2021/08/26
さきに本欄で触れた「やま(山)」についての疑問は、これは古代史の鍵を握る語のひとつである三拍語「やまと」を念頭においてのことであった。語学のサイトではあるが、「やまと」を抜きにして日本の古代史はない。 1)「やま(山)」をどう考えるか。...
2021/07/20
「いき(息)をする、いき(息)をしている」とはどういうことか。それはいとも簡単で、空気を吸ったり吐いたりすること、またそうしていることで、それはとりも直さず「生きている」ということである。では「「いき(息)」とは何か。「空気をする」とは言えないので「息=空気」ではない。「いき(息)」とは大気のうち人間の肺臓を出入りする空気のことか。それもおかしい。
2021/07/18
その昔、シナ人は、われわれ日本人や日本の国を「倭、倭人、倭国」と漢字で表現したという。これは、日本にやって来たシナ人(例えば漢や魏からの使人、使節)が、和人が自分のことを「わ、わ」と言っているのを聞いて、当時のシナ語音で「わ」を表現するいくつかの漢字の中から、理由はつまびらかにしないが、「倭」を選んで日本や日本人を表現したことによるであろう。反対にシナの地に使いした日本人が「わ」を伝えたこともあったに違いない。考えて見れば当時の日本人が「国の名」を問われてもまるで理解できなかったはずで、当然返事もできなかった。
2021/07/01
本欄ではこれまで和語は、本来、一拍語や二拍語という短小語で生れ、それが時代を経過するにつれて長語化してきたことを示してきた。それだけでなく”太古の和人の生活にとって重要なものは大抵一拍語で表現された”などと乱暴なことを言いかけている。長語化の例として、長語化は動詞において典型的であるが、全ての動詞について動詞図を示した。名詞にあっても「つ(水)」が「みづ(水)」と長語化したことについていろいろ論じたほか、「wu(海)」⇒「wuみ(海〔海水〕)」や「を(魚)」⇒「wuを(魚〔海魚〕)」などの例を挙げて来た。 しかしながら、なかなかそうはいかない語も少なくない。その中で最難関のひとつが「やま(山)」である。大陸から筏で大海を漕ぎ渡って来た和人の祖先は、陸に上がると直ちに険しい日本の山々と向き合うことになるが、これが「やま(山)」と二拍語であっては困るのである。長すぎる。他の例から見てこれも例えば「や」とか「ま」とか、一拍語でないことには落ち着かない。では「やま(山)」とは一体何か。 1)「やま」を一拍語の組み合わせと見る。 二拍語「やま」は、まず、一拍語二つの組み合わせと見て「や+ま」と分けて考えることになる。ところが「や」については「や」語を総当たりしても当てはまりそうなものは見つからない。強いて言えば「や(矢)」のように空に向かってそそり立っているいるものとなるが、「ま」との組み合わせで行きづまる。「ま」も難しい。 ところでこの段階で直ちに語形と意味のよく似た地物である「しま(島)、ぬま(沼)、はま(浜)」が思い浮かぶ。そう言えばこれらも「やま」と同様に一拍語でなければならない重要な語ではないのか。「のま(野間)」や「まま(崖)」もあるであろう。藪をつついて蛇を出してしまったようである。 1-1)「しま、ぬま、はま、やま」の後項の「ま」を「ま→ば(場)」と相通語化する前段階の形で、一定の広さをもつ土地の意ととればどうか。”足場、広場”などの「ば(場)」は、漢語ではなく、「には(庭)」の変化した形でもある。「しま」は「し」が”石、砂”であるので語としては問題ない。しかし”海の中の小さな陸地”とすると問題である。「ぬま」も「ぬ」には議論があるが”沼、野”と見てこれも特に問題はない。「はま」の「は」は、「はら(原*腹)」の「は」と同様”広大”の意とすると「ま」との組み合わせは受け入れられる。整理すると「石ま(しま)、野ま(ぬま)、原ま(はま)」となるであろう。しかし「やま」については「や」が決まらないので何とも言えない。 1-2)「しま、ぬま、はま」などの「ま」を「はら(原/腹)」の「ら」と同じような単なる接尾語と見ることができる。しかし「しま、ぬま、はま」には当てはまってもやはり「やま」には無理である。 「しま、ぬま、はま、やま」について、もとは一拍語「し、ぬ、は」であったとすることは考えられなくはないが、「や」は無理である。「やま」は一拍語にたどり着くことはできなかった。 2)「やま」を二拍語と見る。 次は「やま」を本来的な二拍語と見ることになる。ここに来るとすぐに深山幽谷などの連想から「やみ(闇)」「ゆめ(夢)」「よみ(黄泉)」などと一連の暗黒を意味する(ym)子音コンビ語に思い至る。”山”と”暗やみ”を結びつける試みである。これは、巨大な山塊に向き合った時の日本人の心性を考えると、これを西洋人のように征服してやろうと思うより、まずその威容に畏怖の感を抱く、或いはその威容を讃嘆するであろうことにかんがみ、「やま」を「やみ」の縁語と見ることに無理はないと考える。 ただ「やま」「やみ」を追及していくと、(ym)語だけでなく、(yh)語、(yr)語もあり、これらは結局”闇”を言うヤ行渡り語「や、yi、ゆ、ye、よ」とその派生語群からなることが判明する。それらを図化してみると次のようになるであろう。この中で「やま(山)」がおそらくどこかにその位置を確保しているであろうということである。いずれにしても「やま」は本来の二拍語ではなかった。 -- や(夜)-やは(yh)「や(夜)」「やは(夜半)」 -やま(ym)「◎やま(山)」「やみ(闇)」 yi(夜)-yiは(yh) -yiま(ym)「yiめ(夢)」〔”夢”が「いめ(寝目)」でないことは別に述べた。〕 ゆ(夜)-ゆは(yh)「ゆ(夜)」「ゆふ(夕)」 -ゆま(ym)「ゆめ(夢)」 ye(閻)-yeは(yh) -yeま(ym)「yeま/yeんま(閻魔大王-冥界を司る王)」〔これには議論があるであろう。〕 よ(夜)-よは(yh)「よ(夜)」「よは(夜半)」「よひ(宵)」 -よま(ym)「よみ(黄泉)」「よも/よもつ(黄泉)」 -よる(yr)「よら(夜)」「よる(夜)」 -- ここでも「やま(山)」は一拍語に戻らなかった。ところで和語には”暗やみ”を言う言葉には上記の語群とは別に「くらし(暗)/くろし(黒)」の(kr)語群があり、それとの違いを明らかにする必要が出て来た。もし”山”が闇なら、どうして「くら(山)」ではなかったのか。 「くらし、くろし」語群は次のようにまとめて表現できるであろう。 -- く(黒)-くす(黒す)-くすむ(黒すむ)-くすます-くすませる -くむ(黒む)-くもる(曇もる)「くも雲」 -くる(黒る)-くらす(暮らす)「日を暮らす(暗らす)、夜を明かす」 -くらむ(眩らむ)-くらます-くらまさる-くらまされる -くらませる-くらませらる-くらませられる -くれる(暮れる) -くろむ(黒ろむ)-くろます -くら(暗 )「くらし暗、くらおかみ闇靇、くらみつは闇罔象」 くり(涅 )「くり涅、くりいし涅石」 くれ(暮 )「ゆふぐれ夕暮」 くろ(黒 )「くろし黒、くろいかつち黒雷、くろがね黒金、くろかみ髪、くろき酒」 -- 和語では「く、くろ(黒)」は、明るいこと、良いこと、無実であることを言う「し、しろ(白)」に対して、その反面を言う語である。そのことは「腹黒い」「白黒をつける」などの慣用句にも広く見られる。この点で「やま(山)」との結びつきは無理のようにも思われる。 この「くらし、くろし」と「やま、やみ」との違いは何か。色については「やみ色」はないのではっきり異なるが、光や気(雰囲気)については説明できるのかどうか。「やま(山)」を”暗やみ”と捉えることができるかどうかの議論で横道に入ってしまったが、明快な結論には至りそうにない。 ともあれ、「やま」は、「やみ」などの暗さを言う語とは関係なく、言わば後世の高度な文化語らしいことが分かった。 3)「やま(山)」以前の語は何か。 大昔の和人が山をいきなり「やま」と呼んだわけもなく、もとはやはり何か一拍語であったであろうとの思いは消えない。可能性から言えば、例えば土地の高みを言うであろう現代語の「をか(岡*丘)」や「をね(尾根)」のもとの語である「を(峯)」があるではないか。実際にもともとは山を「を」と呼んでいたが、後に「やま」が入り込んで来て「を」を追放したという物語が隠れているかも知れない。 ほかに考えられることと言えば、土の塊りである山に対してはやはり”土砂、土石”語で立ち向かうしかない。和人は、土砂、土石類は、先ず、タ行渡り語で表現した。「た田、ち地、つ津、と土」などなどである。時代が進むにつれて、この土を言うタ行渡り語がそっくりサ行渡り語に相通語化して「さ砂、し石、す洲、せ瀬、そ磯」と膨れ上がり、さらにタ行語はお決まりのようにナ行語にも相通語化した。「な土、に丹、ぬ沼、ね嶺、の野」である。これを整理して図化すると次のようになるであろう。 さ(沙)-し(石)-す(渚)-せ(瀬)-そ(磯) ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ◎ た(田)-ち(地)-つ(津)-て( )-と(土) ↓ ↓ ↓ ↑ ↓ な(土)-に(丹)-ぬ(沼)-ね(嶺)-の(野) (ここにあげた漢字は単なる参考までである。) これら一拍語をもとに数多くの複合語が生まれている。例えば、いさご砂*沙、まさご真砂、しま島、いし石、さざれし細石、つみし積石、すとり洲鳥、すな砂、すひぢ洲土*渚土、すはま州浜、うらす浦洲、さす砂州、そ/いそ磯;たゐ/なゐ田居、とこ/ところ処、とち土地;なゐ土居/なゐふる地震、なゐふる、はに埴、ぬ沼/ぬま、などなどである。これらはすべてひとつの縁語群である。 そうとすれば得体の知れない「やま(山)」ももとはこのうちのひとつではなかったか。「と(土)」と言ったかも、「ね(嶺)」と言ったかも知れない。 4)「やま(山)」は和語か。 日国の”山”の語源説欄には、12個の語源説のひとつとして、『陸地の意のアイヌ語から〔アイヌ語より見たる日本地名研究=バチェラー〕』説があがっている。突如このようなものが飛び出すとびっくりするとともに嬉しくなるのであるが、言われるように和語、和語と騒いでいるだけではなく、琉球語やアイヌ語を含めもっと目を広げる必要があるであろう。和語とアイヌ語、琉球語がともにまぎれもない姉妹語(同語)であることは別に述べる。 ここで言うところの”陸地の意のアイヌ語”とはアイヌ語の一拍語「や(陸)」のことであろうが、その蓋然性はゼロとはしない。だが「ま」についての言及もほしい。アイヌ語で”山”は広く「ぬぷり」であるが、これを手掛かりにここでの議論に役立てることも出来るかも知れないが今はその用意はない。 結論としては、「やま(山)」は、依然として不明であるが、結局「や+ま」の「や」と「ま」に戻って、まだ知られぬ一拍語「や」の探索に帰り着くように思われる。「やま」は「しま、ぬま、はま」などとの語形と意味からの類似性は無視すべくもなく、さらに一拍語「や」には「や(谷)」「や(屋)」などもありいずれきれいに説明されるかも知れない。「しま、ぬま、はま、やま」の前の時代の語を決める手立ては今のところない。 足立晋 完
2021/04/14
下のリストは和語で「ひと(人)」を言うと思われる一拍語「し」「と」「な」「り」のつく語を集めてみたものである。どれも語尾に来ている。それぞれどのような”人”であろうか、ほんとに”人”であろうか、どのように考えればよいのか、難解である。 (1)-- あじ(按司)/あるじ/あろじ(主)...
2021/03/21
はなはだ唐突であるが「いぎたない(寝穢い)」という言葉がある。子供のころ寝ざめに親からそう言われた覚えのある人もいるであろう、「もう、お前はいぎたないんだから(早く起きなさい)」。これは「寝相が悪い」ということではなく、”いつまでも枕にしがみついている、何度起こしても起きてこない”の意である。このことは日本人であれば何となく分かる。だがこの場合は「い+きたない」の「い」が反応したのではなく、子供は、後項の「きたない」の方が”汚れている、不潔である”の意味ではなく、「金にきたない」と同じような”執着心が強い”という意味であることを理解して、”ぐずぐずしなさんな”と叱られたことが分かったと考えられる。 ところでここでの問題は「きたない」ではなく、前項の「い」である。「いぎたない(い+きたなし)」の「い」とは何か。この語は、上代語であり、以来時代を経て意味するところが変わったところがあるかもしれないが、本来は上記のように「眠り」の意とされている。「眠り+きたなし(穢)」である。それを支える例語に「あさい(朝寝)、うまい(味寝)、ながい(長寝)、やすい(安寝)、よい(夜寝)」などが知られている。この「い」が「寝」であることに疑いの余地はない。 ただし文章中での「い」の使われ方には日本語らしからぬ独特なものがある。代表とされるものが「いをぬ」であり、字義通りに「い(寝)をぬ(寝)」で、”眠りを眠る”である。これには古事記や万葉集などに「い(寝)はな(寝)さむを」「い(寝)をしな(寝)せ」「い(寝)をね(寝)ず居れば」「い(寝)をね(寝)らえぬ」「い(寝)こそ寝(ね)られね」などの形で用例があり、いずれも「いをぬ」のバリエーションである。 この一風変わった一拍語「い(寝)」は、和語であって和語ではない。と言うのは、本来の和語に「い(寝)」という語があったわけではなく、いわゆる上代語に数多くみられる接頭語「い」そのものなのである。接頭語「い」が一拍動詞「ぬ(寝)」について「い(接頭語)+ぬ(寝)」と二拍動詞に長語化したものである。意味としてはもとの「ぬ(寝)」と変わりない。ただの「寝る、眠る」である。その「いぬ」が長く使われるうちにイ接動詞であることが忘れられ、語頭の「い」が「眠り」の意で、「ぬ」は単なる動詞語尾と理解されるに至ったと考えられる。その結果「い」が”眠り”の意で一人歩きを始めた。ところが和語体系の中で「い」なる語が”眠り”の意味をもつことは馴染まないと和人は心の中に何かひっかかるもを感じてきた。何より「い」のようなア行の一拍語はあり得ないのである。ワ行語の「ゐ」、或いはヤ行語の「yi」であればいろいろ意味するところが考えられるが、ア行の「い」はあってはならないのであって、言わば幽霊である。おそらくそのせいで上記のような「い(寝)」に対する特別待遇が行われるようになったと思われるのである。 古語で接頭語「い」をとる動詞は数多く知られている。一部を示せば次のようである。 一拍動詞:いく生 いづ出 いぬ寝 いゆ癒 二拍動詞:いかく懸 いかく掻 いかる刈 いかる離 いきる切 いくむ組 いこぐ漕 いこず掘 いしく及 いそふ添 いたく手 いたつ立 いたむ廻 いつぐ次 いとる取 いのる告 いはつ泊 いはつ果 いはふ匍 いふく吹 いふる触 いまく巻 います坐 いむる群 いゆく行 いよる寄 三拍動詞:いかくる隠 いかへる帰 いかよふ通 いこもる籠 いさかふ逆 いすくむ竦 いそばふ戯 いたどる辿 いつがる繋 いつくす尽 いつもる積 いひらく開 いひりふ拾 いむかふ向 いわかる別 いわたる渡 これらイ接動詞について、諸辞書の解説は次のようである。 言海『動詞などの上に被らせて意なき発語。「い行く」「い坐(ま)す」「い向ふ」「い渡る」「い通ふ」「い触る」』 大言海『発語なり、少しも意味なし。多くは、動詞に冠す。「い積る」「い隠る」「い通ふ」「い向ふ」尚、甚だ多し』 日国『動詞について語調を整える。「い隠る」「い通ふ」「い寄る」「い渡る」など』 要は「い」には意味はなく、語調を整えるだけ、と言うことのようである。だがイ接動詞のほかに接頭語「あ、う、お」をとる動詞も多くあり、これでは不十分である。この点については別にまとめて論じることとしたい。 ここで注目されるのはやはり「いぬ(寝)」である。少なからぬイ接動詞の中でどうして「いぬ」だけに接頭語を実質語とする「い(寝)」が成立したのか目下のところは不明である。 さきに二拍語「みづ(水)」は、和語本来の「つ(水)」が接頭語「み(御)」をとったミ接語「み(御)+づ(水)」であることを示したが、この「いぬ(寝)」についても長い間、おそらく千数百年、二千年の長きにわたって固定観念にとらわれたままわれわれは過ごしてきたと思われる。国語に対するさらなる反省を期している。足立晋 完
2021/03/12
海の水、川の水は言うに及ばず、天から降ってきたり、地から湧く水は、知らない人はいないように、昔から和語ではこれを「み」と言い「みづ」と言ってきた。一拍語「み」は、これ以上分けられないので、和人は「み」の音にもともとの水の意を託してきたようである。日本人は、「み」の音に水の流れの音や水の冷たさ、水による癒しを感じてきた。「しみづ(清水)」と聞いたときの清涼感は何ものにも代えがたい。「み」や「みづ」の音は、水にまつわるさまざまな思いとともに、日本人の身体の中に深くしみ込んでいるであろう。 しかしながら、一拍語「み」はともかくとして、二拍語「みづ」にはどこか釈然としないものが残る。どうしてそういうことになるのかと言えば、そのわけは「みづ」と言うときの「づ」の不可解である。「みづ水」の語の成り立ちを考えるとき、だれもが「み水+づ」と分解するであろう。このとき前項の「み水」は当然として、後項の「づ」の解し難さに悩むのである。「み」だけで水の意を表わすとき、では「みづ」とは何か。後項の「づ」をどう処遇すればいいかが分からない。かくして「みづ」は、今日に至るまで意味不明のままおかれてきた。だが「み、みづ」の言われについて疑問を呈する国語辞書はない。日本人全体がこれを所与のものとして受け入れてきたのである。 最初に種明かしをすれば、実は、「みづ」は、やはり「み+づ」と分けられるのであるが、和語における水の正体は、前項の「み」ではなく、後項の一拍語「づ」にあるのである。和語には多くの例があるように、「づ」は「つ」が連濁を起こした形で、本来は「つ」である。「みつ」である。そして和人は、もともと水を「つ」と呼んでいたと考えられるのである。つまり「みつ」は、「みや御屋*宮」や「みち御路*道」と同じく、和語でよくある「つ水」に敬意を表した表現「みつ(御水)」であり、そのように繰り返し使っているうちに、いつか「つ」は連濁によって「づ」となり、更にはいつしか肝心の後項の「づ」が擦り切れて忘れられ、ついに和人自身も水は「み」と思い込むようになったと考えられる。 肝心の「づ」は形骸化して、水の意をもつようになった「み」を支える付加語の地位に堕してしまった。面白いことに、七、八世紀の記紀万葉人も、二十一世紀のわれわれ日本人と同じように、水は「み」と信じていた。かの柿本人麻呂も山上憶良も大伴家持も「みなと」や「たるみ」、「ゆくみづ」や「みづはしる」などと歌い、古事記をとりまとめた太安万侶も「みづが溜まる」と記したように、水を「つ」ではなく、「み」や「みづ」としてしか知らなかった。だからこそ、幸いにも、現代のわれわれが古事記や万葉集を読むことができるのである。 さて、「みづ水」が「み(接頭語)+つ(水)」であることの根拠を巡っては、以下のようなことが言えるであろう。果たしてこれで万葉歌人や現代の日本人が説得されるかどうか分からないが、さしあたり状況証拠として提出したい。たいへん長くなって、いささか面倒であるものの、多少の手順を尽くさないことには、おそらく優に二千年を越えるであろうこの語の謎を解くことは出来ないので、我慢しておつきあいいただきたい。水が気体の水素と酸素から成っていることを知って驚いた中学生時代を追体験して頂けるのではないかと思うのである。 1)人間の生体を支える体液である「ち/つ血、ち乳、つ唾」は、生命に必須の「つ水」とともに、いずれもタ行の一拍語で、全体でひとつの語として自然に理解できる。たいへんおさまりがよい。小便は、複雑で難しいが、「のみしらみ馬のしとする枕元」の「しと」をとれば、これは「し(下)+と(水*尿)」と考えられうまく合ってくる。もうひとつ「なみだ(涙)」である。「なみだ」は仮名書きでは「那美多」などで、本来は「なみた」で、「なみ(並み)+た(水)」と考えられる。目から次々と”並んで”落ちてくる水の意である。もしここに「み水」が入って来ては和語としての一体性が損なわれてしまう。これまではこれらの語をばらばらに見て、このようにタ行縁語群(渡り語)「た(涙)、ち/つ血、ち乳、つ唾、つ/と水」として並べて見ることをしなかったために、気づかれなかったのである。日国によれば、江戸時代の雑俳に精液を「みづ」と呼んでいるものがある由で、通底するものが感じられる。 2)「つゆ汁」「つゆ露」「つゆ梅雨」の「つゆ」三語は、今のところいずれもその成り立ちはまったくつかめないが、「つ水」の存在のもとにはじめて何となく理解できる。これで胸のつかえが半分下りた気分であるが、すっきりするには後項の「ゆ」の解明が欠かせない。三つの「ゆ」がそれぞれ独自の意味をもっているのか、どれも動詞語尾か接尾語か何かか、今のところ何とも言えない。 3)形容詞「つめたし冷」は、これも難語で、さまざまに議論されてきた。「つめたし」は、水はつめたいところから、また和語ではわざわざ熱い水を「ゆ湯」と区別して呼んでいるところから、「つ水+めたし」と考えることができる。後項の「めたし」が今のところ分からないが、別に「うしろめたし」という語があり、「つ+めたし」と分解できることは間違いない。ただ、日国によれば「つめたし」が11世紀の文献(落窪物語、枕草子など)に初出の語である点が悩ましい。もし11世紀に造語されたものとすれば、それまで「つ水」が生きていたことになる。 話は飛ぶが、正倉院御物に「さうづいし(寒水石)」という薬用の鉱物があるという。漢字表記からこれは「さむ寒+つ水+いし石」であろうと見当がつけられるが、では「さうづ(寒水)」とは何か。万葉集に冷たい水の意の「さむみづ(寒水)」の語がある。 日国によれば、「つめたし」が使われるようになるまでは「さむし寒」が”冷たい”と”寒い”の両方を兼ねていた。”水甕がさむい”の例があがっている。それを区別する必要に迫られて、おそらく、皮膚感覚についてはどこかに眠っていた「つめたし冷」を掘り起し、身体感覚の「さむし寒」と区別するようになったとも考えられる。 4)水を引き込んだ日本庭園で見られるものに、底を閉じた竹筒に水を落とし込んで、水の重みで竹筒を転倒させ、下の石に当たってカンという鋭い音を立てる仕掛けがあるが、これを「そふづ(添水)」という由である。これは広く農家でシシ除けに用いられたもので、「かかし案山子」の別名に「そふづ」があるが、この仕掛けそのものを言うとの説がある。またこの仕組みを利用した搗き臼に「そふづからうす(添水唐臼)」と呼ぶ簡単な臼があるよしである。ただし「そふ」は未詳である。 5)井戸水を汲み上げる「つるべ釣瓶」は「吊る瓮(へ)」(吊りあげる容器)で固まっているが、単なる「つ(水)+る+へ瓮」とも考えられる。いささか議論に過ぎるが、深井戸を掘って綱の先に桶を括りつけて水を汲み上げたり、はね釣瓶を考案するのは和語の歴史の上でどのあたりのことになるのか分からないが、その前の長い時代を通じてただの容器を使って手で水を汲んでいたであろうということである。 6)模写語「つやつや、つらつら、つるつる」の「つ」は水の意であり、いずれも水が光る、したたり落ちる、或いは流れ落ちる様を模写していると考えられる。「つ水+や/ら/る(付加語)」である。模写語も語であり、構造をもつことは言うまでもない。また「つは/づば」は、物を水に投げ入れたときの模写語で、現在の「ざぶん/どぶん」に当たり、「つはと/づばと」として用いられ、霊異記に用例があると、大言海や日国が記している。今日でも日常「ずばっと切り込む」のような言い方をするが、この「ずばっと」はその昔の「つは」と見られる。 7)「つ水」を戴く動詞に「つく(浸く)」「つぐ(注ぐ)」「つつ(伝つ)」がある。「つ水」がさまざまな動詞語尾をとった形である。これを決定打と見ることができる。物を水に浸す意の「つく(漬く)」、「つき坏」に水を注ぎ入れる「つく/つぐ(注ぐ)」、木や岩を流れ伝う水を言う「つつ(伝つ)」が「つ水」をいただく動詞群である。 つ(水)-つく(漬く)-つかす(漬かす)-つかせる -つかる(漬かる)-つからす -つける(漬ける) -つぐ(注ぐ)-つがす(注がす)-つがせる -つつ(伝つ)-つたふ(伝たふ)-つたはる -つたへる 「つく」のミ接語に「みづく水漬」があり、記紀万葉時代の古い言葉で、「海行かば『みづく』かばね、山行かば草むすかばね・・・」(万4094)のよく知られた歌に歌われている。ここで「みづく」の「み」は「水」ではなく、単なる接頭語であることに注意したい。水に潜る意の動詞「かづく」は、「みづく」と同じく「か(接頭語)+つ水+く」と見られるからである。「かづく」は転じて頭に被り物をいただく意にも用いられる。ただし「つぐ注」は、まだ水が器の底に残っている上に継ぎ足す意味で「つぐ継」とも、カラの状態から「つぐ注」とも、両方ともあり得る。 8)水や酒を飲むための器に「つき坏」がある。これは(w-t-s)相通現象によって「wuき、つき、すき」と変化したもので同語である。これら三語がどの順で現れたかは難しい。ただ「つき」をとり上げた場合、二拍動詞「つく(水を汲む)」の名詞形と考えることもできる。もし「つき」の「き」を「け笥」の渡り語ととれば、「つき」は「つ(水)+き(坏*笥)」の意となる。 9)「つなみ(津波)」の語の存在は意義深い。これはまさに「つ(水)+なみ(並/波)」であった。まず、今日言うところの海岸や河岸に打ち寄せるいわゆる水の「なみ波」は、二拍動詞「なむ並」の名詞形で、単なる物の「ならび(並び)」の意であり、水に関する意味はどこにもない。「つ水+なみ並」となって初めて現在の海や川の「水のなみ(波)」となったのである。つまり、「つなみ」は、本来、地震の後に襲ってくる大波のことを含めて、今日言うところの水の「なみ波」一般のことを言っていた。ところが「なみ波」はこの普通の「つなみ(水波)」からいつか「つ」がとれてただの「なみ波」となったのであろう、「つなみ」の方は、地震や台風による驚異の大波に限定して使われるようになったと考えられる。同じように、例えば「いはなみ岩波*岩並」は、岩に寄せる波ではなく、岩そのものの並み、即ち海辺や川の中にあって波のように並び続く岩そのものの意である。イメージとしては、宮崎県日南海岸の鬼の洗濯板のようなものであろう。 10)全国に「つる(鶴、都留、津留)」という地名があり、姓名にも少なくない。同じ「つる」であるが、漢字で「水流」を当てる地名や姓名が特に宮崎県と鹿児島県に多くあるという。「つる」の前後に付加語がついて「つるさき水流崎、つるさこ水流迫、かみつる上水流、しもつる下水流、すぎつる杉水流、やなぎつる柳水流」などと長語化しているものもある。これはまさに和語の源流を指し示す名前と思われる。また各地にある「つるまき」も、大方は低地にあることから、漢字表記はさまざまであるが、「水流巻」とする説がある由である。 「つる」は「つ水+る」と見られるが、「る」が不詳である。単なる付加語とするとそれまでであるが、表記通りの漢語(呉音)の「流」とも考えられ、そうとすれば紀元前数百年の昔の和漢複合語の可能性もあり得る。さらに「つ水」自体が大陸由来の語であるのかも知れない。この辺からは空想の世界となるが、それはともかく、表記はさまざまであっても、「つる」は「つ水」語と考えられる。 11)江戸時代の碩学新井白石による語源辞書「東雅」の「水ミツ」の項の冒頭に「万葉集抄に、水をミとばかりいふも、常の事也、ツといふも、水也といへり」とある。白石は、鎌倉時代の僧仙覚の万葉集抄によって件の記事を読んでその意義を認めたが、自著では単に紹介の形にとどめおいたということであろう。これは、早く平安時代に水を「つ」と見抜く人が居り、江戸時代にそれを追認する人が居たということである。しかし今日までそのままになっていた。 12)大言海に「づ〔水〕」の見出しがある。「みづ」の「み」を略したもので熟語にのみ用いられると言い、例として「うなづ海水」「うづ渦」のほか、地名で肥後の国玉名郡「大水(おほづ)」郷の名があがっている。「うづ渦」については、後述する。 13)大言海に「ざふず(雑漿)」の見出しがある。飼牛の飲料と水のことを言い、「ざふづ」の仮名で糠などを混ぜた水か、という。 14)「みつ」の時代。 時代は進んで一拍語「つ水」がいつか敬意を表す接頭語となった「み御」をとって「みつ」となった。和人が神を見出して以降のことかも知れない。敬意を表す接頭語「み」をもつ二拍語には「みき神酒、みけ御食、みこ御子、みそ御衣、みた御田、みち道、みね峯、みや御屋*宮、みを御緒*水緒」など沢山あり、「みつ(御水)」もそのひとつであった。このとき、ここに挙げたような「み」のつく二拍語は、すべて後項の語「き酒、け食、こ子、そ衣、た田、ち道、つ水、ね峯、や屋、を緒」が語の意味を担っており、当然のことながら「みづ水」についても後項の「つ」が水の意味を担っている。ただ「みつ/みづ」だけが異常な進化を遂げたと見られる。 連濁を起こす前の古い形の「みつ」の用例は、なかなか見つからない。全国にいくつかある地名「水海道」のうち、茨城県常総市水海道は「みつかいどう」と読ませているが、この「みつ」は「みづ」と濁る前の語形をとどめているのかも知れない。「かいどう海道」は不明である。 15)「みづ」の時代。 上記の「みつ」は、いつか連濁して「みづ」となった。「みづ」をもつ複合語には「あせみづ汗、きみづ生、こみづ濃、しみづ清、まみづ真;みづye枝、みづかめ瓶、みづき城、みづとり鳥、みづは葉*歯」などが残されている。 「みづ」が出現してある程度の時代が経過した時点で、「みどり緑」の「みど」の形が現れたと思われる。「みどり」色は本来「みづ」色と見られる。「みどりの髪」は水に濡れたような艶のある髪をいうであろう。 16)「み」の時代。 二拍語「みづ水」から後項の「づ」が落ちて、いつか水は一拍語「み」となった。水があまりに身近な存在で使用頻度が高く、いつしか「みづ」の「づ」が擦り切れて消滅し、忘れ去られたのであろう。 新しい形の「み水」をもつ複合語には「みぎは水際、みなと水戸*港、みなそこ水底、みなも水面、みなわ水沫;いづみ出水、たるみ垂水、wuみ海水/海」などがある。時代的に水にまつわる最も新しい複合語群と考えられる。 17)日国の「みず水」の語誌欄には次の記述がある。 『(1)上代には、水を指す語としてはミヅのほかにミも用いられた。しかし、ミヅが挙例のように単独でも用いられたのに対し、ミは「たるみ(垂水)」や「みなそこ(水底)」などのように、複合語に見られるのみである。(2)神仏に祈る際の水による清めは、水に呪力を認め、とりわけ生命の根元ととらえるような意識から生まれたものと考えられる』。 このうち(1)は、「みづ」と「み」に対する和人の古い記憶の反映かも知れない。(2)は、「つ」に敬意を表す接頭語「み」がついた説明となる。 18)「つ津」と「つ水」 「つ津」は、多数の用例の文脈から、明らかに舟の泊まり場、はと場、及びその背後の町を含めた港町の意がある。つまり「つ津」は、「つ水」そのものとは別語の”土地・所”の意と考えられる。「た、ち、つ、と」がひっくるめて「地、土」を意味することは別に詳述する。 日国によれば、「つ」は泉など水の湧き出るところを言うという。用例に万葉集の「鷲の住む筑波の山の裳羽服津(もはきつ)のその津(つ)の上に率(あども)ひて未通女壮士(をとめをとこ)の行き集ひかがふ歌(かがひ)に・・」(万1759)という古代の男女交際について歌った有名な歌の例があげられている。この歌には不詳語がいくつもありすっきりしないが、「もはきつ」は不明ながら筑波山中の特定の場所の名と見て、その「津の上に」男女が集まる、とある。「うへ/へ上」はほとりと見ることができるので、日国の編者は「つ」を水の湧くところと判定したということである。しかしこれもやはり単に場所の意と思われる。 以上を通じて「つ」の音が和語本来の水を表わすことは動かない。やまとの地では、水は、「つ」→「みづ/みど」→「み」と流れたようである。今後さらに「つ水」の観点から国語資料や特に地名や氏名、姓名の解析を重ねることによって一層確たるものになると思われる。 今さら水は「み」ではなく「つ」だと言われてもどうもぴんと来ないし、日本人としての足もとをすくわれたような気持ちで落ち着かないという人がいるかも知れないが、それほど「つ」の時代は遠くなったということであろう。 足立晋 完
2020/11/22
上記の和語動詞図について、読者諸兄姉におかれてはどのようにご覧になったであろうか。これはもちろん完成図ではなく、筆者(足立)には当然のことながら言い訳をしたいことが山ほどあるのである。ひとつひとつの項目ごとに弁解がある。だがそれをいちいち書いているときりがないのでここはこのままご高覧に供することとした。ただ、図中の深刻な錯誤は後回しとして、不注意による単純な誤りや見落としも少なくないと思われ、この点についてはここでお詫びするとともに、それらの修正を含め随時追加訂正していく所存である。 動詞図は、国語辞典から動詞をとり出し、それをただ並べ替えて得られたものである。従ってこれは作りもののようであって、作りものではない。虚構とは言えないのである。問題は果たしてこれに意味があるのかどうかである。あるとすればどんな意味か。それ以上の問題は、これは私という関西弁が基盤の平均的な一日本人の個人的な日本語感覚にもとづいて作られていることである。さまざまな点で日本人ひとりひとりに異論があるであろうし、この図以外にもっと別の並べ方があるであろうことである。特に区切り線から区切り線までのひとつの縁語グループの作り方に意見が多いと思われる。各自でさまざまな図表化を試みることによって日本語の深淵をのぞくことになるであろう。将来的には、そうした多くの意見を総合した国民的な図を見たいものである。 筆者は、動詞図は和語を把握する、或いは理解する上でもっとも基本的な図であるであろうと思っている。この図を見て和語の体系性の高さに打たれるのである。五十音図と言い、それにもとづく動詞図と言い、ここまできっちりと体系化されていることに驚かされるのである。和語は、あたかも司令塔からの指示にもとづいて展開しているかのようである。或いは民族の総意といったうねりがあるのかも知れない。 この図を見て気づくことの第一は、個々の和語(動詞)のベクトルは、一方は一拍語の方向を指し、もう一方は将来の長語化の方向を指しており、この時点ではこの姿でこの場所に留まっているという事実である。将来的に実際にこれより長くなるのかどうかはわからない。 この動詞図は五十音図の世界に縛られている。五十音図があってはじめて動詞図がある。動詞図を考える上で五十音図が決定的に重要である。それはそれでいいとして、ここで五十音図にこだわるとにっちもさっちも身動きがとれなくなる。行き止まりである。五十音図はいつどこで生まれたのか、五十音図の前の和語の姿はどのようなものであったか。此の点を突破しないことには新しい国語学はないことになるが、難しい。 なお動詞図と並んで当然のことながら同じ和語の原理の上に立つ名詞図が得られるが、こちらは動詞図ほどきれいに表現されないので、これは別にとり上げる。動詞図と名詞図を合体することにより新しい国語辞典が生まれることになる。五十音図順によらない和語の意味体系に沿った形の辞書の誕生が予想される。和語名詞も、本章の「はじめに」で紹介したように、動詞と同じく単独で存在することは少なく、あいうえおの五段にわたって渡り語(縁語群)を構成している。これをとりまとめた名詞図もそれなりに新しい和語の見方を開いてくれるであろう。両者を組み合わせた形の縁語群ベースの国語辞典である。 「動詞図+名詞図」の将来的な姿であるが、筆者の予想では、子音にもとづく縁語群の数はさほど多くはなく、現在のところ縁語が見つからず孤立している多くの動詞や名詞も探索が進むことによって、やがて既知の縁語群に吸収されていくなり、孤立語どうしで新しい縁語群を作るなりして、まとまっていくのではないか、というものである。言い換えれば、「動詞図+名詞図」はこれ以上散開することなく、縁語群の数としてはコンパクトにまとまっていくであろうというものである。 最後に動詞図が外国人に対する日本語教育に役立つことを指摘したい。動詞図のみならず、和語の原理をとり入れることによって日本語教科書が様変わりすることになるであろう。日本語学習者の中でも、日本語の実用を急がず、語学として取り組んでいる人たちには特に有効と思われる。その際注意すべきは、日本語をここで示した本仮名によって記述することである。この点を外しては意味がなくなる。日本語の大きな枠組みの理解は、本仮名にもとづく動詞図や縁語グループの解説によるのが効果的であろう。こうして日本語の枠組みの理解の上に立って、必要とあればいわゆる現代仮名遣いへの移行も、問題含みではあるが、進むものと思われる。 足立晋 完
2020/11/02
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