その昔、シナ人は、われわれ日本人や日本の国を「倭、倭人、倭国」と漢字で表現したという。これは、日本にやって来たシナ人(例えば漢や魏からの使人、使節)が、和人が自分のことを「わ、わ」と言っているのを聞いて、当時のシナ語音で「わ」を表現するいくつかの漢字の中から、理由はつまびらかにしないが、「倭」を選んで日本や日本人を表現したことによるであろう。反対にシナの地に使いした日本人が「わ」を伝えたこともあったに違いない。考えて見れば当時の日本人が「国の名」を問われてもまるで理解できなかったはずで、当然返事もできなかった。
平安時代初期の日本書紀の講読の記録である「日本紀私記」序に同じ説が紹介されているというが、これに従う。これ以外に「倭」を説明する然るべき方途を思いつかない。この「わ」というひと言が、表記を穏やかな「和」と変えて、実に二千年後の今日も普通に使われていることには、ものと比べて言葉の凄み、不思議さを思い知らされる。
ところで、自分のことを言う上記の一拍語「わ(我*吾*私)」であるが、これを和語の体系の中に位置づけるとすればおおよそ次のようになるであろう。
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わ:わ(我*吾*私*倭*和)
(wg)わが/わぎ/わご//あが/あぎ(以下どれもワ行音からア行音への相通現象が起こっている)
(ws)わし/わい/わっし//あし/あっし、
(wt)わた/わたき/わたく/わたし/わたい/わたくし/わち/わちき/わっち/わて//あたし/あたい/あたくし/あて、
(wn)わな/わぬ(m3476)/わぬし//あな、
(wr)わら/わらは/われ/われわれ/われら/わろ(我)
ゐ:
wu:wu(倭*我*吾*私)
(wg)--
(ws)--
(wt)wuち/うち、
(wn)wuぬ/うぬ〔wuぬぼれ/をのぼれ(己惚)〕
(wr)wuら/うら
ゑ:
を:を(倭*我*吾*私)
(wg)--
(ws)をし、
(wt)をた/をたく/をたし/をたくし//おたく、
(wn)をぬ/をぬし/をの(己)/をのれ//おの/おのれ、
(wr)をら/をれ//おら/おれ(俺)
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”我*私”の意の一拍語「わ」は、単独であるのではなく、上図のようにワ行の「わ、wu、を」の三段にわたる渡り語のひとつである。本来は「わ、ゐ、wu、ゑ、を」の五段にわたって然るべき語が存在したかもしれないが、今日には三段しか伝わっていない。「わ」以外の”私”を意味する「wu」「を」は一拍語としては使われていないようである。一拍語の和語はどれも最大五段の渡り語として成立した。この「わ」が「倭」として日本の代名詞となった。
”我*私”の意の一拍語「わ、wu、を」が、第二拍に”ガ行、サ行、タ行、ナ行、ラ行”拍をとって二拍語となり、広く使われるようになった。これらのワ行拍で始まる語は、上のリストで明らかなように、ほとんど全てア行拍音に相通語化している。
「わたし/わたくし(私)」という言葉は、まず「わ」があって、それにタ行拍がついて(wt)子音コンビ語「わた、わて、wuち」が出来た。「わた」単独の用例があるかどうか。これがカ行拍をとって三拍語「わたき、わたく/わちき/をたく」が成立し、さらに「わたく+し」と長語化した。最長の四拍語である。「わたくし」や「わたし/をたし」の「し」については今後の解明を待ちたい。「わて」「wuち/うち」は今日も使われている。今も関西弁で小さな女の子が使う「うち」は本来ワ行語「wuち」の古語であった。
「わら/わらは」は、上記の通り、本来自分のことを言う代名詞であったが、いつか”童子”の意に転じてしまった。これを模写語「わらわら、wuろwuろ、をろをろ」に結びつけるのは無理筋と思われる。
「をら/おら(おらあ)、をれ/おれ(俺)」がいつ頃どのような機縁で男性専用になったのか知りたいものである。
以上のすべての語が”私を意味するワ行縁語群”である。
足立晋
完