「ひ(火)」(008)

 

 アフリカを出て長途アジア大陸を横断し南シナ海の沿岸にたどり着いた人類は、四万年前、そこから筏や小舟に乗って琉球諸島に上陸した。日本人の祖先である。彼らが上陸して最初にしたことはおそらく近くの枯草を集めて火をつけることであったに違いない。そのとき彼らがどのような言葉を話し、”火”を何と呼んでいたか。それからさらに万年単位の時間が流れ、日本本土に薄く広く人が生活するようになった。そのときはもうこの地で成立した新しい言葉を話していたに違いない。原始日本語である。そこでは”火”は「ひ」であったであろう。

 ただしこの「ひ」が彼らが大陸からもって来た語か或いはこの列島で新しく生まれた語なのかは別問題である。

 

 ここで注意したいのは、”火”は「ひ」だけではなく同じハ行の「は、ふ、へ、ほ」のどれによっても適宜呼ばれていたことである。ひとり”火”のみならず、”木”も”地、名、日”等々、一拍語はどれも五十音図上でそれと同じ行の各段の拍で呼ばれていた。この一連の語を渡り語という。一拍語の渡り語についてはその全体像とともに別に詳述する。

 

 また例えば「ひ」という音は、前項「多い、大きい」(007)で見るように、長い時代の流れの中で「び」や「み」という音に変わっていった。ただもとの音の語がすべてなくなるということはなく、よく似た意味の「ひ」「び」「み」語がまぜまぜになって今日まで使われている。

 

 これらのことを実際に「ひ(火)」を例にとって見ていきたい。現在”火”を意味するハ行語、バ行語で動詞図を描くことは難しく、いきなりマ行語から入っていくことになる。本図と下の三語対照表によって”火”とその縁語群が日本全土で行われていたことが伺える。

 

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ま(燃)「まき(薪)」「ア:ま(焼く)」

み( )

ぶ(燃)~あぶ(焙ぶ)-あぶす(焙ぶす)(ア接)

           -あぶる(焙ぶる)-あぶらる-あぶられる「あぶら(油*脂)」「琉:あぶゆん」

    ~いぶ(焙ぶ)-いびる(焙びる)-いびらる-いびられる(イ接)

           -いぶす(燻ぶす)-いぶさる-いぶされる「いぶせし(鬱悒)」

                    -いぶせむ「いぶせみ(悒憤)」

           -いぶる(燻ぶる)-いぶらる-いぶられる

    ~くぶ(燻ぶ)-くばす(燻ばす)(ク接)

           -くばる(燻ばる)

           -くぶす(燻ぶす)

           -くべる(燻べる)-くべらる-くべられる

           ~くすぶ(燻すぶ)-くすぶる(クス接)

                    -くすべる

                    -くすぼる

           ~くすむ(燻すむ)

           ~ふすぶ(燻すぶ)-ふすぶる「ふすべ燻」(k-h相通形)(フス接)

                    -ふすべる

                    -ふすぼる

    ~けぶ(煙ぶ)-けぶす(煙ぶす)-けぶさる-けぶされる(ケ接)「けぶり(煙)」

           -けぶる(煙ぶる)-けぶらす-けぶらせる

    ~すぶ(煤ぶ)〔大穴牟遅神に対して鼠が言った「内はほらほら、外はすぶすぶ」〕(ス接)

    ~とぶ(灯ぶ)-とぼす(灯ぼす)-とぼさる-とぼされる(ト接)

           -とぼる(灯ぼる)

む(燃)-むす(燃す)-むさる(蒸さる)-むされる「むしむし」

           -むせぶ(咽せぶ)

           -むせる(咽せる)

    -むる(蒸る)-むらす(蒸らす)-むらさる-むらされる

                    -むらせる

           -むれる(蒸れる)

    ~けむ(煙む)-けむす(煙むす)-けむさる-けむされる(ケ接)

           -けむる(煙むる)-けむらす-けむらせる「けむり(煙)」

    ~とむ(灯む)-ともす(灯もす)-ともさる-ともされる(ト接)

           -ともる(灯もる)

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べ(燃)「ア:あぺ(火)」

め(燃)「めらめら」

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ぼ(燃)-ぼゆ(燃ゆ)「ぼや(小火)」

も(燃)-もす(燃す)-もさす(燃さす)-もさせる「もくもく」

           -もさる(燃さる)-もされる「もぐさ(艾*燃草)」

    -もゆ(燃ゆ)-もやす(燃やす)-もやさる-もやされる

           -もゆる(燃ゆる)

           -もyeる(燃yeる)

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 二拍動詞「むる」には上記のように「むらす/むれる」と別に「むらぐ-むらがる」のやや意味合いの異なるふたつの発展形がある。だが人が群れると蒸れるので、同語と見ることもできる。

 

む( )-むる(群る)-むらぐ(群らぐ)-むらがる「むら(村)」

           -むれる(群れる)

 

 ここでは燃焼を言うマ行一拍語をもとに、さまざまな接頭語をとることによって、きれいな語彙体系を見せている。人工語かと見まがうばかりである。和語の大きな特徴である。

 

(三語対照表)

 

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    |    和語        |   琉球・沖縄語      |   アイヌ語          |

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    |              |ばーばー(火の燃えるさま)  |                 |

    |              |ふゎーふゎー         |                 |

    |              |ふぃー(火)         |うふyi(燃える)         |

    |              |ふや(火星)         |                 |

 ハ行 |ひ(火)          |               |                 |

    |ふ(火)、あしふ葦火    |               |                 |

    |              |               |ほ・ほか(火・炉)        |

    |ほす(干す)        |               |ほかお(燃やす)         |

    |ほくち火口、ほや火屋    |               |                 |

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    |いびる(苛める)      |ぱらぱらせ(火が燃える)   |                 |

    |いぶ/くぶ/けぶ/とぶ     |いびるん           |ぴおた(火山灰)         |

 バ行 |あぶる(焙る)       |ぶりゆん           |ぷし(昆布を焼く)        |

    |あぶら(油)        |あんだ(油)         |すむ(油)            |

 パ行 |いぶす・いぶる       |あぶゆん           |すぷや(煙)           |

    |くべる(焼べる)      |きぶし(煙)         |                 |

    |けぶる(煙ぶる)、けぶり煙 |               |                 |

    |ぼや(小火)        |               |あぺ(火)            |

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    |まき(薪)         |               |ま(焼く)            |

    |              |               |める・めれ(火の粉)       |

 マ行 |むす/むる(蒸)、むらむら  |                |めれめれ(光る)         |

    |けむり(煙)        |めーすん           |いめる(稲光)          |

    |めらめら          |めーゆん           |                 |

    |もす/もゆ-もやす/もyeる燃 |               |                 |

    |もくもく          |               |                 |

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 上表にはいろいろ興味深いことが見られる。そのひとつが「あぶら(油)」と「けむり(煙)」である。姉妹三語にわたる油と煙をとり出して並べると次のようになるであろう。

 

     |和語  |琉球語 |アイヌ語

    ----------------

    油|あぶら |あんだ |すむ

    ----------------

    煙|けむり |きぶし |すぷや

 

 この図は和語、琉球語、アイヌ語という三語の同語性を象徴的に示していて見事である。三語とも原始日本語時代にもっていた”火”をいう一拍語「ふ/ぶ/む」を維持しつつ、火に密接に関係する”油”と”煙”の名称を造語するに当たりそれぞれの土地の接頭語と接尾語でもって「ふ/ぶ/む(火)」をはさむ造語法によっている。言わばサンドイッチ構造である。琉球語の「あんだ」は「あむだ、あむら」から一歩である。アイヌ語の「すむ(油)」には接尾語がないが、これはこれで重要な情報である。もし「すむ」の接尾語に「や」を想定するとその下の「すぷや(煙)」と同語となる。

 

 これら油煙をいう六語は三拍動詞「あぶる(焙る)」との関係は明らかである。だが史実から考えると、肉という食材を「炙る」ことによって出てくる油脂を「あぶら」と称し、その油がしたたり落ちて燃え出る黒いガスを「けむり」と称したなどと単純に言えるわけもない。獣肉を焙って出る油煙は人類の誕生と共にあったはずで、日本語でも三拍語時代になって初めて作られる語であるはずがないからである。

 

(つづく)