2020/01/17
 「こども」の語釈が定まっていないのをご存じだろうか。試みに大きな図書館の蔵する国語辞典を片端から引いて見ると分かるのであるが、てんでんばらばらである。その原因は言うまでもなく「こ(子)+ども」の「ども」の存在である。「こ(子)」の方は「おやこ(親子)」とあるところから比較的よく分るのに対し、「ども/とも」は、これだけでは見当がつかない。「とも」を冒頭で”複数を意味する接尾語”と宣言する辞書には二重複数とでも言うべき「こどもたち」への言及はない。  たしかに「とも」はいつの頃からか”複数を意味する接尾語”となって、万葉集にも「いざ子ども早くやまとへ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ(m63)」などと現われる。言葉は変わるものなので、後には「ものども、野郎ども」と乱暴にも使われれば、「私ども」と謙遜語になったりもする。  ところで「子ども」の「ども」であるが、私は「たみ」「つま」「とも」の(tm)縁語三語が「血縁のない仲間」の意であることは別に述べた。これによっていくつかの懸案に解決の道が見えて来たのでのである。例えば夫と妻が互いに相手を「つま」と呼ぶことの不思議さもこれですっきり解消された。ここでは「子ども」の意味について考える。  結論から先に言えば、「こども」の「とも」は、複数を示す語尾ではなく、「とも(伴*友)」や「ともだち」の「とも」なのである。仲間と言い換えてもよい。つまり「こども」とは、自分の生活圏内(集落)における同年配の「とも」ではなく、年上の「とも」でもなく、集団として運命を共にするが血縁のない一人の「子なるとも」の意なのである。小さな仲間である。これが複数になれば”複数を意味する接尾語”「たち」をとって「子どもたち」となる。  これで分かるように、親が最も濃密な血縁者である自分の子を指して「私の子ども」とは言えないのである。自分の子は「私の子」「私の子たち」である。「私のこども」とは、村の広場で遊んでいる一人の顔見知りのよその「こ(子)」のことである。仲間と見なす一人の「子なるとも」のことである。そこで、もう明らかなように、そうした「こども」の複数形が「こどもたち」である。自分が属する集落が抱えている「こ(子)」の集団である。  ちなみに「たみ(民)」は、これは先史・古代の話であるので、一億人の国民というわけにはいかず、ひとつの村や集落の住民のことで、数十人とか、精々数百人の規模の人のことを言うであろう。完
2020/01/15
 昨今「がんばって!」「がんばりま~す!」と「がんばる」という語を目や耳にしない日はない。昨年は風水害が多く気の毒な被災者には”がんばれ”の声がかけられる。来たるべきオリンピックで金メダルを狙う勇者にも”がんばれ”の声が飛べば、難関に立ち向かう受験生にも”がんばれ”と励ましの声が寄せられる。このように「がんばる-がんばれ」はどのような立場の人に対しても”諦めるな、力を尽くせ”と励ます言葉のようである。自らを鼓舞するときも”がんばろう!”と拳を振り上げる。  「がんばる」には「頑張る」と漢字が当てられるのが常である。しかし「がんばる」は、その語形や意味や使われ方から見てれっきとした和語である。漢字語ではなく、もちろん漢語ではない。  日国によれば、「がんばる」は近世語で、18世紀末から浄瑠璃や歌舞伎の台本に現われるようになった。当初は「がん」には「眼」の字が当てられ、その意味(目)が意識されていたとのことである。登場当時は『たしかめて覚えておく。目をつけておく。ねらう』の意の由で、次の用例が上がっている。 *「目が見えずば声を眼ばって置いて下んせ」 *「さっきに跡の松原でがんばって置いた金の蔓」 *「昨夜(ゆふべ)からの働きは、昼の内から頑張(ガンバ)って、十七八の振り袖は〈略〉娘押へて取って来た」 *「『頭、金の在所(ありか)を』『頑張って置かっしゃったか』」  その後、「目を大きく見開いて、物を見据える」「見張りをする」「頑強に座を占める」などの意味の時代を経て、ついに今日の「困難に屈せず、努力しつづける。忍耐してやりとおす」意が現われるのであるが、この意味で使われるのは、何と、終戦後であるという。ここ七十年ほどのことである。  引用が長くなったが、最後に日国の「がんばる」の補注には『「眼張る」から出た語と考えられるが、「頑張る」は、「我張る」「我に張る」から変化したものという説もある』とある。  果たしてそうか。「がんばる」とは何か。私としては、次のように考える。  いきなり細かい語学になって恐縮であるが、「がんばる」は、少なくない類例によって、「がばる」の強調形と見られる。「とんがる」が「とがる」の強調形であるのと軌を一にする。「しんどい」が「しどけない」の「しど」の強調形であるのも同様である。次に「がばる」の語頭の濁音拍は、この語が新しい時代のものであることを示しているので、もとの清音拍に戻して「かばる/かまる」が得られる。「かばる」は他の多くの例から見て「かまる」の(m-b)相通形である。「かまる」が先にあって、それが「かばる」に相通語化したものである。この「かまる/かばる」がここでの検討の対象となる。  そこで手持ちの動詞図の中から同じ(km)語である下記の「かまる/かばる」を見出すことが出来た。図には確かに「かまる/かばる」が書き込まれているが、これが果たして「がんばる」と繋がるのかどうか、つまり「がんばる」の前世代語と言えるのかどうかが問題である。 -- か( )-かむ(構む)-かまく(感まく)-かまける            -かます(構ます)-かまさる-かまされる「(一発)かます」                     -かませる            -かまふ(構まふ)-かまはる-かまはれる                     -かまへる-かまへらる-かまへられる「みがまへる身構」            -かまる(構まる)●「がんばる」            -かむく(感むく)-かむかふ-かむかふる                          -かむかへる「かんがへる(考える)」                     -かむかぶ                     -かむかむ-かむかみる「かんがみる(鑑みる)」     -かぶ(構ぶ)-かばふ(庇ばふ)(「あばふ」「たばふ」の形もあるが不詳)            -かばる(構ばる)●「がんばる」 く( )-くふ(組ふ)「すくふ(巣構ふ)」     -くぶ(組ぶ)-くばす(配ばす)-くばせる「めくばせ(目配)」            -くばる(配ばる)-くばらす-くばらせる                     -くばらる-くばられる     -くむ(組む)-くます(組ます)-くませる-くませらる-くませられる            -くまふ(組まふ)            -くまる(組まる)-くまれる「みくまり(水配)」            -くみす(与みす)     -くる(組る)-くらぶ(比らぶ)-くらべる-くらべらる-くらべられる            -くらむ(比らむ) --  まず図中の漢字表記はあくまで参考程度で、これに捉われないでいただきたい。上記の動詞語群全体に通底する謂いは、”あることに心を致す、心が捉われる”といったことであろう。例えば「かまく-かまける」であるが、これは”些事に「かまけ」て大事をおろそかにする”といった使い方をされるが、もう少し積極的に心を致すとお節介にも似た「かまふ」となり、さらにたとえ極悪人であってもすべてを察して「かばふ」ところまで行く。  「かまる/かばる」がこうした対象との間合いの中のどこに来るかはともかく、またどのような用例があるかはともかく、(km)縁語のひとつとして、これも上記のような意味をもっていると考えられる。  ここで注目すべきは図中に「かむかふ-かむかへる(考える)」が入っていることである。さらに語群全体を眺めて気づくことは、これらは身体的な活動や努力を言う語ではなく、あくまで「気」や「心」に関わる語群であるということである。「くむ(組む)」は、足場を築くのではなく、気を配る意である。「くばる」のが気であれば、「くばす」のは視線であり(目くばせ)、「くみす(与す)」のは心である。「くらぶ-くらべる」のも物の重さではなく、目で見て、或いは心の中で比較商量することである。秤に乗らないものを「くらべる」のである。  ここまで来ればはっきりするが、「がんばる」は、目標に向かって身体的に汗をかいて達成を試みるということではなく、「かんがへる」ことであるであろう。「がんばれ!」とは、本来は、”しっかり考えよ、必死になって心を働かせ!”ということになると思われる。完
2020/01/14
 筆者は、先に、二拍語「みづ(水)」は「み御+つ水」と分解され、和語の水の本来の形は一拍語「つ」であることを示した。この「つ」が「つ → みづ → み」と変化し、いつか「つ」は忘れられて「みづ」と「み」が残るに至った。記紀万葉の時代にはすでに「つ」は知られていなかったと思われる。...
2019/09/19
 動詞図を描いていると「二拍動詞がない!」と気づくことがよくある。それは、例えば「またぐ(跨ぐ)」のように二拍名詞に動詞語尾がついたようなものは当然で、「まつ-またぐ」のような二拍動詞「まつ」は見つからない。...
2019/09/17
 堅いものを細かくすることを言う動詞は「くだく(砕く)」が代表的である。力まかせに叩き割ることで、和人は「k」と「d」の音に堅いイメージを抱いていたようである。子音ごとに語を振り分けて見るとそのように言うことが出来る。...
2019/09/17
か( )-かた(汚穢)「かたなし(汚シ)」 き( )-きた(汚穢)「きたなし(汚シ)」 く( )-くつ(朽つ)-くたす(朽たす)「朽ち果つ」「しほくつ塩朽」「言ひ朽す」            -くたつ(朽たつ)            -くたる(朽たる)-くたれる「ねくたる寝腐、みくたる身腐」            -くちる(朽ちる)...
2019/09/16
 「あは/さは」と「おほ」が(&h)縁語であることが妥当な見方であることに異論はないであろう。「あは」「さは」は(&-s)相通語で、例語は「あめ-さめ雨」「あを-さを青」など少なくない。「さは」はしばらくおいて、「あは」と「おほ」は明らかに(&h)縁語である。...
2019/09/16
はぶ 波布 はみ 蝮(まむし) ひご 籤(竹を細く裂いた籠材料) ひは 鶸/ひはほそ(足の細い鳥) ひび 罅(細い割目) ひま 暇(わずかの休み時間) ひも/ひぼ 紐(糸をより合わせた細い布) へび 蛇...
2019/09/16
わな罠(わなく絞;しぎわな鴫罠) あな穴(おとしあな落穴)...
2019/09/14
 人が鼻や口から吸い込んだり吐いたりする「き気」は、漢語でも「気(き)」であるが、これはれっきとした和語である。和語では「き気」は、「き」だけではなく、次に見るように「か/き/く/け/こ」の五段にわたっている。 |か|か/かをり香、かぜ風 |き|き酒/くろき黒酒/しろき白酒/みき神酒、きり霧、いき息 |く|いく生...

さらに表示する