「こゑ(声)」(010)

 

 われわれは一日中何らかの音に包まれて暮らしている。完全な静寂、無音の環境は工学的に作り出すほかない。原始日本人はこうして耳で受ける音波を「と/おと(音)」、「な/に/ぬ/ね/の(音)」、「こわ/こゑ(声)」と言い分けた。このうちタ行語「と」とナ行語「な~の」は起源的にひとつと考えられるので別に論じることとし、ここでは「こわ/こゑ」をとり上げる。

 

 人の話し声、虫の鳴き声のみならず雷鳴までを言う「こわ/こゑ」は下の対照表に見るようにきれいに三姉妹語に残っている。琉球語の「くゐ、くゐー」は問題ない。アイヌ語の「はwu」は(kw)語の「かwu」が(k-h)相通現象により{はwu」となったものである。アイヌ語にはほかに空から降ってくる”あられ霰”をいう「かwuかwu」、”ばりばり音を立てて噛む”意の「かゑかゑ」がある。いづれも摸写語と見られる。

 

      |  和語      |  琉球・沖縄語   |  アイヌ語    |           |

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 声    |こわ、こゑ      |くゐ、くゐー     |はwu、はゑ     |(h/hw)(k-h)   |

 霰・噛む |          |           |かwuかwu、かゑかゑ |(k/kw)       |

 

 

 ここで古事記に登場するふたつの摸写語「かわら」と「こをろ」であるが、これは「こゑ(声)」と子音コンビ(kw)を共有する縁語である。同語と言えるほどに近い言葉である。

 

 古事記中巻、応神記に出てくる「かわら」は、宇治川の底に沈んだ武人を探して鈎(かぎ)を下すと鎧(よろひ)に当たって「かわら」と鳴ったというものである。水中の音が聞こえたというのもおかしいので、これは「かちっ」という手ごたえを感じたというほどにとるほかない。ここで古事記は「かわら」と鳴ったことによりその場所を「かわらのさき(岬)」と名づけたと伝えている。今の京都府京田辺市にあるという。

 

 「こをろ」の方は有名な冒頭の国つくりの場面で、伊邪那岐、伊邪那美の二神が天から「ぬほこ(瓊矛)」をさし下して塩を「こをろこをろ」と掻きまぜ、矛の滴りからおのごろ島ができたというものである。「ぬほこ」は音の出る矛の意であるので、「こをろ」の音は、塩ではなく、矛から出た音ととるほかない。

 

 どちらも今ひとつすっきりしないが、子音コンビ(kw)をもつ語が広くさまざまに使われていたことを思わせる。