<原始日本語、和語、琉球語、アイヌ語> (030)

 

 これまで無造作に”原始日本語”なる言葉を使い、それが分かれて”和語、琉球語、アイヌ語”の三姉妹語をつくっているということを繰り返し述べてきた。用語はともかく、これまで述べてきたことを通じて事実関係に疑問の余地はないであろう。これからも多くの事例をあげていくことによってより明確になっていく筈である。

 

 その昔、南北4000キロメートルにわたるこの日本列島に広く初期の日本語が行われていた。それがいつか三つに分かれて南から今日の琉球語、和語、アイヌ語になったという確たる言語事実がある。これは動かない。言いかえれば、この列島に薄く広く居住していた初期日本語を話す人々がいつの頃か、1)沖縄を含む琉球諸島に住む人、2)九州、四国、本州南部に住む人、さらに3)本州北東部、北海道、樺太に住む人と三つに分かれて住むようになり、自ずからその話す言葉も相異なって今日に至ったということである。

 

 上記の事実を日本のいわゆる古代史、或いはその前の先史時代の歴史の中のどこに、どのように位置づければよいか。これは日本の歴史のどこかにきちんと嵌め込まれなければならない性質のものである。しっかりした歴史事実を宙ぶらりんにしたままほかに”歴史”があるべくもないからである。そうとなれば直ちに中学や高校で習った縄文時代、弥生時代、古墳時代・・・などと並ぶ歴史年表が頭に浮かんでくる。そう、その年表のどこかに押し込まなければならないのである。どうすればよいか。

 

(1)鬼界火山噴火

 

 われわれが出来ることと言えば、今さらスコップをもって山野を掘り返して遺構や遺物を探すわけにはいかないので、ネット上や図書館に山なす資料、言説の中から上記の言語事実を合理的に説明するものを見出すことしかない。この言語事実を完全に説明することは無理としても、”もっとも合理的”に説明できる既知の歴史上の場面を探し出すということである。筆者(足立)が選択した以下の場面は、その当否は知るべくもないが、それが”もっとも合理的”であると信ずるものである。

 

 原始日本語を三分する契機は鹿児島の南方海上にある”鬼界火山”の7300年前の巨大噴火であった。西暦紀元前5300年に当たる。この噴火による降灰によってほぼ日本全土、もう少し詳しくは偏西風によって九州、四国、本州の南半分強ほどが20~30センチメートルの火山灰に埋まったと考えられている。その結果南方へ行くほど原野はもとより森林も枯死し、動植物の生存は不可能となった。位置的に琉球諸島は難をまぬがれた。東北地方や北海道にいた人々、そちらへ逃げることができた人々は生存を続けることができた。やがて百年、千年単位の時間が経過するうちに降灰地の自然も回復し、そこへ人々が南北から再流入していった。この時この中間地帯へは大陸から一定数の渡来人の流入があった。こうして言語的には琉球諸島及び東北・北海道ではそれぞれ噴火以前の日本語を引き継ぎ、当然のこととして地域特有の言語変化にまかせつつ今日に至った。琉球語並びにアイヌ語である。両者に挟まれた中間地帯たる九州、四国、本州南部ではもとの日本語をベースとし渡来人の話す大陸語の影響を受けた言葉が成立した。和語である。和語人はおそらく早い時期に文字を習い、何らかの方法で書きとめていったと考えられる。

 

 鬼界火山の巨大噴火については海洋研究開発機構(JAMSTEC)のサイトに『巨大海底火山「鬼界カルデラ」の過去と現在』『鬼界カルデラ総合調査』などと題して研究結果が分かりやすく詳しく紹介されている。ただ本サイトを参考にしているとは言え、上記の文責は筆者にあることは言うまでもない。また鬼界火山の噴火による降灰については、福井県若狭町鳥浜にある年縞博物館においてその歴然たる痕跡を見ることができる。隣接する三方五湖のひとつ水月湖の湖底に積もった堆積物を円柱状にくり抜いて年ごとの縞模様を写真によって見せているが、鬼界火山の降灰が厚い層をなしていることが見てとれる。鬼界火山の噴火が7300年前に起こったという事実は、各地に残る降灰の物理化学的な研究とともにこの年縞博物館における堆積物の縞模様をひとつひとつ数えるという緻密にして確実な方法によって決定されたという。この噴火は詳しくは1995年から数えて7325年前(誤差±23年)のできごとだということである。

 

(2)原始日本語とその分化

 

 本稿では7300年以前の言葉を”原始日本語”と呼んでいる。七千年前の言葉に”原始”と言うのはいささか抵抗が感じられる。しかし日本人が登場したと考えられている3/4万年前から7300年前までの長い間にこの土地の言葉(日本語)に大きな変化を及ぼすようなできごとがあったとは考えにくく、またその間に起こったであろうさまざまな小変化を探る手段もないことをもって、敢て原始日本語と呼ぶゆえんである。その原始日本語が7300年前に三分化した。

 

 

         アイヌ語(語の形態から見て日本語の古形をよくとどめている。)

       /

 原始日本語 - 和語  (動詞を中心に語の体系化が進んだ。)

       \

         琉球語 (和語とシナ語の影響を比較的大きく受けた。)

       ↑

      7300年前

 

(3)方言

 

 琉球語やアイヌ語の本で方言に触れないものはない。方言の多彩さ、多様さを力説するものである。方言の多様さは和語も同じで、昔から山ひとつ越えれば話が通じないとか、岬ひとつ回れば魚の呼び方が違うといった類の話は多くあったであろう。

 

 本稿ではいろいろ含みも多いであろう”方言”を単純に語形の問題としてだけで捉えているので方言問題は存在しない。方言であろうとなかろうと、ひとつひとつの語が考究の対象となると言うに尽きるのである。

 

 

(4)「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」

 

 アイヌ人と琉球人と本土人の遺伝的な関係について、平成24年、総合研究大学院大学と東京大学の研究グループにより標記の「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」と題する研究発表があった。その要旨は、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近い、というものである。

 

 日本語を考える上でこの報告は決定的に重要である。この報告は原始日本語の三分化説を完全に裏づけると同時に、反対に語学の側からも三分化という事実が日本列島の3人類集団の近縁性を裏づける。ただここでの問題は語学の側からの「7300年前」という数字である。これが遺伝学の説くところと整合性をもつのかどうか知りたいところである。

 

 

(5)「琉球語・和語・アイヌ語対照辞典」

 

 ここに来て思い至るのは琉球語、和語、アイヌ語を三角形に結んだ形の「琉球語・和語・アイヌ語対照辞典」の製作である。これらの言葉に関心と知識のあるすべての人の参加を得てネット上に構築し、だれもが自由に利用できるようにする。それは語学を越えて日本人の矜持たるべきものでなければならないであろう。

 

 それによってはじめて日本語の全体像が見えてくるのではないかと考えられる。語学的には、いわゆる語源の解明が進むことによって、国語辞典の中の不明語が少なからず解消し、多くの語釈が一新されるような事態が予想される。それは琉球語やアイヌ語についても同じである。もし琉球語による「おもろさうし」、アイヌ語による「ゆーから」などの伝統文学について新しい解釈を求めるとすれば、おそらくこれが決め手になると思われる。

 

 お題目はともあれ、語学としてのゆきつくところはこの三語対照辞典つくりになるであろう。