和語は”拍”からなっている。拍を積み重ねて語をつくっている。拍の数は知られている限りでは50個である。議論のあるところであるが、ここでは50個としておく。和語の語は始めはおそらく拍ひとつの一拍語から出発した。ところがひとつの拍に多くの意味をもたせることにも限界があり、次第に拍を連らねて二拍語、三拍語と長くして行った。このようにして和語は意味や意思を表現し伝達するという言葉(語)に対する要求に応えていったであろう。
和語の大きな特徴として、和語には名詞、動詞を問わず、(1)ひとつの拍に特定の意味をもたせ、次いで(2)同じ行の他の拍に似たような意味をもたせ、さらに(3)ひとつの拍を積み重ねることによって語を長くし語数を増やしていくという事実がある。この点を理解すべく長年苦労する中で、長短さまざまな語が入り乱れる和語の実体に鑑み、似たような語をたてよこに並べて見ることを試みるようになった。縦(たて)には意味の似たような語を、横(よこ)には最短の一拍語から二拍語、三拍語・・・の長語へと並べてみることに思い至った。一部は本サイトで公開している。当初はまるでいたづら書きに過ぎなかったが、手探り状態の中から次第に形をとりはじめて、当面、以下に見るような定形に落ち着いた。特に動詞において長語化の過程がきれいに把握されることから当初”動詞図”と称していたが、そこに関連するさまざまな語をとり込んで次第に”縁語図”と呼ぶようになった。
縁語図には和語にひそむ見事な体系性が明瞭に示される。縁語図を書くことによって和語が見えてくる。和語の本来の意味が少しづつ明らかになって来た。そこで全語にわたる行き届いた縁語図をつくりたいところであるが、勿論、ひとりでできる作業ではない。時間ばかりかかっていまだ道半ばであるが、ここではこれまでにたどり着いたところを、それもその全体を尽くすことはできないので、個々の動詞の図を順不同で取り上げながらそれに伴う事象についての筆者の見解を述べることとしたい。とりとめもない散漫な文章が続くことをあらかじめお断りしておく。
折しも ”ChatGPT” の登場である。日本人にとってはさきのコンピュータなる金物に次ぐ今度は目に見えない黒船の到来である。われわれコンピュータの登場に驚き飛びついた世代の人間にはこのさらなる挑戦には立ち向かうすべもないが、言葉を考える上でも大きな武器になることを予感させる。既にして試みにいくつかの和語の語源を尋ねると直ちには正答と思しき回答には至らないが、少し誘導することによって世上あふれる当てずっぽうの語源説にひとつひとつ疑問を呈するほどの勢いである。これが成長を重ね、使いこなすことによって日本語の探求にも新たな地平が開かれるであろう。期待してやまない。
雑談はおいて、第一回は和語における「ある」と「ない」をとり上げる。
和語では人や物の存在を言う語は「ある、いる、おる」である。このうち「ある」は物一般について使われるのに対し「いる」と「おる」は人と動物について使われる。
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わ(在)-わる(在る)
あ( )-ある(在る)-あらす(在らす)-あらせる-あらせらる-あらせられる(w-&相通形)
-あらる(在らる)-あられる
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ゐ(在)-ゐる(居る)
い( )-いる(居る)-いらす(居らす)-いらせる-いらせらる-いらせられる(w-&相通形)
-いらる(居らる)-いられる
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を(在)-をる(居る)
お( )-おる(居る)-おらす(居らす)-おらせる-おらせらる-おらせられる(w-&相通形)
-おらる(居らる)-おられる
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存在を意味するワ行渡り語「わ/わる/ある、ゐ/ゐる/いる、を/をる/おる」の動詞図である。和語では、原初、存在の意はワ行拍「わ、ゐ、を」で表された。それらが長い時代を経過するうちにア行語に転じ長語化を続けていることを示している。上図で縦方向は似た意味の三つの渡り語を並べ、ワ行語が(w-&)相通現象によってア行語に転じた様子を示している。横方向は時代によるそれぞれの語の長語化の過程を示している。和語本来の姿を示すたいへん整ったきれいな図である。
このうち「いる」と「おる」は最近まで「ゐる」「をる」と表記されてきたので、「ゐる」が「いる」になり、「をる」が「おる」になったとする説明は特に問題なく受け入れられる。だが「ある」が「わる」から転じたとすることには抵抗を感じるかも知れない。「ある」の意味での「わる」の用例は見当たらないようである。しかし「ゐる→いる」「をる→おる」の(w-&)相通の事実を受け入れる限り「わる→ある」の相通化も理屈として受け入れられなければならない性質のものである。ワ行拍のア行拍への相通現象はこの後しばしば見ることになる。
今日学校文法ではこの「ある」「おる」が特別扱いされている。両語の終止形を「あり」「おり」としてこれを変格活用としている。だが「あり」「おり」が終止形であるとするのは明らかに言い過ぎで、終止形としては他語同様「ある」「いる」「おる」が存在する。ただ「あり」「おり」の形も時代によるなどの一定の状況下でこれを終止形の意で使われたということであろう。「いり」が行われなかった理由は不明であるが、口調の関係かも知れない。従ってこれを”終止形”と称するのは適切ではなく、これを”変格活用”とするのはさらに適切ではない。変格活用については別に詳しく触れる。
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ところで上図はもう少し大きな図の簡略版であった。今日に残された資料をまとめると次のようになるであろう。
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わ( )-わく(生く)「湧く」(命が湧く)
-わす(生す)「在す」
-わる(生る)
あ( )-あす(生す)
-ある(生る)-あらす(在らす)-あらせる-あらせらる-あらせられる(w-&相通形)
-あらる(在らる)-あられる
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ゐ(居)-ゐる(居る)「ゐあかす居明、ゐしづまる、ゐぬ(居寝*率寝)」
い( )-いる(居る)-いらす(居らす)-いらせる-いらせらる-いらせられる(w-&相通形)
-いらる(居らる)-いられる
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wu(居)-wuつ(居つ)「つきwu(急居)、しりかたwuつ」
-wuwu(居wu)-wuわる(植わる)「植wu」
-wuゑる(植ゑる)-wuゑらる-wuゑられる
す(据)-すwu(据wu)-すわる(座わる)-すわらす-すわらせる-すわらせらる-すわらせられる(w-s相通形)
-すゑる(据ゑる)-すゑらる-すゑられる
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を(居)-をる(居る)-をらす(居らす)-をらせる
-おる(居る)-おらす(居らす)-おらせる-おらせらる-おらせられる(w-&相通形)
-おらる(居らる)-おられる
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ここには人や物が存在する前の「生まれる」意の語が見られる。即ち「わく(湧く)」は、地から「水が湧く」、腐蝕物から「虫が湧く」のように本来”生成、誕生”する意であろう。そうとすると「わる」も「ある(生る)」、即ち”生成する、生まれる”が本意であることになる。
「植wu」「据wu」は「植える、座わる」「ある」である。ここでは「植ゑる」と「据ゑる」がもともと同語であることが示されている。「(木や草を)wu(植)-wuwu(植wu)」「植ゑ木、植ゑ草」などの語の存在から、一拍語「wu(植)」の時代から、栗の木や稗(ひえ)、粟(あは)のような有用な草木を野山から引き抜いてきて、それを小屋の周囲など身近なところに”植える”作業を行っていたと考えられる。渇いてくれば水をやったであろう。肥料(しもこye下肥-糞尿)もやったに違いない。農業である。語学からすれば一拍語の時代には農業が行われていた。さらに木や草を「植える」作業は、湯を沸かすために底の尖ったいわゆる尖底土器を火床に「据える」(突き刺す)ことと同じである。考古学の教えるところによれば、土器の製作は遅くとも1万6千年前には行われていた。
なお、ここでは「わ」が「あ」に転じたり、ワ行の「wu」が「す」に変わったりしている。これは和語に多く見られる子音の相通現象の例であり、和語の特徴のひとつである。唐突であるが、”おいなりさん”の「yiなに(稲荷)」が「いなり」と変わり、”おたり村”の「をたに(小谷)」が「おたり」となっているのも(y-&)(n-r)(w-&)という相通現象によるものである。これらの相通現象をできるだけ集め整理するとたいへん大きく複雑な図になり一挙に掲載することはできないので、都度指摘することとしたい。ここでは「わる→ある」「wuwu→すう」などもそうしたものかと読み流していただきたい。この図はいずれさらに大きくなるであろう。
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「在る」ことはワ行で表された。一方「ない」ことはナ行で表される。下の図にみる「~」記号は”通常の長語化ではなく、接頭語をとった語”の意である。
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な(無)-なく(無く)-なくす(無くす)-なくさる-なくされる「なくなる、なし(無し)」
-なむ(無む)-なまる(匿まる)
~しなむ(匿なむ)「しな(否)」(シ接)
~いなむ(否なむ)〔「いな(否)」は「しな」が転じた形。(s-&)相通語〕
-なぶ(無ぶ)-なばる(匿ばる)「なばり(隠*名張)、よなばり(吉隠)」
~しなぶ(匿なぶ)
~いなぶ(否なぶ)
~むな(空 )「むなし空*虚、むなくに空国、むなこと空言、むなて/たむなて徒手」(ム接)
な( )-なぐ(流ぐ)-ながす(流がす)-ながさふ
-ながさる-ながされる「ながし長」
-ながむ(眺がむ)-ながめる(長む/詠む/眺む-長める/眺める)
-ながる(流がる)-ながらふ-ながらへる「(たたき)まながる」
-ながれる
-なげる(投げる)-なげらる-なげられる
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に(逃)-にく( )〔「にぐ」があるところから、本来存在したと考えられる〕
に(逃)-にぐ(逃ぐ)-にがす(逃がす)
-にげる(逃げる)-にげらる-にげられる
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ぬ(抜)-ぬく(抜く)-ぬかす(抜かす)-ぬかさる-ぬかされる「ふみぬく踏抜、もぬけ蛻」
-ぬかせる-ぬかせらる
-ぬかる(抜かる)-ぬかれる
-ぬける(抜ける)「底が抜ける」
ぬ( )-ぬぐ(脱ぐ)-ぬがす(脱がす)-ぬがさる-ぬがされる「ぬぎwuつ(脱棄)」
-ぬがせる-ぬがせらる-ぬがせられる
-ぬがぬ(流がぬ)-ぬがなふ
-ぬがる(流がる)~まぬがる-まぬがれる(免る)(マ接)
-ぬぐふ(拭ぐふ)-ぬぐはす「てぬぐひ手巾」
-ぬぐはる-ぬぐはれる
-ぬげる(脱げる)
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の(退)-のく(退く)-のかす(退かす)-のかせる-のかせらる
-のかふ(退かふ)
-のける(退ける)-のけらる-のけられる
-のこす(残こす)-のこさす-のこさせる
-のこさる-のこされる
-のこる(残こる)
ど( )-どく(退く)-どかす(退かす)-どかせる(n-d相通形)
-どける(退ける)
の(逃)-のぐ(逃ぐ)-のがす(逃がす)
-のがぬ(逃がぬ)-のがなふ
-のがる(逃がる)-のがれる(のがなふ)
~まのがる-まのがれる(免る)(マ接)
-のごふ(拭ごふ)-のごはす-のごはせる「かいのごひ掻拭、たのごひ手巾」
-のごはる-のごはれる
~しのぐ(し逃ぐ)-しのがす-しのがせる(凌ぐ)(シ接)
-しのがる-しのがれる
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和語ではものやことが存在しない、「ない(無)」ことは一拍語「な」と他のナ行拍で表現される。「な」という状態をもとに、「なくす、なくなる」という行為や状況を和人は、漢字表記は別として、上記のナ行縁語群で把握していると見られる。目の前にあるものが消えて見え無くなるという趣である。
ここで不思議なのは「のこす」「のこる」である。これは別語でなければ「のける」と相反の関係にあることになる。ここは用例から探る方法と何か理屈を立てる方法があるであろうが、ともあれ釈然としない。
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「な/なく」の意を表す語にはもうひとつ「かく(欠く)」に始まるカ行縁語群(渡り語)がある。
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か(欠)-かく(欠く)-かかす(欠かす)
-かくす(隠くす)-かくさす-かくさせる
-かくさふ
-かくさる-かくされる
-かくせる
-かくふ(囲くふ)-かくはす-かくはせる
-かくはる-かくはれる
-かくむ(囲くむ)-かくまふ-かくまはる-かくまはれる
-かくまる-かくまれる
-かくる(隠くる)-かくらふ
-かくれる
-かくろふ
-かける(欠ける)
-かこふ(囲こふ)-かこはす-かこはせる
-かこはる-かこはれる
-かこむ(囲こむ)-かこます-かこませる
-かこまる-かこまれる
き(消)-きゆ(消ゆ)-きyeる(消yeる)「きyewuす(消失)、きyeのこる(消残)」
-きる(消る)
く(消)-くゆ(消ゆ)
-くる(消る)-くらす(消らす)「立山の雪しく(消)らしも」(m4024)
け(消)-けす(消す)-けさす(消さす)-けさせる「けのこる(消残る)、ゆきげ(雪消)」
-けさる(消さる)-けされる
-けつ(消つ)
-けぬ(消ぬ)
-ける(消る)「たまげる」
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物や人がない、いない、見えない、また無くすことを言うカ行渡り語「か/き/く/け」である。
和人は、物や物影が視界からなくなる、存在しなくなることのさまざまな面を、上図のように、カ行渡り語でまとめて表現している。和語の論理性の高さを示す典型的な縁語群である。
(2023/04/30)
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つづく
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