無理はないと考える。

 

 ただ「やま」「やみ」を追及していくと、(ym)語だけでなく、(yh)語、(yr)語もあり、これらは結局”闇”を言うヤ行渡り語「や、yi、ゆ、ye、よ」とその派生語群からなることが判明する。それらを図化してみると次のようになるであろう。この中で「やま(山)」がおそらくどこかにその位置を確保しているであろうということである。いずれにしても「やま」は本来の二拍語ではなかった。

 

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や(夜)-やは(yh)「や(夜)」「やは(夜半)」

    -やま(ym)「◎やま(山)」「やみ(闇)」

yi(夜)-yiは(yh)

    -yiま(ym)「yiめ(夢)」〔”夢”が「いめ(寝目)」でないことは別に述べた。〕

ゆ(夜)-ゆは(yh)「ゆ(夜)」「ゆふ(夕)」

    -ゆま(ym)「ゆめ(夢)」

ye(閻)-yeは(yh)

    -yeま(ym)「yeま/yeんま(閻魔大王-冥界を司る王)」〔これには議論があるであろう。〕

よ(夜)-よは(yh)「よ(夜)」「よは(夜半)」「よひ(宵)」

    -よま(ym)「よみ(黄泉)」「よも/よもつ(黄泉)」

    -よる(yr)「よら(夜)」「よる(夜)」

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 ここでも「やま(山)」は一拍語に戻らなかった。ところで和語には”暗やみ”を言う言葉には上記の語群とは別に「くらし(暗)/くろし(黒)」の(kr)語群があり、それとの違いを明らかにする必要が出て来た。もし”山”が闇なら、どうして「くら(山)」ではなかったのか。

 

 「くらし、くろし」語群は次のようにまとめて表現できるであろう。

 

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く(黒)-くす(黒す)-くすむ(黒すむ)-くすます-くすませる

    -くむ(黒む)-くもる(曇もる)「くも雲」

    -くる(黒る)-くらす(暮らす)「日を暮らす(暗らす)、夜を明かす」

           -くらむ(眩らむ)-くらます-くらまさる-くらまされる

                         -くらませる-くらませらる-くらませられる

           -くれる(暮れる)

           -くろむ(黒ろむ)-くろます

 

    -くら(暗 )「くらし暗、くらおかみ闇靇、くらみつは闇罔象」

     くり(涅 )「くり涅、くりいし涅石」

     くれ(暮 )「ゆふぐれ夕暮」

     くろ(黒 )「くろし黒、くろいかつち黒雷、くろがね黒金、くろかみ髪、くろき酒」

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 和語では「く、くろ(黒)」は、明るいこと、良いこと、無実であることを言う「し、しろ(白)」に対して、その反面を言う語である。そのことは「腹黒い」「白黒をつける」などの慣用句にも広く見られる。この点で「やま(山)」との結びつきは無理のようにも思われる。

 

 この「くらし、くろし」と「やま、やみ」との違いは何か。色については「やみ色」はないのではっきり異なるが、光や気(雰囲気)については説明できるのかどうか。「やま(山)」を”暗やみ”と捉えることができるかどうかの議論で横道に入ってしまったが、明快な結論には至りそうにない。

 

 ともあれ、「やま」は、「やみ」などの暗さを言う語とは関係なく、言わば後世の高度な文化語らしいことが分かった。

 

3)「やま(山)」以前の語は何か。

 

 大昔の和人が山をいきなり「やま」と呼んだわけもなく、もとはやはり何か一拍語であったであろうとの思いは消えない。可能性から言えば、例えば土地の高みを言うであろう現代語の「をか(岡*丘)」や「をね(尾根)」のもとの語である「を(峯)」があるではないか。実際にもともとは山を「を」と呼んでいたが、後に「やま」が入り込んで来て「を」を追放したという物語が隠れているかも知れない。

 

 ほかに考えられることと言えば、土の塊りである山に対してはやはり”土砂、土石”語で立ち向かうしかない。和人は、土砂、土石類は、先ず、タ行渡り語で表現した。「た田、ち地、つ津、と土」などなどである。時代が進むにつれて、この土を言うタ行渡り語がそっくりサ行渡り語に相通語化して「さ砂、し石、す洲、せ瀬、そ磯」と膨れ上がり、さらにタ行語はお決まりのようにナ行語にも相通語化した。「な土、に丹、ぬ沼、ね嶺、の野」である。これを整理して図化すると次のようになるであろう。

 

 

  さ(沙)-し(石)-す(渚)-せ(瀬)-そ(磯)

  ↑    ↑    ↑    ↑    ↑

  ◎  た(田)-ち(地)-つ(津)-て( )-と(土)

  ↓    ↓    ↓    ↑    ↓

  な(土)-に(丹)-ぬ(沼)-ね(嶺)-の(野)

 

(ここにあげた漢字は単なる参考までである。)

 

 これら一拍語をもとに数多くの複合語が生まれている。例えば、いさご砂*沙、まさご真砂、しま島、いし石、さざれし細石、つみし積石、すとり洲鳥、すな砂、すひぢ洲土*渚土、すはま州浜、うらす浦洲、さす砂州、そ/いそ磯;たゐ/なゐ田居、とこ/ところ処、とち土地;なゐ土居/なゐふる地震、なゐふる、はに埴、ぬ沼/ぬま、などなどである。これらはすべてひとつの縁語群である。

 

 そうとすれば得体の知れない「やま(山)」ももとはこのうちのひとつではなかったか。「と(土)」と言ったかも、「ね(嶺)」と言ったかも知れない。

 

4)「やま(山)」は和語か。

 

 日国の”山”の語源説欄には、12個の語源説のひとつとして、『陸地の意のアイヌ語から〔アイヌ語より見たる日本地名研究=バチェラー〕』説があがっている。突如このようなものが飛び出すとびっくりするとともに嬉しくなるのであるが、言われるように和語、和語と騒いでいるだけではなく、琉球語やアイヌ語を含めもっと目を広げる必要があるであろう。和語とアイヌ語、琉球語がともにまぎれもない姉妹語(同語)であることは別に述べる。

 ここで言うところの”陸地の意のアイヌ語”とはアイヌ語の一拍語「や(陸)」のことであろうが、その蓋然性はゼロとはしない。だが「ま」についての言及もほしい。アイヌ語で”山”は広く「ぬぷり」であるが、これを手掛かりにここでの議論に役立てることも出来るかも知れないが今はその用意はない。

 

 

 結論としては、「やま(山)」は、依然として不明であるが、結局「や+ま」の「や」と「ま」に戻って、まだ知られぬ一拍語「や」の探索に帰り着くように思われる。「やま」は「しま、ぬま、はま」などとの語形と意味からの類似性は無視すべくもなく、さらに一拍語「や」には「や(谷)」「や(屋)」などもありいずれきれいに説明されるかも知れない。「しま、ぬま、はま、やま」の前の時代の語を決める手立ては今のところない。

足立晋