「いき(息)」をするということ。

 「いき(息)をする、いき(息)をしている」とはどういうことか。それはいとも簡単で、空気を吸ったり吐いたりすること、またそうしていることで、それはとりも直さず「生きている」ということである。では「「いき(息)」とは何か。「空気をする」とは言えないので「息=空気」ではない。「いき(息)」とは大気のうち人間の肺臓を出入りする空気のことか。それもおかしい。

 

 そこで国語辞典の出番である。日国によれば「いき(息)」の語釈の第一は上記の「口や鼻を通して吐いたり吸ったりする気体。呼気と吸気」であり、二つ目に「空気を吐いたり吸ったりすること。呼吸」とある。第一はもの(物)であるが、第二はこと(事)で、大違いである。日本語における名詞「いき(息)」の長年にわたる無数の用例からはこうなるのであろう。

 

 種明かしをすれば、「いき(息)」とは二拍動詞「いく(息く)」の名詞形で、”息をすること”である。それがいつか呼気の意の名詞「いき(息)」をも言うことになったと考えられる。

 

 ここでの問題は今日では使われることのない動詞「いく(息く)」である。まず「いき(息)」に戻って、母音拍で始まる語は本来の和語にはなく、イ接語の二拍語は少なくないという事実にかんがみ、「いき」は「い(接頭語)+き(気)」であろうと考える。「き」には仮に「気」を当てたが、後に述べるように中味は非常に複雑である。ところで和語の原則であるが、一拍語「き(気)」は、これが単独で存在することはなく、「き(気)」と同じような意味をもつカ行渡り語のひとつであるはずである。そこで辞書を頼りに探索をすすめた結果、とりあえず次のような図を描くことができた。

 

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か(気)-かぐ(香ぐ)-かがす(嗅がす)-かがせる-かがせらる-かがせられる「か(香)、かぐ(嗅ぐ)」

           -かがる(嗅がる)-かがれる

    -かwu(香wu)-かをる(香をる)「かをり(香*薫)」

き(気)-きる(気る)-きらす(霧らす)「き気」「きり霧、あまぎらす天霧、うちきらす打霧」

           -きらふ(霧らふ)「あまぎらふ天霧、たなぎらふ棚霧、みなきらふ水霧」

く(気)~いく(い気)-いかす(い気す)-いかさる-いかされる「いき(息)」「いかす(生かす)」(イ接)

                    -いかせる

           -いきむ(い気む)-いきまふ

           -いきる(い気る)「いきる(生きる)」

           -いける(い気る)「(花を)活ける」「いけ(池)」

           -いこふ(い気ふ)(息を継ぐ)

    ~おく(お気)-おこる(お気る)-おこらす-おこらせる「おき(息)、おきながたらしひめのみこと(気長足姫尊・息長足姫命)(神功皇后)」「おこる(怒る)」(オ接)

                    -おこらる-おこられる

    ~しく(し気)-しかる(叱かる)(シ接)

           -いかる(怒かる)(シ接→イ接)

け(気)「けはひ(気延*気這)〔気配〕」

こ( )

 

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か:「あきのか秋香、かぐはし香妙、かぜ風」

き:「き酒*気;いき息/いきのを息緒、おき息、くろき黒酒、しろき白酒、みき神酒、ゆき斎酒」

く:「くし酒;くしのかみ酒司、ことなぐし事無酒、ゑぐし笑酒、さけ酒/わささけ早稲酒」

け:「さけ酒、ゆげ湯気」「けきたなし;かみのけ神、しほけ塩気、ちのけ血気、ひとけ人気、ほけ火気」

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 これがすべてひとつの縁語グループとして括ることができるかはしばらくおいておく。ここに見られるカ行渡り語「か、き、く、け」は、空気のような気体でもあれば、空気が水分を含んだ霧、鼻で嗅ぐ匂い、雰囲気のようなつかみどころのないものをも大きくとり込んでいる。「かぜ(風)」は、語末の「ぜ」は分からないが、「か」は「気」かも知れない。「さか/さけ(酒)」や「くろき(黒酒)、みき(神酒)」の「か、き、け」を見れば、酒は液体であるものを和人はこれを「気」として捉えていたであろう。「こ」が見当たらないが、どこかに隠れているかも知れない。

 

 和語の原初の時代には「息をする(生きる)」という意の一拍語「く」があったと考えないわけにはいかない。おそらく「息をしているのか、生きているのか」を「く、く」と肩をゆすって確かめる時代があったであろう。それが接頭語「い」をとって「いく(い気*息く*生く)」、「いきる(息る*生きる)」と長語化し、意味を膨らませ今日に続いている。

 「息をする」ことも長い歴史を負っている。

 

足立晋